飯田哲也氏の敗北に思う-「典型的」市民運動の限界

2012年07月29日 23:23

iida期待が失望に変わった

7月29日の山口県知事選挙で環境活動家の飯田哲也候補が落選した。

飯田氏が福島原発事故以降に、反原発、電力会社攻撃の中心的人物になっていたため、エネルギー問題と絡めてこの選挙は語られた。

結果の受け止め方はさまざまであろう。私はそれぞれの意見を尊重するが、私見を述べれば、「典型的」市民運動の限界を感じた。


私は経済記者として活動しながら10年ほど、エネルギー・環境問題を追いかけてきた。反原発運動では、市民科学者の高木仁三郎氏が亡くなった後、その中心になったのが飯田氏だった。

親しい訳ではないが私は3-4回インタビューをした。そして考えは違うが、飯田氏を尊敬、評価した。

3・11までは。

エネルギー民主主義の可能性

エネルギー問題の意思決定に私は疑問を持ってきた。そこには推進する政府・電力会社、反対派、そして大多数の無関心の国民という構造があった。政府、電力会社は「金をばらまく」という単純な解決で反対意見を封じ込め、合意を丁寧に作り上げることはなかった。

反対派には、感情的な面もあり、主に左派系の政治集団の介入など、ゆがんでしまった面もあった。しかし、そこには傾聴すべき点が数多くあった。その中で上記の高木氏などを、私は尊敬している。(私のコラム「市民科学者高木仁三郎氏の再評価」)丁寧な合意を作り上げなかった反動が、今回の福島第一原発事故、その後のエネルギー政策で議論が大混乱した原因になっていると思う。

疑問を持っていた2004年ごろ、飯田氏の著書『北欧のエネルギーデモクラシー』(新評論)を読んだ。当時、深い感銘を受けた。

この本は当時成長を始めた、ヨーロッパの自然エネルギー事情を紹介。北欧ではエネルギー問題で市民が主役になり地域社会で合意を積み上げ、政府や巨大企業と協定を結んで、自然エネルギーシフトが進んだという。さらに風力、太陽光、バイオマスなどの発電でエネルギーの地産地消が進み、電力代金が地域社会で循環。新産業も生まれた。エネルギーによって、市民の自立、そして経済と民主主義の連携が達成された。北欧モデルはEUを動かし、ヨーロッパは環境の理想郷になったと主張していた。そして日本と対比して、エネルギーによる民主主義の再生を訴えた。

エネルギー問題の知識が増えた今となっては、かなり理想化されていると分かる。スウェーデンは原発を維持。デンマークは人口550万人の小国で他国に電源を依存しているのだ。けれども、飯田氏の当時の主張は、それほど色あせていないと思う。私は「これが日本の進むべき道だ」と、感銘を受けた。

思想家転じてトリックスター

3・11以降、飯田氏は時代の寵児になる。弁が立ち、雰囲気も明るい。そして議論を正邪で捉える単純な二分論が横行する中で原発と電力会社を攻撃する彼の姿が目立った。反原発派の論理力は総じて低い。多少まともなことを言う彼に注目の集まるのは当然だった。

ところが私のようにエネルギーの議論を追っていた人間からすると、内容がとんでもないものになっていった。彼は次の主張をした。「近日中に原発の発電は自然エネルギーでまかなえる」「電力は足りている」「原子力ムラの謀略だ」「ヨーロッパは理想の地」「埋蔵電力はたくさんある」。言うまでもないが、全部間違いだったと現時点では明らかだ。

さらに彼はエネルギー関係の政府委員、大阪府市のエネルギー戦略会議などの公職を歴任。現実の政策に悪影響を与えた。その過激な主張によって、それぞれの委員会が迷走したことは、エネルギー関係者の衆知の事実だ。エネルギー問題では、電力会社に協力してもらわなければ何も進まない。そして「協力」は社会人の普通の感覚だ。ところが彼はまず「攻撃」をし、メディアで相手をののしった。これは「活動家」の手法だろう。

驚いたのは彼のツイッターだ。震災前1万以下だった彼のフォロワー数は6万強まで増えた。そこで彼は「原子力部落」という言葉を使った。「やめたらどうですか」とツイッターで返したら、それは消えた。

彼はこの言葉を否定的な意味で使っていた。人権問題を真面目に考える人は、この言葉に込められた日本の恥ずべき歴史、被差別部落問題の根の深さ、被害を受けた同胞の苦しみを受け止め、絶対にこの言葉を公的な場で使わない。軽々しく用いる人の人権意識を疑う。

エネルギー問題は、市民生活の根底にあり、決して「おもちゃ」にしてはいけない。飯田氏はデマとしか言えない情報を流し、その影響力によって社会を混乱させた。その姿はかつて私の尊敬した思想家ではなく、ただの「トリックスター」、つまり物事を混乱させる人物にすぎなかった。彼が注目を集め変わったのか、元からそうだったのか分からないが、私は大変失望した。

政治運動の反面教師として

山口県知事選の詳細は知らない。しかし飯田氏は原発を争点にして戦ったそうだ。対立候補は官僚出身で華がなさそうだが、それでも負けた。

当たり前のことだが、私たちはエネルギーのことだけ考えて生活している訳ではない。日々の生活がある。それだけを主張するのは、人々を動かさないだろう。

そしてこの選挙手法、そして飯田氏の姿には、私がこれまで感じてきた「市民運動」の限界点が共通する。

正義や民主主義を唱えながら自分の主張を押し付ける非民主的行為を繰り返すなど「主張の非一貫性」。

行政批判を繰り返し、理想を語りながら、その実現可能性とコストを考えない「政策論の甘さ」「口先だけの主張」。

まず相手を攻撃し、正邪という単純な二面でしか物事を語らない「稚拙な運動手法」。

市民運動のすべてが、そうとは言わない。しかし飯田氏、そして支持をした人は、なぜ自分たちの運動が社会の大勢とならないかを考えてほしいと思う。上記の特徴は、一部の人が強く主張し、社会に無駄な労力を割かせている今の反原発運動にも当てはまる。

この姿は飯田氏がかつて描写した民主主義の姿とは、酷な言い方かもしれないが真逆だ。そして彼は「典型的」な日本の悪しき市民運動の道をたどってしまった。

飯田氏の敗北という結果、そしてかつて彼の語った理想的なエネルギー政策と民主主義のあり方は、どの政治的立場に立とうと、私たち一人ひとりに反面教師としてさまざまなことを語りかけるように思う。

そして飯田氏がその高い能力と知性を、良き方向に修正して今後も活躍して欲しいと願う。

石井孝明 経済・環境ジャーナリスト ishii.takaaki1@gmail.com

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

関連記事

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑