Dead Krugman, Keynes Alive

小幡 績

嫌だし,カネと時間の無駄だが、仕方なく、KrugmanのEnd this depression now! を読んでいる。

冗談ではなく、こんな本を読むのなら、鬱病の最新の研究書でも読んだ方が断然良いのだが、仕事とはそういうものか。

ちなみに、日本語の本も出ているが、あれは訳ではないので(宇沢氏のように、原文を読まずに訳すのは、彼のような状況に限られるだろう)、Krugman本人の英語で読んだ方が、まだましだ。ちなみに、Krugmanも本を売りたいのか、英語も普通になってきているので、無駄な時間が最小限で済むようになった。

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しかし、冒頭から酷い。

根本的に間違っている。


リーマンショック直後もそうだったが、ケインズを誰よりも押しているつもりなのだろうが、ケインズを読んでいないのか、まったく分かっていない。

ケインズなどの分析を差して

That same analysis tells us what we should be doing our current predicament.

と言っているが、全く間違いだ。

ケインズについては

Keynes’s central dictum:”The boom, not the slump, is the time for austerity.”

と言っているが、いんちき「ケインジアン」(ケインジアン:ケインズのことを理解しているつもりになっているが、本質を全く理解していない自称ケインズ派の学者。ケインズの原典を読んだことがない人も多い)でも、こんな幼稚なことは言わない。

なぜなら、これがケインズの中心的な格言なら、ケインズなどいらないからだ。野田首相ですら知っているだろう。

ケインズの中心命題は、相場観にあり、相場師が学者をやっていることから来ていることにある。

すなわち

「みんなが萎縮しているときには、逆張りだが、逆張りをしてリターンを出すなら、流れが変わるまでやれ」

ということだ。

学者風に言い換えれば、

「経済が縮小均衡に陥っていて、心理的にあるいは将来の期待的に、周りが悲観的になっているから、自分も合わせて悲観的になっているときには、合成の誤謬に陥っているから、縮小均衡から移行するためのきっかけを誰かが作る必要がある。それが政府の財政出動しかない場合もある。」

ということだ。

それは単純なブームとか不況という問題ではない。

構造的にはもっと需要が出てきて良いはずなのに、心理的、あるいは周囲との均衡から悲観的になることが最適対応戦略である場合には、縮小均衡(悪いナッシュ均衡と言っても良いが)を動かしてやるために、何らかの措置をとることが経済にとってプラスになることがあり、今はそうだ。

というのがケインズの主張だ。

そして、ケインズの最も重要な政策的メッセージは、経済理論と経済政策は本にしないほうがいい。パンフレットの方が適している。なぜなら、最適な政策は、環境によってすぐに変わるからだ。ということだ。

だから、彼は、自分の過去の説に固執せず、状況によって、最適な提言を、学派などに縛られず、現実的に次々と打ち出した。

その最後の大きなモノが、たまたま一般理論だったのであり、当時存在しなかった財政政策なのである。

だから、ケインズがもし現代に生きていれば、決して同じことは言わないだろう。

ケインズは生きており、一方、Krugmanは生きながら1930年代に葬られているのだ。