世界のエネルギー需要と日本の役割 --- 今泉 武男

アゴラ編集部

1.21世紀中盤に向けたエネルギー戦略

2050年には世界の人口は現在の70億人から90億人に増加すると予想される。その大半は新興国であり、先進国並みの生活水準を求めていくならば必要な電気エネルギーも膨大となる。これを安価な石炭火力でまかなうとCO2排出量や大気汚染は悪化の一途となるだろう。核不拡散の体制作りは必要であるが、これを解決できるのは現実的には原子力しかない。人類的課題の解決には先進各国の技術支援や国際協力が不可欠であり、日本が自ら原子力を放棄することは国際的な責任を放棄することに等しい。


2.地球温暖化と異常気象の防止

産業革命以降のCO2増加は人類の活動が地球環境に影響を及ぼす規模にまで拡大していることを示している。地球は過去も気温の上昇や低下を繰り返してきたが、人類の活動はあらたな外乱といえる。自然は一定の恒常性を持つが、ある限度を超えて正のフィードバックが働きだすと制御不能となる。この結末には高温化と寒冷化の両極端の可能性が想定され、気候の激変は干ばつや大規模な風水害、生態系の破壊を招き、世界規模での食糧危機や資源争奪戦、国際紛争等を誘発するだろう。人類は決してこのパンドラの箱を開いてはならない(CO2増加は新興国での発生が大半)。

3.基幹エネルギーとしての原子力

エネルギーは一時も欠かさず安定して供給されることが大前提。基幹電源には安全性・安定供給性・経済性が要求される。今後、原子力の安全性を見直していけば、安定供給性と経済性の要求は必ず解決できると信じる。石炭火力の場合に排出されるCO2の質量と、同クラスの原発で排出される高濃度廃棄物の質量を比較すると原発は数桁少ない。一度大気に放出されたCO2は回収困難だが、高濃度とはいえ圧倒的に少量の核廃棄物は一ヶ所に集中して管理することが可能である。目に見えぬ危険(CO2)に慢心し、目に見える危険(核廃棄物)を過度に恐れるのは合理的ではない。国際社会で協力して地球規模での廃棄物処理に取り組むべきである(例、南極大陸や砂漠地帯の地下数百メートルで集中管理等。再処理が確立すれば廃棄物の量はさらに減少)。

4.低放射線の影響度合いの誤った風説

放射線の影響は直接の被害よりも過剰な避難による精神的・肉体的・社会的影響の方が遥かに甚大である。その根本要因は微量でも影響があるとする線形非閾値仮説(LNT)にあり、これが諸悪の根源である。今後は早急に閾値仮説を国際的に統一して採用すべきである。また、風評被害には隠れた加害者が存在する。マスコミを含めた社会の構成員が、低レベル放射線の被害を信じ、結果的に震災被害者に対して加害者となってはならない。かつて寺田寅彦は『ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎるのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい。』と述べている。良識あるマスコミには人々の不安を煽ることなく科学的な観点に立った考え方や意見を広く報道し、社会を啓蒙する行動を強く期待する。

5.推進派、反対派の無意味な対立の解消

かつて原子力の推進派は反対派の主張に耳を傾けず、絶対安全のプロパガンダを推し進めてきたと見られても仕方がない面がある。一方の反対派も強固な反対のみで、現実的な観点からリスクの総量を減らしていく活動が不足していたのではないだろうか。今後、両者は自らの主義主張のみに囚われず相互信頼によりリスクを最小化する道を歩んでいって欲しいと心から願う。技術自体には善悪はなく、その使い方や管理に善悪があるのである。安全/危険、安心/不安が織りなす平面で、危険領域での安心は危険の見逃しであり、安全領域での不安は不要な心配であることを理性的に理解し、安全で安心できる領域に移行できるよう相互理解に粘り強く取り組んでいきたい。

6.次世代原子力発電への取組み

福島の事故原発は旧タイプのものであったが、もし適切な準備と運用を事前におこなっていれば最悪の事態は防止できたであろう。国会事故調は人災と断定し、政府事故調は断言しなかったが、人的な要因が大きかったことは相違ない。しかし、今後は本質的な安全策を『技術面』から講じることが重要である。AP1000型等の改良例もあるが、炉心構造や燃料技術の革新に取り組み、人々の高い信頼を得る方式を実現して欲しい。今後は廃炉作業や核燃料サイクルへの取組みとともに、次世代原子炉の基礎&応用研究にも戦略的に取り組んで欲しい。

7.原子力安全の世界に向けた発信

日本は不幸にして最初の被爆国となったが、痛ましい体験は核兵器廃絶運動として大きな力となり冷戦後の核使用のブレーキとして国際社会を動かした。福島の事故を原子力の安全面での大きな教訓として位置づけ、世界に向けて発信することが日本の次なる使命である。

今泉 武男(イマイズミ タケオ)
電機メーカー、部長