山田氏の記事に対する違和感

2012年07月04日 18:10

山田肇氏の記事「情報化が招く社会の頽廃」に覚えた違和感 その2について少しだけ書いておきたい。


まず、山田氏は冒頭の部分で私の記事について私が

「最近の大学生は、すぐに使える情報にばかり関心がある」

「これはネット上のすぐに使える情報に頼り切っているからだ」

と主張しているとし、「この推論には大きな飛躍がある」と批判している。
私は、このようなことは書いていない。私の記事の曲解も甚だしい。  私が書いたのは、

「最近の大学生はすぐ使える情報にばかり関心がある」

ということのみである。 なぜ「これはネット上のすぐに使える情報に頼り切っているからだ」と山田肇氏は論理を飛躍させるのだろうか。 もし、反論があるのならいくらでも受けて立つが、私の記事を勝手に曲解して、それについて批判を加えるのは止めて頂きたい。 これは悪質な印象操作であり、許容し難い。

実際、大学生がすぐに使える情報にのみ関心がある実例として

 例えば、数学で定理の証明を講義しても学生は、そこは理解せず、公式の暗記、問題の解法パターンにのみ関心があるのです。

と私は書いた。 これを見て、「大学生はネット上のすぐに使える情報に頼り切っている」と読めるのは目が悪いのだろう。

私の記事、「情報化が招く社会の頽廃」を誤解がないように要約すると:

「情報化の進展に伴い、我々が接することのできる情報の量は飛躍的に増大した。従って、情報の精製、それを分析し論理的に組み立てるための長時間持続して考えることのできる思考の持続力が必要だ。 さもなければ、氾濫する情報を咀嚼することなく、使うことになり、社会が頽廃する可能性がある」

ということである。 私は別に山田氏に喧嘩を売るわけではないが、いわれのない批判は許容し難い。 大学入試の問題点も共有できるようなので、出来ることなら誤解を避けるためにも直接議論したいものである。 

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