予想と実績の区別

2012年07月15日 15:19

論理的に議論をするためには、概念を明確に区別することが不可欠である。とりわけ、名目と実質の概念の区別と並んで、予想と実績の区別も重要である。

例えば、「インフレになると実質金利が下がる」というのは厳密には誤りで、「インフレ予想が高まると(フィッシャー効果で同率の名目金利の上昇が生じない限り)実質金利が下がる」というのが正しい。実質金利は、これからの先行きにかかわるもの(forward lookingな概念)であって、その限りで足下のインフレ率の実績とは関係ない。もちろん、足下のインフレ率の実績が将来のインフレ予想に反映される傾向が強いので、実績としてインフレになれば、インフレ予想も高まると想定できる場合が少なくない。こうした想定に立って、上で述べたことを理解した上で「インフレになると実質金利が下がる」といっているのならいいのだが、予想と実勢の概念区別に無頓着なままではミスリーディングである。


これ以上に、「デフレ脱却が景気回復の前提だ」とか「景気回復のためにはデフレ脱却が必要」とか言っている人達は、インフレ予想と実際にインフレになること(実績)の区別がついていないのではないかと危惧される。なお、ここではデフレは、「経済の低迷した状況」を何となく総称したものではなく、狭義に「持続的な物価の下落」を意味するものとする。

実際に物価が上昇するのためには、需要の増大(demand pull)か費用の上昇(cost push)のいずれかが起きていなければならない。もし需要の増大も費用の上昇もなしに物価だけが上がることがあり得るというなら、それはどのような状況か。そんな不思議な状況があるなら、是非教えてもらいたい。そして、需要の増大に伴って物価が上昇しているなら、既に景気の回復が起こっているということで、デフレ脱却は景気回復の結果で、前提だということにはならない。

他方、費用の上昇で物価の上昇が先行的に起こったとして、それが景気回復につながるといえるのか。今年は、北米と南米が同時に干ばつに襲われることが懸念されており、不作から食料価格の上昇が見込まれる(既に大豆等の先物価格は上昇している)。このことは、輸入価格の上昇から国内物価上昇を招くことにつながりかねない。しかし、輸入価格の上昇に見合うだけの輸出価格の引き上げを可能にするだけの非価格競争力をわが国の輸出産業がもっているのでなければ、交易条件の悪化につながり、わが国からの実質的な所得流失がおき(日本人は貧しくなり)、景気にはマイナスとなる。

これに対して、「景気回復のためには、適度のインフレ予想(期待)が醸成されることが必要だ」ということなら、論理的には話が分かる。基本は「景気回復—>物価上昇」であるが、物価上昇の予想であれば、景気回復の前に来ることはあり得る。ただし、こういう話であるならば、インフレ率という特定の1経済変数にこだわるのはむしろ不自然で、「景気回復のためには、企業や消費者のコンフィデンス(自信)が上向くことが必要だ」と主張する方が、より一般的である。

企業や消費者の経済の将来見通しに関するコンフィデンス(自信)が上向くというのは、景気の回復を期待するようになるということであり、その結果としてインフレ率の上昇も見込むようになるということである。景気は「気」からとしばしば言われるように、企業や消費者のコンフィデンス(自信)の改善は重要で、景気回復の前提条件ともいえる。ただし、そのためには金融政策だけが頑張ればよいということにはならず、「政策の不確実性」を削減するような取り組みが必要で、政治家が主役で頑張らなければならず、中央銀行に責任転嫁して済む話ではない。

この点に関連して、政治が頑張らなくても、「マネタリ-ベースの増加—>予想インフレ率の上昇」という因果関係が成り立つと主張する向きがある。先の記事で述べたように、この主張には、局面的に両者ともに増加(上昇)傾向にあったので相関がみられたという以上の実証的根拠は示されていないが、論理は次のようなものらしい。すなわち、「中央銀行が比較的長い期間にわたって、マネタリー・ベースや超過準備を増やし続ければ、市場は今後しばらく金融緩和が続き、やがて貨幣供給量が増え、物価も上がるであろう、と予測する。」

しかし、これは、貨幣数量説的な関係が成り立つと人々は思っているので、それを先取りした予想を形成する(ので、結局、貨幣数量説が成り立つことになる)というトートロジー(同語反復)を述べているに過ぎない。もちろん、金利が正の世界では、「マネタリーベース増—>貨幣ストック増」という因果関係は成立するし、貨幣数量説的な関係が成り立つといえる。しかし、これまで何回も述べてきた(例えば、この記事を参照の)ように、金利がゼロの世界では、そうした常識は通用しない。

ゼロ金利制約を無視していいなら、話は簡単で、金融政策は有効に決まっている。ところが、実際にはゼロ金利制約に直面しているから、困っているのである。困難の原因を無視して、困難はないはずだと主張されても、当事者はそれこそ困惑するだけだろう。明示的に「ゼロ金利制約」を考慮した上で、トランスミッション・メカニズムを説明してもらいたいものである。ゼロ金利制約下では成立しない関係を人々が先取りして予想形成するというのは、あまりにご都合主義的な想定だというしかない。

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池尾 和人@kazikeo

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