情報教育より、国語、数学教育の徹底を

2012年07月03日 21:46

小中学校の生徒に、情報端末を一人一台与え、情報機器の使い方に早くから習熟させるべきだ、といった議論があるようです。  

しかし、私は、こういった考えには賛同できません。 人間は紀元前からほとんど進化していない生物であり、基礎的な国語、数学教育にこそ、力を注ぐべきだ、と考えるからです。


本を読む学生と読まない学生

私は、ゼミに来る学生に、どんな本を読んでいるのか、を必ず尋ねますが、あまり本を読まない学生と、たくさん本を読む学生では、学力に大きな差があります。 私のゼミは純粋数学のゼミなので、国語は直接関係ありません。しかし、純粋数学といった、謂わば論理の殿堂を理解するのに、必要な数学能力と国語能力に高い相関があるようです。これは何故でしょうか?

三島由紀夫は、東京大学で法学を学び、刑訴法の「整然たる」冷たい論理構成に魅せられ「小説や戯曲のお手本のように思われた」と記したそうですが、三島由紀夫の一種金属的な文章を読むとなるほどと思わされます。つまり、一分の隙もない論理に裏打ちされた文章は美しく、有無を言わさない力があるものだと感動します。三島由紀夫の文章のように、凝縮した文章を読みこなすには、それなりの論理能力が求められるでしょう。

本をよく読む学生は、文章に日頃接することで、自ずと論理能力が鍛えられているのに対し、文章を日頃読むことが少ない学生は、論理能力が未発達なのではないかと思います。 、

知識を如何に使いこなすか 

現在の情報化社会において、知識は情報端末を使えば、短時間で手に入れることができます。 従って、一昔前なら、博識の人はwalking dictionaryと呼ばれ重宝されたものですが、現在は、そういったことはないでしょう。

では、現在、何に価値あるのか、というと知識を使いこなす力でしょう。 即ち、必要な知識を取捨選択し、それらを使って、自分の考えを論理的に構築する能力です。 

国語力と数学力の養成が大事

こういった知識を使いこなす能力を、どうしたら獲得できるのでしょうか? それは、国語、数学をしっかり学習することでしょう。 

昔から「読み書き算盤」と言われ重要視されてきた、国語、数学ですが、理路整然とした文章を読んだり、書いたり、命題を理解したり、証明をつけたりすることは、頭の中で、自分の考えを整理するプロセスが要求される作業です。 こうした作業を繰り返し行うことで、自然に、知識の取捨選択、論理の組み立てが学習できるのです。

これは、情報端末を使って、検索したり、短い文章のやり取りをしたりすることで、身に付くものではないでしょう。

従って、小中学校の教育は国語、数学中心にすべきであり、情報端末の使い方に習熟するようなことは、どうでもよいことでしょう。 少なくともワード、エクセル、パワーポイントあるいはLaTeX、メールのやり取り、といったことは、見よう見まねで一週間もすれば誰でも身に着けられることであり、学校で教育する必要性は全く感じません。 マニュアル本を片手に自習するのは簡単なことです。 

このような詰まらないことに貴重な授業時間を使うより、国語の読み書き、数学をしっかり勉強させることが、小中学校の教育では最重要でしょう。  こういった基礎的な論理能力の獲得には極めて長い時間と手間を要するものです。 現在の大学教育は、基本的な学習の仕方のリハビリに非常に長い時間と手間をかけているのが現状です。 

よく取り上げられる、英語教育も、私には左程重要だとは思えません。英語を読み書きできても話せない日本人、とよく言われますが、個人差はあっても、海外に行き、一か月もすれば、誰でも英語を話せるようになります。 英語を話せる話せないという問題以前に、理路整然とした文章を書いたり、議論が出来ることの方がはるかに重要です。

私は、原則、大学の授業は英語で教えるべきだと思いますが、これは日本人が英語を使えるようにするというよりも、大学を国際化することの方に重点があると考えます。 実際、Cambridge, Oxfordといった海外の一流大学では、外国人学生の比率が非常に高いのが普通であり、日本の大学だけが国際化に取り残されるのはまずいと考えるからです。
  

入試の改革について

現在の大学入試は、試験時間も短く、マークシート中心のため、高校生の思考力の育成に大きな障害になっていることは事実です。 しかし、入試業務に掛けられる労力が、一部の教員に集中する現状においては、なかなか、記述式問題を増やせない事情があります。さらに、一部の大学だけ、記述式問題を増やすことも、難しいことです。 なぜなら受験生離れを心配しなくてはならないからです。  

現実的には政府がフランスのバカロレアのような記述式の数学、国語の試験を行うのが望ましいでしょう。 試験時間もそれぞれ4時間程度取りたいところです。

教科書はできるだけ抽象的かつ簡潔に

私は教科書をデジタル教科書にすること自体には反対しませんが、デジタル教科書はあくまでペーパーレスにするためだけに使い、きれいな図やダイアグラムのようなものは出来るだけ排除し、出来るだけ抽象的な文字情報だけを生徒に提供すべきだと思います。

なぜなら、視覚から入る情報は、人の考えを支配しがちであり、生徒の自由な考えの妨げになると考えるからです。 

文章もできるだけ切り詰めて、骨組みだけにし、自由にイマジネーションを広げられるようにするべきではないかと思います。 

まとめ  

大学入学前の教育は、基礎的な国語、数学の基礎学力の獲得に力を注ぐべきで、情報教育のようなアドホックな教育は重要視する必要はないと思います。

(注)この文章は山田肇氏の「「情報化が招く社会の頽廃」に対する違和感」 に対して書いたものです。申し訳ありませんが、氏の記事は私の記事「情報化が招く社会の頽廃」 の内容を根本的に読み違いされていると思います。 もう少し内容をしっかり理解された上で記事を投稿していただけたらと思います。

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