『情報化が招く社会の退廃』に覚えた違和感 その2

山田 肇

辻元氏の記事に対する意見を続けよう。

「最近の大学生はすぐ使える情報にばかり関心がある」と嘆くのではなく「思考力を育てる教育に教員として取り組もう」という意見を昨日は表明した。「そのように努力しているが、公式丸覚えしかできない学生のリハビリには3年もかかる」という返事を辻氏からさっそく頂いた。したがって、この論点には対立はない。

次の論点は、「これはネット上のすぐに使える情報に頼り切っているからだ」の部分だ。この推論には大きな飛躍がある。思考力を欠く学生の存在は他の理由でも説明できるからで、たとえば大学入試の在り方である。


大学間での学生の奪い合いが激しくなるにつれて、入試回数がどんどん増えてきた。そのすべてに入試問題を用意することは不可能なので、センター試験の結果を利用したり、全学統一問題で済ませたりするようになっている。

大学基準協会は「学生の受け入れ方針(アドミッションポリシー)」を明示するように各大学に要求している。これに応えて、各大学のサイトには学部ごとのアドミッションポリシーが掲載されている。そこまでは結構だ。しかし、求める学生像が異なる理工学部と文学部と経済学部が、全学統一問題を利用して求める学生を選抜するというのは、おかしな話ではないか。教授会でこれを指摘したところ、「アドミッションポリシーを理解して受験してくるので、その段階で選抜できている」という答えがあったが、僕は無理な説明だと思う。

今年のセンター試験でのミスを検証した委員会の報告書が公表されている。そこには、「(センター試験は)各大学がそれぞれのアドミッションポリシーに基づきセンター試験の成績をアラカルト方式で利用することを前提としている制度である」と書かれている。大学側がどの科目の成績を利用するかは、実際には似通っている。「それぞれのアドミッションポリシー」が似通っていない限り起きないはずなのだが。

全学統一問題やセンター試験のようなマークシート方式の試験では、思考力を問うよりも公式を当てはめれば計算できる問題のほうが多くなってしまう。公式を丸覚えすれば合格可能性が高いのであれば、受験生はその方向に走る。もしこの推論が正しいとしたら、大学側が学生の思考力を奪っているわけだ。

山田肇 -東洋大学経済学部-