デモに展望はあるのか?

2012年07月02日 12:17

朝日新聞が伝える所では、機動隊が強制排除開始、市民らと小競り合い 大飯原発との事である。

県警機動隊は、中部方面の警官隊の応援も得て、反対派の市民らの前後を挟むようにして警戒。1日午後5時半過ぎ、一部が関電の敷地内に無断で入っているなどとして、「敷地から出なければ不法占拠になる」「指示に従わなければ公務執行妨害に問われる」「道路を開放しなさい」などとマイクで警告。その後、強制排除に乗り出した。

言うまでもない事であるが、秩序だって行われるデモは、憲法に依って保障される「表現の自由」に該当し、許容されてしかるべきである。公権が力によって無理やり排除しようとすればイコール憲法違反である。

一方、今回の如き発電所の操業妨害は立派な犯罪行為であり、首謀者は警察に依り逮捕され刑事司法に依って裁かれねばならない。多くの国民がこの辺りの違いに気が付いていない様に思う。

さて、原発再稼働反対のデモに展望はあるのだろうか?

政府を動かす為には「切り札」が必要と思う。

その第一は、「政府が言う事を聞いてくれねば、愛想を尽かし海外に移住する」と脅す事である。年収一千間年以上を少なくとも10年以上に渡って稼ぎ続け、しっかりと納税し、社会保障費を負担し続けた中間層が集合、連体し「原発再稼働反対」、「海外移住」を訴えれば、それなりのインパクトがあると思う。

一方、「生活保護受給者」や「低額所得者」で、実質「行政サービス」にタダ乗りを継続している人間が、同様言う事を聞いてくれなければ海外に出て行くと言った所で、政府を喜ばすだけで何の脅しにもならない。露骨に言ってしまえば、社会のお荷物でしかないからである。

従って、デモに何人が集まったか? は、実は対して重要ではなく、社会のどんな層が集合したのかの方が、実はずっと大切な話と思う。

今一つは、原発再稼働反対の客観的正当性である。この「論理」が無ければ、幼児が癇癪を起して泣き喚いているのと何ら変わる所がない。

私は、過去に何度もアゴラ記事で説明した通り、原発問題は今や電力問題の中核であり、電力問題はイコール経済・社会問題と考えている。

「産業」、牽いては「経済」全般と「電力安定供給」の関係は、人間の身体と血流の関係に似ている。足の末端等の血流が滞れば「壊死」を招き、結果切断止む無しと聞いている。関西地区の経営者から聞いた話では、納期遵守への配慮から夏場の停電に備え在庫積み増しをしている製造業が多いとの事である。勿論、これは本来必要のない、「保管料」と「在庫金利」と言った余分の費用負担を発生させ関西製造業の収益を圧迫する。結果、法人税の納税額が減少するのは必然である。

内閣府の公表した、5月の景気ウォッチャー調査を見ても近畿地方は現状判断が▲5.1(53.3→48.2)、先行き判断が▲4.3(51.2→46.9)と、共に悲観的である。(図表7、13)

原発停止に依る夏の停電懸念が背景にある事は間違いないであろう。

貧困者が原発の稼働を止め、新たな貧困を生み出すと言った、「貧困の連鎖」が生じているのではないか?

山口 巌 ファーイーストコンサルティングファーム代表取締役

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