定員を超えた地球

2012年07月29日 07:47

今年の夏、話題になったように、ウナギの稚魚の3年続きの記録的不漁により、ウナギ資源の枯渇が憂慮されている。しかし、ウナギ資源の枯渇の兆候は、もっと深刻な食糧生産の有限性の問題の片鱗に過ぎない。 

ここでは、世界の食糧生産の危機的状況を伝え、我々が人生哲学を転換する必要性について述べたい。


顕在化する食糧生産の限界

世界の食糧生産をその根幹である穀物生産高を見ると、下の図のように、順調に伸びているように見える。
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しかしながら、世界の1人当たりの作付面積を見ると、下の図のように、我々の生命を支える耕地は、一人当たり0.1ha(10m ×100m)ほどしかなく、その面積は年々減少している。さらに総作付面積も1981年をピークに土壌侵食、限界耕地の放棄により減少している。

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実は耕地面積は、ここ60年ほど、殆ど増えていない。 穀物生産の増加は単位面積あたりの収量(単収)の増加による。 しかし、化学肥料の投入、多収穫品種の作付、灌漑設備の整備といった収量の増加策は、ほとんどの地域でやり尽くしている。 実際、単収の増加は鈍化している。 世界規模でみれば近年の単収の伸び率は極めて低調で、今後についてもおそらく横バイであり、条件の悪い複数の国においてはむしろ低下が予想される。

さらに穀物の余剰、不足の推移を見ると、最近は大きく不足する年が増加している。
ard46-food_fig1

(以上の3つのグラフは 今年のアメリカの旱魃により、トウモロコシ、大豆などの飼料作物が高騰し、鶏肉、豚肉まで贅沢品になる可能性が指摘されている。 中国で食肉生産が増加し、中国の穀物輸入が増えている。 このような状況から10年、20年といったスパンで考えれば、肉類は貴重品になることは必然的であり、世界の人々は穀物中心の食事をするしかない。長期的には、現在の70億もの人口を支えるほどの農地、環境容量は存在しない。 

環境問題は人口問題

地球はその定員を大きく超え、人類は人口問題に直面している。 非常に近い将来、その削減が至上命題になるだろう。 我々は社会を縮小してゆくしか選択肢はない。

温暖化などの環境問題は、既に人類にとって大きな脅威になっており、耕地面積の限界、単位面積当たりの収量の増加の限界に加え、旱魃や豪雨、森林破壊による土壌流出、地下水位の低下、土壌そのものの劣化など、人類の将来には、既に暗い影がしのびよっている。 IPCCの予測によれば、今世紀末までに3.0℃程度の気温上昇が想定されているが、もし3.0℃もの気温の上昇が起きた場合、、水資源の枯渇、森林破壊や土壌流出の激化により、世界人口は現在より相当少なくしない限り、食糧生産が追い付かないだろう。 

如何にエネルギーを効率的に使うにしろ人間の存在そのものが、自然環境を改変するため限界はある。環境制約から世界人口を長期間を掛けて減少させてゆく必要がある。体の大きな動物ほど個体数が少ないという自然界の法則に従えば、世界の総人口を1億人程度まで緩やかに減少させることが、100年から200年といった長いスパンでは必要となるだろう。 

少子化は経済成長といった観点からは望ましいことではないが、地球全体として見れば、少子化は望ましいことである。さもなければ、戦争が勃発したり、法定制限年齢を設けるといった、非人道的な方法による人口の削減が必要になる可能性が高い。 

哲学の転換が必要

以上のような事実を前提とすると、地球上の全ての人々に物質的な豊かさは手に入らず、先進国の人々は次第に貧しい生活を強いられることになり、一方、新興国の人々の生活は、現在の先進国並みの豊かさになることは決してあり得ない。 

これは、地球が既に定員を大幅に超えた状態であるということであり、不可避である。皆が豊かに生活するには地球は小さすぎる。  しかし、これは物質的な豊かさに限定した話である。

我々は人生哲学を変える必要がある。物質的な豊かさは望むべくもないが、それでも精神的には豊かになれる。 

精神の世界には限界がない。 数学などの真理の探究、自然保護活動、社会奉仕などいろいろな活動をすることで精神を充実させ、心豊かに暮らすことを考えるべきだろう。 

残念ながら決して生き易い時代とは言えないが、物質的豊かさを皆で追及することは不可能だ。

国際的な協調は可能か?

このように、先進国の生活水準が相対的に下がり続ける状況に置かれれば(今まで、それはバブルによって覆い隠されてきたわけだが)、当然のことながら、国際的な緊張は高まるだろう。どうしても自国の利益を優先しようという国が出てくるのは、当然だ。温暖化などの環境問題、エネルギー問題、水資源などの争奪など紛争の種は際限がない。こういった問題をクリアできなければ、多くの人が餓死したり、環境が荒廃して農地が使えなくなる。森林が荒廃して水資源が失われるといったことが起きるだろう。

残念ながら、長期的な視点を持ち得ない現行の国際政治体制を考えるとき、国際協調体制が出来るには、何等かの悲劇的な事件が起きることが必要なように思われる。いや、旱魃などの気候変動に苛まれているアフリカの現状を見ると、既に人類は、悲劇的な状況に直面している。 今は、先進国がアフリカを見捨てる方向に動いているだけだ。大量の餓死者が出るといった悲劇が、先進国で顕在化することが、人類の覚醒には必要なのかもしれない。

日本でも多くの餓死者が出るような事態ということも、20年程度先には想定すべきだろう。 現在の世論を見る限り、こういった中期的な視点を持っている日本人は極めて少なく、 現在の生活水準を低下させることにさえ否定的な国民が多いというのは、極めて憂慮すべきである。 経済成長の追求も大事であるが、より長期的視点を人類全てが持つべきであることは論を待たない。 我々人類は、存亡の危機に立っていると言ってよい。

人類にとって、平家物語の「盛者必衰の理」が現実のものになる日は、そう遠くない。

補遺:こういった状況を意識することなく、現在の豊かな生活が続けられると考える日本人が多いことに驚きを感じる。 原発再稼働やオスプレイの問題に象徴的に見られるように、日本が現在でも経済大国であり、アメリカの重要なパートナーであり続けられるような錯覚に陥っている日本人が多いことには、危惧を感じざるを得ない。 我々日本人は真剣に生き残りを考えるべきではないだろうか。

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