目撃した6・29反原発官邸前デモへの違和感=主張の先にあるものが見えない

2012年06月29日 20:36
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単調なかけ声「さ・い・か・ど・う・は・ん・た・い」への苦痛

6月29日の金曜日午後6時から東京永田町の首相官邸前で行わた関西電力の大飯原発の再稼動撤回を求めるデモを見学した。周辺の歩道を埋め尽くした人々が「さ・い・か・ど・う・は・ん・た・い(再稼動反対)」と繰り返し続けていた。単調な繰り返しにつまらなさを感じ、また人ごみも嫌いなので、私は早々に退散した。

そもそも私は再稼動を積極的に行うべきと考えている。別の意見を繰り返す人の唱和を聞き続けるのは苦痛だった。参加者にとっては意義あることなのかもしれないが、私個人はその意味について改めて疑問を抱いた。(写真:6月29日の官邸前交差点の混雑)


このデモは「首都圏反原発連合」という団体が呼びかけている。3月に始めた当初は数百人だったが、再稼動の決定した後の6月22日には、主催者によれば4万5000人、警視庁の発表では1万1000人が集まったという。

IMG_020229日午後8時に私はこの原稿を近くの虎ノ門の喫茶店で書いている。発表はなく、参加者の正確な数字は分からない。現場からは午後6時45分ごろには離れた。しかし、集まっている人数は官邸の国会側の入口の十字路がいっぱいになる程度だ。数千人程度だろうか。(写真:29日午後6時30分時点で200メートルぐらいの列があった)(報道によれば、29日夜に主催者は20万人と発表したが、明らかに嘘である。カウントする人は駅にいなかった。また私が帰る際には周辺歩道に人がいっぱいになった程度であった。警察発表では1万7000人だそうだ。)

ツイッターで流れていた話では、反原発活動家の広瀬隆氏がヘリコプターを雇って空撮し、活動家の山本太郎氏がそれで実況するという。皮肉を込めて言えば、本当につまらぬことにはアイデアが豊富で、エネルギーを割ける人らだと感心する。

普通の市民が集まった緊張のないデモ

参加者は、デモにありがちな組合や政治団体などが統制している感じはなかった。姿もまちまちだ。1時間ほど現場にいたが、延々と同じシュプレヒコールの絶叫の中にいると疲れた。集まった人は男女半々だが、年齢層は60歳ぐらいの人と、長髪にラフな格好をした20代の人が目立ったように思う。ただし、幼稚園児ぐらいの子供をつれてくる若い両親がいて、私はそれには不快さを抱いた。

IMG_0199過去の反原発デモでは、被災者を揶揄するとか、原爆やチェルノブイリ事故の被害者の悲惨な写真を大写しにするとか、政治家の遺影を掲げるなどの写真がネット上で流れて批判された。そうした異様な行動をする人は私の見たところはいなかった。デモ参加者の態度は千差万別。熱くなって絶叫している人もいれば、単調なスローガンを延々と語っている人、私のような野次馬もいた。警察も規制に手慣れたもので、この場で暴力行為が起こるというような緊張感はなかった。(写真:カメラを抱えたメディア関係者、また自分撮りする一般参加者が多かった。ちなみにデモの現場は国会記者会のビルの前。各メディアがデモを黙殺するのは、よくないこととは思った)

さいたま市からきた商店経営の女性(64)は、近所の勉強会の仲間3人とという。「あじさい革命」という自作のプラカードを掲げていた。「国民の意思に反して、再稼動や増税をするなんて許せない。何かをしなければいけないと思ってきました」。ツイッターがきっかけという。

千葉市から来た男性会社員(28)は会社が早く終わったから来たという。「何かがしたかった。このまま原発が動いてしまうのは、事故を経験したのに嫌だ」と話す。フェイスブックとユーストリームで知ったそうだ。

私は「関西では電気が足りなくなると言っている人もいますよ」と聞いてみた。女性は「電力会社は嘘をついている」。会社員は「稼動することで、リスクが高まります。他の原発も動くことになります」と答えていた。意見は違うが、取材なので黙って聞いていた。

しかし2人にも、他の人にも「思いつめた」ような雰囲気はなかった。ツイッターなどソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の普及で「何か言いたい」と思う人が自然と集まったようだ。

「デモ=過激」という先入観を私は抱いていた。一部にそうした人はいるかもしれないが、このデモはそれほど緊張感のあるものではなかった。政治主張より「祭り」のような印象を抱いた。また「再稼動反対」と、私とは違う意見の人々が多くいることを、重く受け止めた。

主張の先にある未来を感じられず

ただしこうしたデモに「意味のあることなのか」という以前から抱く感想は、デモを見学して改めて感じた。福島原発事故と震災の後で原子力とエネルギー問題をめぐり、さまざまな場でさまざまな人々が考え続けている。私が話を聞いた福島の人々、仙台の津波被害を受けた人々、国会の委員会、苦悩する東京電力の社員はそれぞれ問題に向き合っていた。「お上任せ」「企業任せ」だったエネルギー問題が大きく変わった。これはとても意義深いことだ。

ところが私が体感したこのデモで繰り返されたのは「再稼動反対」のかけ声のみ。ここの単純すぎる主張から何が生まれるのか。私には分からない。参加した人も分かっていないのではないか。

エネルギーのさまざまな現場で問題解決のために日々汗をかいたり、真剣に考える人々と、このデモの間に「連続」するものを感じなかった。

「彼が何かをしたいことは分かった。しかし何をしたいのかが分からなかった」。ローマの政治家ユリウス・カエサルは自分を「ローマ共和制の敵」として暗殺するマルクス・ブルートゥスという年下の政治家の演説を聞き次のように評したという。

情熱や理念だけ先走る若者の危うさを「神々に比すべき才能」(歴史家モムゼン)と評され、人間操縦に長けたカエサルは見抜いたのだろう。この言葉通り、ブルートゥスは暗殺後、政権も取れずに破滅する。私も同じ感想を抱いた。私は責任を取る人、現場で努力をする人を尊敬する。その心の琴線に響かなかった。

おそらくデモは今の平和な日本で一番楽な政治主張の方法であろう。群衆の中に埋没し、責任を負うこともない。動機の善を自己満足できる。時間限定の政治参加だ。しかし、こうした甘さは、他の人の心を動かさないし、政治的な影響もあまり与えないだろう。実際に政府が再稼動停止、原発放棄に動く形跡はない。

どのような主張を、どのような形で行っても自由だ。私も長期的な脱原発には賛成する。しかし今の形の反原発デモに参加し、意思表明をすることはないだろう。

石井孝明 経済・環境ジャーナリスト ishii.takaaki1@gmail.com

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