なにが正解かわからない時代で大切なこと

2012年07月09日 12:54

橋下市長のツイートは、橋下市長の考え方を伝える武器にも、また橋下市長の個性的なスタイルとしても定着しつつあるように思います。そして、ソーシャルメディアでは、ブログなどで今だに橋下市長憎しとばかりに粘着質な批判を書きつづけている人もいますが、それがまた橋下評価を高める役割を果たしているので興味深いところです。


さて、昨日の橋下市長のツイートで、真柄昭宏さんという方の『ツイッターを持った橋下徹は小泉純一郎を超える』の著書のテーマが「政治とは正解が分からない中で一つを選択するプロセス」だそうで、それに同感すると書かれていました。橋下市長ご自身も「そこを実体験しながら、政治と行政の役割分担、統治機構のあり方、政治決定のプロセスについて考えが進化していきました」とされています。まさに現代は、政治に限らず、ビジネスでも「正解が分からない中で一つを選択するプロセス」の質が重要になってきています。
ツイッターを持った橋下徹は小泉純一郎を超える
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ビジネスの世界は嫌というほどそれを体感させてくれます。先のことは何が起るかわからず読めない、不確実なことばかりで、なにが正解なのかもわかりません。新製品や新サービスも、改善程度のものならある程度販売予測もつきますが、新しい発想や技術をもつ革新的なものになってくると、必ずニーズがあるはずだという信念を持ったとしても、あるいは希望的観測を持てたとしても、必ず成功するとは限りません。決定のリスクが高いのです。

しかも、多くの問題が、あちらを立てばこちらが立たずのトレードオフとなっているなかで、何かを選択し、決定しなければ事業は前に進まず、時代の変化に取り残されていきます。リスクを取るか、無難な選択をするのかもそうです。目の前のリスクを取らなければ、それは安全なように思えても、事業の鮮度がどんどん落ちていき、結局は長期的には事業を停滞させるリスクも生まれてきます。

なにが正解かわからないなかでものごとを決めるのはやっかいなことです。しかし重要な3つのピントがあると思います。これはビジネスでも、政治でも同じでしょう。

ひとつは、事実に基づいているかどうかです。なぜなら、事実に基づかず、思い込みや情緒だけで考えてしまうと、不都合な事実を想定しなくなってしまうからです。

たとえば、地方公務員の政治活動を制限することを問題視している人がいます。地方公務員にも政治活動を行う自由があるというのはいかにも耳障りがよさそうですが、地方公務員はさまざまな公共事業の発注、また許認可などの窓口となっています。そこにはかならず利権に結びついています。さらに地方政治の意思決定への影響力も持っています。それが集団で政治活動を行い、市長選挙まで実質握ってきた失敗例が大阪市そのものです。そこに失敗があったという事実についてはまったく触れられていません。

橋下市長は、原発問題について、脱原発の立場から、原発推進を主張するのなら、使用済み核燃料の処理をどうするかを明らかにしなければならないとされていますが、逆も真で、原発を廃止するにしても、使用済み核燃料を処理する方法を持っておらず、使用済み核燃料は残るのです。しかも廃炉に持ち込むには廃炉の技術が必要ですが、こちらもありません。原発推進か、脱原発かのどちらを選ぶにしても、使用済み核燃料の処理と、廃炉技術が必要だという事実には変わりがありません。

第二は、戦略も政策も、リスクの度合いで、また何を重視するかで、いくつかの選択肢がでてきます。ビジネスも政治も、試験の解答みたいに答えがひとつの世界ではないので、どのような選択肢が考えられるのかを想定する能力が問われてきます。代替案をつくることは、なにが決定する際の鍵になってくるかがより明確になってきます。

もう、政治で言えばかつてのような資本主義か、共産主義かといった単純な選択の時代ではありません。そういった時代なら賛成か反対かだけでよかったのかもしれませんが、そのエネルギーや知恵は、他に選択肢が本当にないのかに費やしたほうが新しい選択肢を見つけ出すことにも役立ちます。

第三は、決定のしかたの質の問題です。リスクを伴った決定は、リスクがあることを前提とした決定でなければ無責任になってしまいます。責任を取れない、取らない、また求められない人たちが決定を行うのは最悪です。

日本が最悪の状態にあるのは、官僚の給与が高いことではなく、日本の官僚制度は、官僚が責任を問われない制度になっていることです。しかも責任が問われない官僚が、自由裁量でさまざまなことを決めることができるのです。
しかもその官僚を統治するはずの政治が機能していません。世の中の変化が激しく、不確実なことが増えてきたなかでは、どのように決定しようがかならずリスクをともなってきます。だからビジネスの世界では、そのリスクを取る高い能力をもつリーダーが求められるようになってきています。ビジネスの世界では創業者企業に強い企業が目立っていますが、そうでない企業でも、おそらく中興の祖といわれるような人は、リスクを積極的に取ることができた、あるいは取っている人たちです。

政治家も政党に対して責任を最終的に求めるのことができるのは有権者ですが、結局は政治家や政党に責任を求めることができる選挙のあり方でなければいい決定も生まれてきません。等しく責任を問うことのできる権利をもっているはずなのに、一票の格差を放置してきたことは自滅への道だったともいえそうです。

そして、事実に基づく判断、選択肢を創造する能力、決定の高い質は互いに関連しています。それらが透明であり、きちんと示されていいることです。とくになにかを決める際に重要なことは、なにに決められたかだけでなく、なぜそう決めたのかです。
野田内閣が信頼されないのは、選択肢も示されておらず、決定理由についても充分に説明されていないからです。つまり決定にいたるプロセスや議論が貧弱だから、説明できないのだと思えます。

大阪が熱くなってきました。『大阪都構想』に対して、民主党や自民党の人びとも、具体性がないという批判ばかりでした。本来は責任を問われる立場でありながら、評論家なのです。余計なことはするな、今のままで少しずつ改善していけばいいという企業で言えば典型的な大企業病でした。それがどうでしょう。今では、『大阪都構想』推進に反対するどころか、その流れに乗ろうというのか、政策合意にまでいたってきています。なぜなら、それに反対する「なぜ」が弱いから、「なぜ」をもち、それを語る橋下市長に賛成せざるをえなくなってきたのではないでしょうか。

昨日、大阪の万博記念公園にある国立民族学博物館で、民族社会研究部の田村教授の面白い講義を聞いて来ました。ビルマ/ミャンマーの「お茶の輪」による口コミ力です。国民が「お茶の輪」で毎日のように話し合って、情報を交換していて、政治家の経歴や評判についてみんなが熟知していて、ある意味で日本より国民の政治への関心のレベルが高い国だということでした。

もちろん、地域社会や家族、血縁の社会が残っていて、みんながお茶を飲む場でつながっているからそうなるのだそうです。それを聞いていて、地域とか職域で組織されていない国民が多い日本が、そういった情報交換のメカニズムを取り戻すには、ソーシャルメディアが重要になってくるのではないかと感じました。

責任を問う権利をもっている地域住民や国民に、せっかくソーシャルメディアがあるのだから、政治家の人たちには、他の政党を批判するよりは、もっとなにが選択肢で、どの選択をしようとしていて、それは「なぜ」かを語ってもらいたいものです。
今の既成政党は新しい選択肢を生みだす能力に欠け、互いに本質的な争点を持てないために、政権担当の「能力」のアピール合戦になってきているように感じます。外野席から見ていると「どっちもどっちショー」になっていることに早く気がついてもらいたいと切に感じます。

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大西 宏
株式会社ビジネスラボ代表

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