フリーコンテンツと情報の価格形成の問題

2012年06月23日 10:29

数か月前に、ある出版社から、専門書(シリーズの中の一冊)の執筆を2年の期限で依頼され、引き受けた。 

そこで、少しばかり文献を当たり始めたが、すぐにフランスのD氏のことを思い出した。D氏は、自分のホームページに400ページほどの同じ分野の教科書のPDFファイルをフリーダウンロードの形で置いているからである。 D氏は優れた研究者であると同時に、優れた教育者として知られる人で、この教科書も読み易い。D氏は、高騰する専門誌の価格に批判的で、学生のための教科書やレクチャーノートを無償で供与しているのである。    

執筆を請け負ったものの、D氏の教科書とは全く異なる内容で書かなくてはならない、と感じた次第である。  


レクチャーノート、専門誌のケース

さてD氏の教科書の話を持ち出したのは、情報の正当な価格とは何か、という問題を取り上げたかったからである。 

以前、私も大学のホームページに講義録をフリーダウンロードの形で置いていて、学会で会った他大学の先生から、「あれは何時、出版するんですか?」と聞かれて驚いたことがあるが、レクチャーノートをアップロードすることは、最近では一般的である。実際、目端の利く学生なら、本を買わなくても、レクチャーノートをダウンロードして、かなり勉強できるだろう。

論文はどうだろうか? 研究者のホームページに行けば、その人の論文がフリーダウンロードの形で置いてあることが多いし、ほとんどのプレプリントはarXivにアップロードされているから、誰でもアクセスしてダウンロードできる。 

こういった論文が投稿され、査読され、出版されるのだが、出版される以前に内容は皆が知っているのである。 こうなると、専門誌は単なる査読および編集機関(少なくとも私の分野ではどちらも無償労働)ということになり、当然のことながら、売れなくなってくる。しかも、雑誌のインパクトファクター(引用度)を上げようとすれば、出版論文もオープンアクセスにした方がよい。 こうなると雑誌を購入する意味自体がなくなってしまう。 特に、国際的に大学予算の削減で図書費が激減する中では、専門誌は大きな岐路に立たされていると言ってよい。 出版社も、儲からないので、専門誌の販売には消極的になっている。

無償はよいことなのか?

出版に限らず、音楽、映像に関しても、無償で提供されているコンテンツは増加している。 自分の趣味のクラシック音楽でも、大抵の演奏家の映像がyoutubeにアップロードされている(これが違法なものかどうかは知らない)。こうしたわけで、演奏会に行かずとも、ある程度、演奏を楽しめるようになっている。  

しかし、その反面、演奏会の入りは良くないように感じる。先日、チャイコフスキーコンクールのガラコンサートに行ったが、優勝者3人のコンサートにも関わらず空席が目立った。

クラシック音楽の衰退と見られなくもないが、最近のピアニストを見ると、自作自演あるいは、珍しい作曲家の作品の発掘を行う人が増えている(例えばMark-Andre Hamelin, Vadim Rudenkoなど)。有名作曲家の作品は、ネット上でいくらでも聴けるのだから、最早、残された活路は、Hamelinのインタビュー記事を見ても、L.Godovskyなどマイナーな作曲家の作品の演奏ということなのかも知れない。情報化は文化に影響を与え得るのである。

CDの売上が激減しているが、これもネット上のフリーコンテンツと無関係ではないだろう。自らを振り返ってもCDを買う機会は激減している。 i-Podで聴くのなら、youtubeをパソコンで見て聴くのと、あまり差はない。 CDを買うのは、コンサートに出向いたときくらいである。 

本当に、種々の情報にフリーアクセスできることはよいことなのか、考えざるを得ない。

無償化による文化の破壊の可能性

フリーコンテンツが増えることにより、消費者の利便性が高まるのは、それだけ見れば、よいことだろう。  しかし、クリエーターの側に十分な対価が支払われないとすれば、それが文化の衰退に繋がる危険性は十分にある。 例えば、全ての教科書がフリーダウンロードになることは一見よいことのようだが、執筆する人がいなくなったり、出版社が消滅したりすることで、最終的に消費者の大きな不利益になる可能性は高いだろう。

私が一番問題だと思うのは、こういったフリーコンテンツによる一種の価格破壊が、正常な市場原理を麻痺させている可能性があるということである。 つまり、文化が破壊され、取り返しが付かなくなった時点で、人々が被害に気付くということである。

さらに、フリーコンテンツの増加が、経済の活性化にどの程度役に立っているのか、という点は、研究されるべきだろう。 私個人の意見としては、あまり役立っているようには見えない。

情報が簡単にコピー、ダウンロードできるようになった今、情報の値付けの問題を真剣に考えるべきではないだろうか。

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