近未来を予測した行動の必要性ー環境問題をめぐって

2012年08月20日 09:32

人類の最大の弱点は、有史以前から本質的な進化がなく、長期的な視点を持った行動ができないことである。 これを戒める諺に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というものがあるが、時間軸が過去に偏っているきらいがある。ここでは、近未来を予測した行動の重要性を、環境問題の例を挙げて訴えたい。


ボシュの見た世界

フランドルの画家 ボシュ(Hieronymus Bosch,1450頃-1516)は、 人間の原罪を一貫して描いた画家であるが、その冷徹な観察眼、洞察力、空想力には圧倒される。その作品は、創世、爛熟と頽廃、地獄の3つの部分からなるものが多い。つまり、創世期には純真無垢だった人間が、その繁栄とともに堕落してゆき、最後は地獄に突き落とされるという筋立てになっている。

ボシュの筆致の最も冴えわたるのは、地獄であり、そこでは奇想天外な怪物が、人間たちを、これでもか、と苛む有様が克明に描かれている。

さて、話を現実の世界に戻そう。現在の世界を見渡すと、人類は繁栄を謳歌している。まさに、ボシュの画の爛熟期である。 しかし、人類の活動は、ボシュの画と同じく、無軌道になっていないだろうか? そして、やがては世界が、ボシュの画が暗示するような地獄に一変する可能性はないのだろうか? 

環境指標生物としての昆虫が予言すること

我々人類にとって、地球環境の荒廃は、その存続を危うくする大きな問題である。 その意味で、自然の変化の予兆を知ることは重要であるが、特に、昆虫は、環境の変化に応じて簡単に移動するため、その分布を知ることで、環境の変化をいち早く知ることができる。 その中でもチョウは目に付き易いため、環境指標生物として有用である。 

日本自然保護協会が昨年行った調査では、南方系のチョウ(ツマグロヒョウモン、ナガサキアゲハ、ウラギンシジミ、アオスジアゲハなど)の分布の北上が観察される一方、北方系のクジャクチョウの分布が愛知、富山両県から確認できなかった。

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ここに写真を提示した暖地性のチョウ、ツマグロヒョウモンも1970年代までは、近畿地方以西にしか分布していなかったが、現在は都心でも普通であり、山岳部でも多くの記録がある。

この調査に表れない種でも、かなりの種(ヤクシマルリシジミ、サツマシジミ、クロコノマチョウ、ムサラキツバメなどの南方系の種)の分布の北上が観察されている。 この現象は市街地のヒートアイランド現象も影響しているものと考えられるが、クロコノマチョウのように、それとは無関係と見られる事例も多い。

また、最近では特に草原性のチョウの衰亡が激しく、絶滅寸前といった種も見られるようになって来ており、しかも分布域の南から順に消滅する傾向にある。

こういった現象は、ほとんどの人たちには、気付かれず、見過ごされており、重要性も低いものと思われている。 

このように、昆虫の多くは飛翔能力があるために移動が容易で、食餌植物さえ存在すれば、簡単に分布を変える。 これは樹木のように分布の移動が、最大でも年に、数十メートルといった生物とは比較にならない。 実際、上にあげたチョウの中、例えばナガサキアゲハは昭和初期には九州においても北部では稀であったとされ、80年代に漸く瀬戸内海北岸に定着したのが現在は関東地方全域で普通となっている。 

南方系のチョウの分布の北上は、環境が既に変化しており、やがて植生など生態系全体が、それに合わせて変化してゆくことを示唆しているものと考えてよい。

今見ている自然は残像

このような昆虫の分布の急激な変化は、何を意味するのだろうか。 

それは一言で言えば、今、我々が見ている自然は、残像に過ぎず、やがて急激な自然の荒廃が訪れるということだ。 

実際、ゆっくりではあるが、植生は変化している。特に、草原の植生の変化は速い。 この変化はやがて森林の植生の変化に波及し、植生全体を大きく変えるだろう。 それは避けられないと考えられる。

例えば、広島県の芸北山地においては、湿地の面積が1950年時の半分以下に縮小している。 植生の変化は著しく、草原の乾燥化が止まらず、湿性草原は急速に消滅しつつある。その原因は詳細は不明なものの、冬の降雪の減少など、温暖化と無関係ではないだろう。何れにしろ、山全体の乾燥化が起きている(注)。

さて、現在の「残像」を超えた先には何があるのだろうか。 それは、簡単に言えば、日本の山が禿山になるか、そうはならないまでも、ススキ原の中にまばらに樹木が存在するような状況になるということである。 なぜなら、植物の移動速度より環境の変化の速度が遥かに早く、現在、生えている植物の多くは、消滅するだろうからである

実際、環境省の予測では、今世紀中に本州からブナ林は、姿を消すとされる。これは、東京都の三頭山のブナ林で行われた実生木の調査でも裏付けられている。実生木が非常に少なく、三頭山のブナ林は、正に「残像」であることが裏付けられた形である。

森林の消滅が意味するもの

森林の消滅を避ける方法は、今のところほとんど存在しない。なぜなら、生態系は極めて複雑であり、それを人為的に制御する方法は(おそらく今後とも)存在しないからだ。  植林といった簡単な方法では、森林を復活させることは難しい。 これは大台ケ原のヒバの植林などで実際に確かめられている。

森林が消滅すれば、山の保水力は大幅に減少、水不足が深刻化し、これは食糧生産を困難にするだろう。

私は、環境の激変で今世紀中に人類が急激に減少するか、絶滅する可能性が高いと考えている。我々が本当に恐れるべきものは、環境の変化ではないか。

今、目にする自然が残像に過ぎないことを自覚し、環境問題について、考えを深めるべきだろう。 

(注) 私は過去20年以上にわたり、毎夏、広島を訪れ、チョウ観察を通じ、自然環境の変化を肌で感じてきた。

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