正しい現状認識が明日を開く

2012年06月20日 09:06

何事も問題の解決に当たっては、正しい現状分析をしないと始まりません。 しかし、現在の消費税増税論議をはじめとする日本経済をめぐる議論を見ていると、その現状分析を置き去りにした議論が目立つように思います。


世界の中での自分の位置を知ろう

私は数学の研究者です。 数学の研究には国境はありません。どこの誰であれ、良い論文を書けば評価されます。 ファイルをアップロードするだけで、世界に自分の論文を発信できる。だから、世界の中での自分の位置は、誰の目にも明らかです。過去に如何に優れた業績を挙げていても、現在の研究で評価されます(因みに私の実力は不満足なものです)。 グローバル化というのは、正にこの数学の研究と同じことが、あらゆるビジネスで起こるということです。

こういう数学研究の世界から、現在の日本の状況を見ると、国民の大部分は正しい現状認識が出来ていないように見えます。つまり、世界の中での自分の立ち位置が、理解できていないと思えます。
 
世界経済がグローバル化する中で、個人の実力は国際水準で査定されるようになってゆきます。今、先進国の生活水準が新興国より高いのは、資本力や技術の蓄積、教育水準といったアドバンテージがあるからですが、これも長い目で見れば、平準化してゆく。ですから、長い目で見れば、個人個人の生活水準は、国際標準で査定した、個人個人の労働の価値に収斂してゆくわけです(「グローバル化の行き着く先」)。 

もちろん、これには先進国の抵抗もあるでしょうから、戦争などの争いが起きるかも知れない。しかし、これも平準化を止める力にはならす、むしろそれを促進するものと思います。 

過去を振り返ると、第二次世界大戦後から80年代までの日本の目覚ましい経済発展は、人口動態と農村から都市への人口流入、そして平均的に優れた教育水準によって支えられたものでした。 

しかし、現在は、新興国の経済発展、教育水準の向上、さらには、情報化、グローバル化がもらたす労働の二極化により、平均的に優れた教育水準は国際競争力の向上に役に立たなくなっています。さらに著しい高齢化により生産年齢人口はこれから、どんどん減少してゆきます。 

こうした中で、我々日本人が全体として、生活水準を維持してゆくことは、極めて困難になっていることが、理解されるでしょう。 

今、我々に求められているのは、我々自身の労働の価値を国際標準で査定して、どれだけ高められるのか、いうことです。

そのために、まず必要なのは、我々自身の能力が、国際標準に照らして、どれほど優れているのか、あるいは劣っているのか、を出来るだけ正確に知ることです。 これからを占うのは、過去の技術の蓄積といったものではなく、今現在の実力です。 

我々の生活水準は、実力に見合ったものなのか 

今、消費税増税の論議が大詰めを迎えていますが、私がこの議論を見ていて感じるのは、現在の我々の生活水準は実力に見合ったものではなく、90年代から今現在まで、巨額の財政赤字を積み上げながら、下支えしてきた不当に高いものではないか、という疑問です。 そのツケをいつかは払わなくてはならないし、その期限がいよいよ迫っているということでしょう。  

誰しも生活水準は下げたくないのは当たり前ですが、いつまでも実力以上の生活水準を続けられるはずがありません。  

こういう時に、金融緩和、財政出動といった方法で景気浮揚を図ろうという声があることは理解しますが、経済学は所詮は最適化理論、我々自身の実力を高めることなしに、経済が持続的に好転するなどということが、起こり得ないことは、物理学のエネルギー保存則と同じくらい確かなことです。

嘘だと思うのなら、我々の日々の仕事を点検して、政策の不首尾による大きな障害は生じているでしょうか? 通常そういったものは、見当たらないでしょう。もしそうであるのなら、政府が何かをして景気が持続的に好転するといったことは望めないということになります。なぜなら、今現在の状況は、我々が我々の実力を精一杯発揮している状況なのですから。まして、「非正規雇用を制限せよ」といったビジネスの障害になる規制を政府が企業に強制することは、企業活動の足枷になり、却って雇用を減少させるでしょう。   

経済評論家あるいは自称経済学者の方々は、金融緩和だ、通貨発行益だ、財政政策だ、といろいろ言うでしょう。でも、私には、そんなものは全てアドホックな話にしか聞こえない。 池尾和人慶応大学経済学部教授が繰り返し述べられているように、現在の状況は、黙って待っていれば、いつかは高い経済成長がやってくる、そんな状況とは程遠い状況です。

学問は錬金術ではなく、むしろ 世の中に魔法はない、ということを確認する作業ではないでしょうか。

「増税は必要だが、デフレ脱却が先だ」といった主張は、自らの実力が見えていない愚かな意見としか私には見えません。 政府の役割について、「国民経済というのは、日本列島から出られない、日本語しか話せない、日本固有のローカルな文化の中でしか生きている気がしない圧倒的マジョリティを「どうやって食わせるか」というリアルな課題に愚直に答えることである。端的には、この列島に生きる人たちの「完全雇用」をめざすことである」(内田樹:百年目のトリクルダウン)といった思い違いをされている向きもあるようですが、政府には、そんな力はありません。 つまり、完全雇用をめざすことは正しいけれど、政府ができるのは、あくまでそのための環境整備に過ぎないということです。 政府は国民全体が作るマンションの管理組合みたいなものです。 政府は国民を「食わせる」ことはできないのです。  

自らの足元を見据えた建設的な議論を

私が強調したいのは、問題を長い目で見る必要性です。一朝一夕に事態を好転させるような乱暴なことはしてはいけないし、出来ません。 国民の心情としては、バブル崩壊後20年以上も景気低迷に苦しんだ挙句の増税論議、一体どうなっているんだ、と思う気持ちも分からないわけではないですが、ここはじっくり腰を落ち着けて、実力を養うべき時ではないでしょうか。 

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