求められる衆愚政治からの脱却

2012年08月31日 09:11

最近の日本の政治情勢を見ていると、政治家は機会主義、国民は原発の恐怖からの逃避など、衆愚政治に陥っているように思います。

国民のレベル以上の政治家を持てない、とよく言われます。 

国民が正しい判断力を持つだけでなく、ある程度、利他的な行動を取らない限り、衆愚政治に陥り、不合理から大きな不利益を被ることになります。

ここでは国民がどういう意識で政治に関わるべきか、考えてみたいと思います。


政治の役割は判断を誤らないこと

多くの国民にとって、政治に期待することの第一は、経済の活性化でしょう。

しかし、それは期待してはいけないことです。新興国の工業化で資源、エネルギー、食糧価格が急上昇しています。例えば、石油価格は90年代始めに対して現在は円換算で約4倍で輸入額は急増しており化石燃料輸入額は20兆円以上増加しています。

原油輸入額の推移(1980~2012年) - 世界経済のネタ帳

日本の名目GDPはその間、ほぼゼロ成長ですから、我々の給料が減るのも当たり前のことです。

世界の資源、環境は有限であり、それを台頭してきた新興国と先進国が分け合うのですから、世界全体の経済成長は限定されたものになり、新興国の成長は先進国より高いのですから、趨勢として先進国の国民の生活水準は、これからも下がり続けるのです。日本人が海外の人たちと比較して優れているという保証はどこにもない以上、これは受け入れるしかありません。

政府の成長戦略に期待する人もいるでしょうが、こういった政府主導の経済成長が実現したことはありません。政府に国民を豊かにする力はないのです。豊かさを得るのには、国民一人一人が努力する以外に手段はないのです。

政治に期待すべきなのは、財政や社会保障の安定、公正な競争、安全保障といった、国民の生活の基盤を維持、整備したり、富の再分配をすることだけです。

このように、政治に経済の活性化は期待できない一方、政治の舵取りを誤れば奈落の底へという状況です。 原発の再稼働、財政破綻の防止、TPP加盟などグローバル化への対応など喫緊の課題が山積し、対応を誤れば、その不利益は測り知れません。 政治の役割は、何よりも判断を誤らないことだといえるでしょう。

衆愚政治に陥っている日本

このように現在の日本は大きな課題をいくつも抱えていますが、正しい政治判断が出来ているとは思えません。衆愚政治に陥っているように思われます。

衆愚政治とは、国民が個人の合理性を優先するために、国家の合理性を損なう政治が行われることを言います。 

典型的な例を挙げると、高齢者にとって、社会保障の切り下げに反対することは、個人の合理性に叶っていますが、若者にとっては、社会保障を切り下げて、社会保障の持続性を担保した方が合理的です。 現在は、高齢化が進行し、若年層が少ないので、個人レベルの合理性を優先すれば、社会保障の切り下げを行うことは極めて難しい。しかし、国家として合理的なのは社会保障の切り下げであることは、社会保障の持続可能性を考えれば明らかです。。

このように、国民がたとえ、愚か者でなくても、国民が、個人の合理性を優先させてしまえば、国家にとって不合理な政治が行われるわけです。

個人の判断を狂わせるバイアス

上の社会保障の例では、削減に反対する高齢者の行動は、個人としては合理的だといえますが、もっと深刻なことに、個人の判断には、様々なバイアスが掛かり判断を誤らせます。 

ここでは、このようなバイアスを分類し例を見てみましょう。

(1) 情報のバイアス:米軍基地の問題や、原発の問題を考えましょう。こうした問題では、個人が受け取る情報には大きなバイアスが掛かります。 即ち、米軍基地にしろ、原発の問題にしろ、反対を叫んでいる人たちのことがニュースで取り上げられがちであり、ほんの一部の人たちしか反対していなくても、反対派の声は大きく感じがちだということです。 

同じように、尖閣諸島を巡る領土問題で、反日デモがニュースで取り上げられますが、これを見ると多くの日本人は、中国全体が反日で固まっているように感じるでしょう。 しかし、そんなことは全くないようです。中国の友人に聞くと、「みんな日本人のこと大好きですよ。デモ隊? 我々の人口がどれだけか知っていますか? 13億ですよ」と言われましたが、こちらの方が真実に近いでしょう。

(2) 合意の困難さや不快の回避によるバイアス:情報のバイアス以外にも大きなバイアスが掛かります。個人が、合意の困難さや不快を回避したいという欲求からくるバイアスです。

原発と米軍基地を例にとって考えてみましょう。

原発があると周辺の人たちにとっては心配ごとですし、米軍基地があれば騒音の直接的被害だけでなく、事故、米兵の起こす事件といった心配ごとが増えることになります。 こういう問題は、原発や米軍基地から遠く離れた人たちには関係ありません。しかし、誰しもが、一部の人たちにそういった迷惑施設を押し付けてよいものだろうか?、とは思うでしょう。 つまり、誰かに面倒を押し付けるという後ろめたさ(=不快)を回避したいという力が働くわけです。 

勿論、原発の建設や運転には協力した自治体に交付金が配分されますし、沖縄の場合にも手厚い補助金を受け取っているのですから、実際には、迷惑施設の受け入れを単純に押し付けているわけではありませんが、迷惑施設の周囲の住民のことが気になるのは、当然のことです。 しかし、そのことで国家として不合理な判断を行えば、結局、国民全体が不幸になります。

(3)恐怖からの逃避: 原発や放射能への恐怖は根強いものがあります。実際には死者が一人も出ていないのに、福島第一発電所の事故の恐怖から、原発の危険性は過大に評価されています。その結果、原発再稼働が先送りになり、年間3兆円以上の国富が流出し続けています。 しかし大衆は脱原発に賛成のようですし、政府も専門家でもない大衆の意見を尊重する雲行きになっています。 

(4)機会主義: これも良く見られる現象です。前回の衆議院議員選挙で、民主党がどのような政治をするのか、恐らく国民の大半は分かっていなかったし、マニフェストの実現性を信じていた人は少なかったでしょう。それでも民主党に投票した人が多かったのは、機会主義的行動だと言えるでしょう。 

自民党の問責決議案賛成やみんなの党が大阪維新の会の連携を図るなど機会主義に政治が陥っていますし、
確たる論理もなく、大阪維新の会を持ち上げる、機会主義的な経済学者など、機会主義的傾向は益々ひどくなっています。

(5) 課題の先延ばし: 財政再建が必要なのは分かっており、それが避けられないことも分かっている。しかし、国民は意識的にそれを無視してきました。その先にあるものは、財政破綻なのか、財政再建なのか、どちらなのでしょうか。

(6) 想像力や長期的視点の欠如:地球温暖化の問題は非常に深刻であり、、食糧生産も限界に近づきつつあります。このまま進めば、恐らく今世紀中にも人類は絶滅するかもしれません。

こういう大きな問題にも関わらず、深刻に考えている人が多いようには見受けられません。IPCCが今世紀中に3℃程度の気温の上昇が起きると予測していますが、きちんとした根拠もなく3℃程度では、大したことは起きないと言う人がいます。 

これは双曲割引と科学的知識や想像力が欠如しているからでしょう。 昨日も「溶け出す北極圏のCO2と南極圏のメタン、温暖化の悪循環にも」というニュースがありました。 危機は迫っています。 我々はもう少し、時間軸を長くとって物事を考えるべきでしょう。

国民の意識改革の必要性

現在の日本の政治を見ると、上に述べたバイアスにより国民が判断を誤っており、国民が個人の合理性を重視しているために、典型的な衆愚政治に陥っているものと判断せざるを得ません。衆愚政治から抜け出せないのは、政治家が無能だということもありますが、一義的には、国民の責任であると思います。 そこで国民は、次のような姿勢を持つことが大事ではないかと思います:

1. 政治に対して当事者意識を持つ:国民全員が政府に何かをしてもらうというスタンスでは国は滅びます。当事者意識を持つことが大事です。

2.日頃から自分の判断に疑問を持つ:分かっていないことは罪ではありませんが、分かっていないことを、自覚できないことは罪なのです。上に述べたバイアスを除いた、補正された目で物事を判断すべきでしょう。 他人の判断に任せることなく、自分の頭で考えることです。

3.個人のことだけでなく、ほんの少しでも社会のことを考える: 世代間格差などこれがなければ解決できません。 ある程度の利他的行動がなければ、社会は混乱するでしょう。

いろいろな意味で世界は今、困難に直面しています。 経済成長が当たり前になったのは実はそれほど昔のことではなく、今また、それが当たり前でなくなろうとしているように思います。 意識改革をして、困難を乗り切ってゆけたらと思います。 それができないのであれば、機械的に財政再建や社会保障の削減を行う法律を制定するなど、民意を制限すべきでしょう。 

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