中国国歌にみる国威発揚の場としての五輪 --- 半場 憲二

アゴラ編集部

ロンドン・オリンピックが開催されています(7月27日から8月12日まで)。
7月31日、私は中国CCTVの中継で男子体操の部、期待されていた日本人選手団が第二位となり、表彰台の中央に中国人選手団が並び、表彰式のメダル授与後、涙目で選手が国歌斉唱している姿を見ました。


その後、日本人選手に個人優勝の功績がないわけではありませんが、日本人の敗北をここでも見せ付けられたような気がして、私は悔しさに包まれました。
翌朝インターネットで確認すると、8月1日現在の金メダル獲得数は中国がトップでした。その後も中国人選手たちの躍進が続いています。

2008年北京オリンピックからちょうど4年が経過した8月8日現在、 金メダルの獲得数第一位は中国(36、合計77)、アメリカ(34、合計81)、イギリス(22、合計48)です。この際、いい機会ですから、中国の国歌を見てみましょう。

《中国 国歌》

  起來!不願做奴隸的人們! 
(たちあがれ!奴隷になるのを望まぬ人びとよ!)
  把我們的血肉、築成我們新的長城! 
(我らが血肉で、新しい長城を築こう!
  中華民族到了最危險的時候、 
(中華民族に最も危険が迫ったとき)
  ?個人被迫著發出最後的吼聲。 
(一人ひとりが最後の雄叫びをあげよ)
  起來!起來!起來! 
(起て!起て!起て!)
  我們萬眾一心、 
(我々は心を一つにして)
  冒著敵人的炮火、前進! 
(敵の砲火を冒し進め!)
  冒著敵人的炮火、前進! 
(敵の砲火を冒し進め!)
  前進!前進!進! 
(進め!進め!進め!)

作詞者は《田漢》という人で中国戯劇家の父と言われています。1917年に日本に留学、東京高等師範学校に学び、郭沫若と親交を結び帰国した後、1921年、郭沫若らと新文学団体「創造社」を結成します。
国民党当局に逮捕された《田漢》が獄中から送った歌詞に、聯華映画会社の音楽主任(共産党員)の《聶耳》がメロディーをそえました。
日本に亡命中の聶耳が1935年の抗日映画『風雲児女』の主題歌「義勇軍行進曲」として書き上げましたが、その後、文化大革命で田漢が失脚したため、国歌の扱いを失います。

しかしながら「義勇軍行進曲」は多くの民衆に歌われたため、1949年の中華人民共和国建国の際、正式に国歌とされ、文化大革命の総括と名誉回復後、1982年の人民代表大会で原詩の「義勇軍進行曲」が国歌として復活したのです。

私は7月の初め2週間ほど上海にいました。1980年代生まれの親しい中国人に「中華民族到了最危險的時候、这什么时候?(中華民族に最も危険が迫ったとき。これはいつ?」と聞いてみました。
間髪入れず「日本と中国が戦争したときだろう」と答えました。

歌詞の中に「奴隷になるのを望まぬ人びとよ!中華民族に最も危険が迫ったとき、敵の砲火を冒し進め!」と威勢のいい言葉がたくさんあることに気づかされます。

江沢民が訪日したときの早稲田大学での講演のタイトルは、『歴史を鏡として、未来を切り開こう』でしたが、「歴史を鏡とする」というなら、日本は蒋介石の率いる国民党と戦いましたし、文化大革命では大勢の中国人民が中国共産党によって抹殺されていますから「中華民族に最も危険が迫ったとき」とは「毛沢東政権時代の頃だ」「文化大革命の頃だ」と再教育される必要があると思います。

しかし、それでは中国共産党の正統性が問われてしまいます。身内の恥をさらすわけにもいかないでしょう。こうして今も中国国歌の根底には日本に対する徹底抗戦の意識―反日、中国語では抗日(Kang Ri)が貫かれたままでいるのです。

反日国歌がこだまする―。これがロンドン・オリンピックの現状です。

オリンピックはスポーツの祭典と言われますが、多くの参加国にとっては国威発揚の場です。日頃スポーツに興味を持たない私でも、日本選手が活躍し、世界の選手たちと伍して戦う姿を見て応援しますし、日本人選手が表彰台に立ったときは嬉しいものです。韓国人選手の「抗議?」「おねだり攻撃?」による特別メダルの獲得には驚きましたが、それくらい背負うものがあるということでしょう。

中国の国歌が流れるということは、中国共産党の正統性を世界に喧伝する格好の舞台となります。

選手たちは日々の過酷な訓練の上、大きなプレッシャーを持って競技に挑みますから、これ以上の重荷を与えるのは酷な話かもしれません。ただライバル国の国歌がこのような意味を持っていたとわかれば、国際競技大会・オリンピックに出場する大目標ができ、表彰台に立ったときの喜びも、ひと味違ったものになるのではないでしょうか。

半場 憲二(はんば けんじ)
中国武漢市
武昌理工学院
教師