Keynesを理解していないKrugman 第二章 depression economics

2012年08月06日 07:31

Krugmanは本当にKeynesを読んでいるのだろうか。

読んでいて、こんなことを書いているのであれば、実は頭が悪いということになるが、さすがに1990年までの実績から言って、そうではないと思われる。

したがって、読んでいないか、分かっていてあえて間違ったことを言っていることになるが、後者だとすると余りに罪深いだけでなく、すぐに批判されて議論に負けてしまうが、いいのだろうか。

不思議だ。


Depression Economicsと大げさに言っているが、言っていることは2つ。

誰かが消費すれば、それは誰かの所得になるから、経済全体は所得が増える。だから失業は減る。

そんな簡単なことをあえてやらないのは、あほだ。

ということが1つ。

もう1つは、liquidity trapという節も設けているが、マネーをプリントすれば上手くいく。それはベビーシッタークーポンの例から明らか。ただ、FEDが愚かなことに金利がゼロになるまでに追い込まれてしまったから、これ以上金利は下げられず、金融政策は無理だ。だから、財政出動するしかない。そして、それでいいのだ。

ということ。

要は、日本のキワモノ リフレ派や財政大量出動派と同レベルで、知的なふりをしている分、日本のリフレ派や財政出動派の方が、よっぽど面白くて爽快で、暇つぶしには向いている。

まあだから、こんなエントリーを設けるのも馬鹿馬鹿しいが、せっかくだから、学問の話もしよう。

Liquidity trapの意味を取り違えてKrugmanは使っている。まあわざとというか、読者は一般人だから馬鹿にして書いているのかもしれないが、ここでは彼は、中央銀行がゼロ金利に追い込まれて、失業が残っているのに、金融緩和したくてもゼロ制約で出来ないということを指している。

これはLiquidity trapではない。

そもそもKeynes自身はLiquidity trapという言葉を使っていないという話は、いろんなところで何度もしてきたが、本当のliquidity trapとして意味があるのは、貨幣保有の話である。

つまり、貨幣は保有コストがある。2%の債券があれば、それを持たずに貨幣を保有すると言うことは、2%の利子を得る機会を失う、ということだ。

ここで経済を活性化して金融緩和を拡大するために、金利を下げ、債券の利回りが1%となると、貨幣の保有コストがますます下がり、貨幣から債券に乗り換える理由がますますなくなるから、貨幣保有は増える。だから、金利は下がるが、マネーはリスクテイクによる投資に向かわない。これがLiquidity trapだ。

そして、Keynesが万が一、どうしてもLiquidity trapという話をしなければならない、と言われたらするであろう話は(つまり、ケインズの一般理論の本質に近い議論は)、

債券が安全資産だとすると、債券の利回りの下限が例えば2%(現代風に言えば0%でいいのだが、ケインズの当時はそれが2%程度)になったとすると、それ以上値上がりしないから、保有する理由はなく、売ってリスク資産にカネを回しそうなものであるが、まだリスク資産が値下がりを続ける、投資のリスクを取るのは(金融投資にせよ実物投資にせよ)まだ早い、流れができてから、相場師的には、相場が底を打ったのを確認してからで遅くない。だから、これ以上値上がりはなくてもリスクフリーの債券を持ち続ける。それで、次の投資機会を待つ。みながそうしてしまうと実際リスク資産はまだ値下がりを続けるから、この判断は結果的に正しい。

という感じになるだろう。

***

この関連でKrugmanはケインズのことば ”magneto trouble”を多用しているが、これも分かっているのかどうか怪しい。

Krugmanは例として、バッテリーだけが駄目になったときに、バッテリーを換えれば自動車はすぐに動くのに、バッテリーではない、と最初に言ってしまった夫は、妻にそう言われても、意地でも認めず、車自体の問題だ、エンジンが、あるいは本質的な部分が致命的にやられている、と言い張って、車を無駄にする、という話を挙げている。これが経済でも起きており、財政出動さえすれば、経済全体はすぐに回るのに、ムキになって、それをしようとしない、と言っている。

magneto troubleはもちろん、ケインズは、何かきっかけがあればほとんどの経済主体が投資や消費に動きたいときに、周りの動向を見て、それに合わせて萎縮している、そのときに、きっかけ、火をつけるきっかけが必要で、それが財政出動だ、ということだが、現在は、本当にそういう状況か。

財政政策をある程度やっても火がつかないとすれば、それはさらに火をつけるのではなく、別の構造の問題だろう。財政出動の規模が足りない、需要が足りない、というのは、火をつけることではなく、足りない需要を政府支出で埋め合わせることであり、きっかけではない。Krugmanの求める財政政策はこちらだ。

Krugmanの財政出動とKeynesの財政出動とは、全く異なるものなのであり、似て非なるモノからかなり遠く、ほぼ無関係だ。

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