真っ当な議論をしよう

2012年07月16日 22:40

この間に、いくつかの記事を連続して書いたのは、怒っているからである。

ゼロ金利制約下にあるか否かを問うこともなしに「マネタリーベースや(日銀の)バランスシート規模が拡大すると、比較的早くインフレ予想が高まる。」などと主張することは、クルーグマンの1998年のペーパー(翻訳は、これ)以来の「ゼロ金利制約下での金融政策」をめぐる(学界を含めた)真っ当な議論の積み重ねを全く無視したものである。従来の議論の積み重ねなど知ったことではないという感じで、これまでの議論の中で謬見とされてきたことが堂々と主張されるというのには、あきれるというのを通り越して、怒りを感じざるを得ない。


ゼロ金利制約下にあっても、本当に「今日のマネタリーベースを増やせば、予想インフレ率が高まる」ということなら、かつてのクルーグマンの問題提起とそれ以後の議論には何の意味もないということになってしまう。多くの人々がとんだ徒労をしてきたということになる。しかし、そうした主張は、クルーグマンの問題提起とそれ以後の議論を踏まえて、それにもかかわらず根拠があるとして述べられているのではなく、単にこれまでの議論の経緯に無知あるいは無理解のまま行われているとしか思えない(あるいは、分かっていて意図的に偽っている)。そうした主張は、独りよがりな、知的誠実性を欠くものである。

すでに一度アゴラの記事の中で引用したことがあるが、次のような理解が議論の前提のはずである(拙著『銀行はなぜ変われないのか』のpp.226-7)。

金利が正で、貨幣需要の金利弾力性も有限である状況であれば、国債の買いオペによる貨幣供給量の増大が緩和効果をもつことは当然であり、それを認めない経済学者(および中央銀行関係者)はいない。問題は、金利が事実上ゼロになり、貨幣需要がきわめて高い(あるいは、無限の)利子弾力性をもつようになった状況において、そうした形の貨幣供給量の増大がどのような(そして、どのようにして)効果を持ち得るかである。

こうしたときには、クルーグマン流にいうと、「今日の」貨幣量を増やしても効果はなく、将来も貨幣量を増やし続けると中央銀行が約束し、その約束を多くの経済主体が信用するということになってはじめて、インフレ期待が生まれる可能性があるということではないか。しかも、貨幣需要が弾力的であればあるほど、ずっとずっと将来までの貨幣供給量の増大にコミットしなければ(できなければ)、物価水準に影響を与えることは難しくなる。

けれども、そもそも中央銀行がコミットする能力はどれだけ将来の貨幣供給量の値についてまであるのだろうか。たとえば、一〇〇年後の貨幣供給量の値を中央銀行が語ることはできても、その値を国民に信認してもらうことなどできるものなのだろうか。

筆者には、こうした点こそが議論のポイントであると思われるが、中央銀行の将来にわたるコミットメント能力の現実的評価などには関心を示さず、いたずらに「今日の」貨幣供給量を増やすことだけを主張している論者が日本には多いのではないだろうか。

因みに、これは約10年前の時点での記述である。そこからも退化したような主張をされては困る。「ゼロ金利制約下での金融政策」を論じる際には「今日の」貨幣量と「明日の」貨幣量の区別が不可欠であることを理解できない者は、まずは過去の議論を真摯に学ぶことから始めた方がよい。そして、コミットメントの可否が問題の本質だということが理解できてから、論争に復帰すればよい。「流動性の罠については,現在と将来の貨幣をきちんと区別していない議論には,非常に注意する必要がある。いや,相手にしない方がいい」(岩本康志氏のブログから)。

いち早くクルーグマンは、「金融仲介業を流動性トラップの枠組みに入れることで、フリードマンとシュワルツには失礼ながら、この状況で貨幣集計量を見るのはかなりミスリーディングだ、ということがわかる。流動性トラップでは、中央銀行は広義の貨幣集計量はそもそも増やせない状態に陥るかもしれない。マネタリーベースを増やしても、それが単に準備や現金保有に追加するだけとなる可能性があるからだ――そしてこの両方から、そういう貨幣集計量はもはや金融政策の立場についての有効な指標にはならな」いと喝破した。

その上で、しかしながら、流動性トラップ(ゼロ金利制約下)に陥っていても「もし中央銀行が、自分たちは無責任になり、将来はもっと高い物価水準を目指します、ということを信用できる形で約束できれば、金融政策もやっぱり有効になる。」と主張した。これは、論理的には全く正しいステートメントである。しかし、こうした約束は、時間整合的(time consistent)なものではないので、信用されるものとはなり得ないというのが、現時点での多数派の見解である。こうした議論の経緯に無知であったり、無視してもよいということにはならないと考える。

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池尾 和人@kazikeo

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