心情倫理の「古層」

2012年07月26日 22:37

オスプレイをめぐる騒動をみても、日本人の心情倫理の伝統は根深いと思う。そこで問題になるのは客観的リスクではなく「地元の不安」であり、反原発デモも「子供の命を守れ」といった情緒的なスローガンで「原子力村」を攻撃する。原発事故で死者は出ていないというと、「あなたは被災者の前でそれが言えますか」。こうした運動のエネルギーになっているのは、「正義の味方」を演じる自己陶酔なのだ。


こうした感情は、それほど新しいものではない。丸山眞男は歴史意識の「古層」と並んで、政治意識と倫理意識の「古層」をさぐる三部作を書く予定だった。前者は「政事の構造」(『丸山眞男集12』)として論文になったが、倫理意識はまとまった論文にはならなかった。しかし講義や座談で、彼はその内容を語っている。

歴史意識のキーワードが「なりゆき」だとすれば、倫理意識のそれはキヨキココロである。これは善悪ではなく、動機の純粋性を基準とする倫理だ。これは「なりゆき」を重視する歴史意識と関連している。西洋的な(キリスト教の)倫理意識では、時間は最後の審判という目的に向かって流れるが、日本ではそういう未来の目的がないため、現在のキヨキココロかキタナキココロかで価値が決まる。

このような倫理は世界的にみても異例である。儒教では普遍的な規範があり、行動はその結果によって判断されるので、「直情径行は夷狄の道なり」とされ、目的合理的に行動することが求められる。これに対して日本では共同体を超えた規範がないため、特定の集団への忠誠心が倫理基準になり、結果は問われない。「生きて虜囚の辱を受けず」といった戦陣訓が強い訴求力をもったのも、こうした心情倫理の伝統があったからだろう。

もちろん記紀神話の「古層」が、そのまま現代に続いているというのは問題を単純化しすぎだろう。丸山の抽出した理念型は主観的で、反証不可能だという批判も強い。しかし個別の集団を超えた普遍的な理念をもたず、結果を問わないで「空気」にまかせて情緒的に意思決定を行なう日本人の特徴は、多くの人々が共通に指摘する定型的事実である。それを説明する分析用具は、行動経済学や進化心理学などに見出すことができる。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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