情報化が招く社会の頽廃

2012年06月26日 12:30

大学で教育するということは、社会の変化に向き合うということでもあります。私は大学で数学を教えて25年以上にもなりますが、この間の学生の変化、特に最近の5年ほどの変化は著しいものがあります。

一言で言えば、「学生は、すぐに使える情報にのみ関心があり、深く考えることが著しく苦手になった」ということです。

ここでは、情報化が社会の頽廃を招く可能性について警鐘を鳴らしたいと思います。


すぐ使える情報のみ求める学生

大学の教育の目的は、主体的に考えることを教えることです(「大学は何を教育するところか」)。 ところが、学生は、すぐに使える情報にのみ関心があるので、噛み合いません。 

例えば、数学で定理の証明を講義しても学生は、そこは理解せず、公式の暗記、問題の解法パターンにのみ関心があるのです。ですから、とんでもない誤りのある答案が続出します。例えば、サインの2乗のグラフを書かせると、x軸の下側にもグラフがあるといった事例や、正の関数の積分が負になる、といった常識では考えられない間違いが続出するのです。  

実際、彼らに訊いてみると、「高校では定理の証明は、全て飛ばし、公式の暗記と、例題演習しかしなかった」という学生が多いのです。つまり、「入試問題を如何に効率よく解くか」ということにしか関心がなかったので、すぐ使える情報の暗記しかしてこなかった、ということです。

こういう学生に、実数の連続性、関数の連続性など、抽象的な思考を教え込むのは、極めて難しくなっているのです。 実際、東大理系の教養課程の微積分の授業ですら、半数のクラスはε-δ論法を教えていません。 

思考の持続時間も問題です。 10分と思考を続けられない学生が多くなっています(因みに、私の教える大学は、一応一流と考えられている大学です)。 ゼミでの発表も、書いてあることを棒読みするだけで、内容を解説できない学生が多く、「何故、そうなるの?」という質問にほとんど答えられない。

彼らの思考は、情報を受け取るという段階で止まっており、ほとんど先に思考が行かないということを痛切に感じます。

思考の持続性と思考の深さは比例する

一つのことを長く考えることは、思考を深めてゆく上で、極めて重要です。

その一例として、自分のやっている数学の研究を簡単に紹介します。

証明しようとする問題をまず大まかに捉え、それから論理の鎖を繋ぎながら、掘り下げゆきます。そして、問題の核心部分に到達すると、途端に進むことが難しくなる。それを避けようとあれこれ画策しても、どう掘り進めても同じ問題に突き当たることになります。 それは、その部分が全体の核心だからに他なりません。 

それから何か月もその部分を何とか解決しようとするという作業が続きます。試行錯誤を何度となく繰り返すと、それらしい解決方法が出てくるのだけれど、少し進んだと思ったら、少しも進んでいないことに気付く、この繰り返しです。 運が良ければ、やがて問題の核心部分が解決し、それを何日も掛けて検証することになります。 そのとき問題が生じて、振り出しに戻ることになることもあります。

フェルマー予想を解決したA. Wiles教授は、7年もの間、論文を書かずに屋根裏部屋に籠って、解決を考えたそうですが、こういった思考の持続性が、深い理論を生むのです。

勿論、これは純粋数学の研究という特殊な話です。 しかし、問題を長期的な視点で捉えたり、世界全体を俯瞰した捉え方をするためには、情報をそのまま受け取るのではなく、長時間、思考を持続させる必要があります。 つまり、ある程度、深い思考をするのには、長時間考え続けることが必要です。

情報化社会の陥穽

インターネットの普及などの情報化により、我々が接することのできる情報の量は飛躍的に増大しました。 百科事典に頼らずとも、ネット上の検索で必要な情報は手に入るようになったのです。 

しかし、「すぐに使える情報」に頼りきった社会になるとすれば、それは社会の頽廃であり、文明の退化です。 多くの情報に接することができるだけでは、社会全体として有益とは言えません。 多くの情報から、必要な情報を選択し、論理の鎖を繋いで分析してゆく、長時間の思考が必要です。

本当に必要なことは、情報の精製です。本当に必要な情報を厳選し、極限まで切り詰めることで、本質が見えてくるのです。 つまり不要な部分を全て捨象して、物事の骨組みを理解することです。

日本にある優れた文学の形態に俳句があります。 

閑さや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉

極限まで切り詰めることで、如何に大きなイマジネーションが拡がるか理解されるでしょう。 

情報へのアクセスが容易になることは、裏を返せば、不要、あるいは有害、あるいは誤った情報に接する機会も増加するということです。エントロピーが増すということです。喩えるならば、丹精込めて整備している花壇に、種々の雑草の種が大量に飛んでくるようなものです。
  
社会の頽廃を防ぐためには、我々が、受け取る情報を厳選し、それを論理的に組み立てる、従来求められていたより、高い能力が求められるということです。  

情報化による社会の頽廃は進んでいるか?

残念ながら、情報化による社会の頽廃は、既に進んでいるように思えます。 

福島の原発事故に関連して、多くの誤った情報が発信され、社会に混乱を来したことは記憶に新しいところです。率直に言って、放射能の危険性に関する冷静な議論は葬り去られ、ヒステリックに放射能の危険性を強調する意見が取り上げられました。 

といったツイートが発信されるなど大学人の知性が疑われるような事件もありました。私には、国民が、一種の皮膚感覚で動いているように見えました。つまり、情報を咀嚼せずに動いているように見えたのです。 

現在、また、消費税増税を巡って、再び、国民の考えの浅さが露呈しようとしています。 この問題を巡っても数多くのデマ(例えばこれ)が流され、しかも、それを信じた政治家がいたことは記憶に留めるべきでしょう。 政治家の考えの浅さは、裏を返せば、我々国民が、如何に愚かであるか、ということに他ならないことを、国民は肝に銘じるべきでしょう。 

今こそ、情報化による社会の頽廃を防ぐことを真剣に考えるべきではないでしょうか。

(注) 早川氏のツイートの全文を引用したのは、部分的な引用は誤解を招くと感じたからです。何卒、ご了承下さい。 一次情報の使い方が誤っていたので訂正しました。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑