反原発デモ、広がる波紋 -結末見えない行進の先にあるものは?

アゴラ編集部

反原発を訴えるデモが東京・永田町の首相官邸、国会周辺で毎週金曜日の夜に開かれている。参加者は一時1万人以上に達し、また日本各地でも行われて、社会に波紋を広げた。この動きめぐって市民の政治参加を評価する声がある一方で、「愚者の行進」などと冷ややかな批判も根強い。行き着く先はどこか。

001

(写真1)風船を掲げるデモ(東京・首相官邸前、8月)(筆者撮影)

構成・石井孝明 アゴラ研究所フェロー


政治的背景が見えない「祭り」

「さ・い・か・ど・う・は・ん・た・い(再稼動反対)」。ドラムや拡声器の先導に合わせて、周辺の歩道を埋め尽くした人々が叫び続けていた。時おり「原発反対」「子供を守れ」などに叫びは変る。そして官邸近くでは参加者が順番に演説をしていた。「野田首相は、日本の未来を考え、原発を止めてください!」。

6月29日、そして8月31日の金曜日に筆者はデモを取材した。参加者には60歳以上と思われる初老の男女が目立つが、会社帰りのサラリーマン、親子連れなどいろいろな立場の人も混じっていた。

官邸前デモは日本各地でのデモと連動して行われている。参加者の実数は不明だ。官邸前に集まった人は7月には一時20万人を超えたと主催者は発表したが明らかに多すぎる。メディアの伝えた警察情報によれば最大で1万人強。ただし8月のデモでは以前と比べて参加者は減っていた。

デモ主催者は首都圏反原発連合という複数の反原発団体の集合体だ。「原発だけに主張は限って。その他の政治主張、自分の団体の広報は、終わってからどうぞ」。8月のデモは主催者の誘導で統制されていた。

「デモは過激なもの」という先入観を筆者は抱いていた。しかしここに緊張感はなく「祭り」のような印象を抱いた。またデモは官邸前の一角だけ。坂を下りれば東京のオフィス街の日常があった。政治団体や労働組合の旗は目立たなかった。参加していても、一般の人を前に出しているのかもしれない。

怒りを共有、「その先」は見えず

6月の取材では、2人の声を聞いた。さいたま市の商店経営の女性(64)は近所の原発勉強会の仲間3人と来たという。このデモを参加者は「あじさい革命」と自称したが、それが書かれた自作のプラカードを掲げていた。「国民の意思に反して再稼動や増税をするなんて許せない」。新聞報道が参加のきっかけだ。

千葉市から来た男性会社員(28)は会社が早く終わったから参加したという。「何かがしたかった。このまま原発が動くのは事故を経験したのに嫌だ」と話す。フェイスブックで知ったそうだ。

8月のデモで話を聞いた男性(63)は40年前に学生運動に関わったという。「日本は変らなかった。だから今変えなければならない」。退職後はいくつかのNPOに参加しているという。

デモに来たきっかけはさまざまだが、参加者は原発と政府への不信感に満ちていた。6月のデモでは「政府は嘘をついています」と女性は話した。8月のデモでは原発停止の負担を聞くと、男性は「原発は事故になる安全のため負担は当然だ」と述べた。

しかしどの人の先にもデモの行く末を考えていなかった。28歳の男性会社員は「先のことは分かりませんが声を上げなければ」と応じた。

別の意見もある。あるメーカーの技術者はデモに共感を持ちながら6月に見学に行ったという。原発事故での政府と東電の対応に腹を立てたためだ。しかし活動家と思える人が口汚い言葉で政治家をののしり、閣僚たちの「遺影」をつくり飾っていたことを見て幻滅を感じた。「原発に反対でもこの形のデモには行かない」。

受け止め方は人それぞれであろうが、このデモで延々と繰り返される「反対」の叫びを聞いていると「何の意味があるのか」と徒労感や無力感を、筆者は感じた。デモの行く末に結末が見えないためだ。

002

写真2・歩道からあふれたデモ(東京・首相官邸前、6月)(筆者撮影)

民意におもねる政治の混乱

民主党政権は福島の事故の後で、原発・エネルギー政策で迷走を続けている。原発事故に直面した菅政権は、法律に基づかない安全検査の強化を要求。そのために定期検査で止まった原発の再稼動が遅れた。7月には関西電力大飯原発(福井県)の2基の稼動が近畿圏の電力不足を回避するために行われた。それ以外の48基は再稼動のめどが立たず停止したままだ。

菅直人首相(当時)は民意を聞くとして昨年7月に国民とのエネルギー対話を行った。また今年8月に古川元久国家戦略担当相はエネルギー・環境会議で、2030年の原発の発電比率について原発ゼロを含めた3つの選択肢を示し、パブリックコメントを募集した。それを受けて野田政権は14日、「2030年代に原発ゼロ」という方針を、公表した。(エネルギー・環境会議文章「革新的・エネルギー環境戦略」)

政府が民意を集めるという取り組みは評価ができる。しかし百家争鳴状況に陥り、「まとめる」ことが難しくなった。政治家は選挙を恐れ、経済界はビジネスへの影響を懸念し、専門家は批判を恐れて口をつぐんだ。

関係者の間に沈黙が広がる中で、少数者であっても意見を押し出したデモが社会の中で目立ってしまう。そしてデモが政治プロセスの中で、影響とまではいわないまでも存在感を確保することになった。これは最近の日本ではなかったことだ。

野田佳彦首相は8月22日に首都圏反原発連合の代表者と30分ほど面会した。そこで野田首相は会談で、再稼動と原発は日本経済のために必要と強調。一方この首都圏反原発連合は首相に再稼動反対の意見書を提出した。こうしたデモの代表に首相が会うことが異例だ。

003

写真3)野田首相と面会した反原発デモの代表(首相官邸提供)

デモには政治家の参加も目立つ。総選挙が近いために世論受けする「原発ゼロ」の主張に共感の姿勢を示すのだろう。特に少数政党の「国民の生活が第一」「社会民主党」などの議員がいた。また批判を受けて退陣した鳩山由紀夫、菅直人の民主党の元首相2人もデモに参加した。

その鳩山氏は「エネルギーは既得権益と国民の新たな戦いの場」と、9月の講演で語った。複雑なエネルギー問題を彼は善悪二分論で語ろうとしている。非常に危険な発想だ。間近に迫る総選挙を前に、国会議員は民意におもねる行動を繰り返す。

新しい民意集約への期待も

一連のデモはなぜ注目を集めたのか。理由は複合的だが、主因は福島原発事故への怒りと政府・東電への不信が社会に満ちていることだろう。これがデモへの共感を広げた。

そしてこれまでの歴史の積み重ねも影響している。日本のエネルギー政策、特に原子力政策の決定は、合意を丁寧に積み上げなかった。また草の根の人や批判的な意見を取り込む仕組みがなかった。

筆者が福島原発事故前に原子力の「推進派」に分類される経産省、電力会社、学者の話を聞くと、批判への警戒が根強くあった。「男が正しいことをやっているのに、ののしられるくやしさが分かるか。冷静ではいられない」。電力会社の原子力担当の副社長が、批判派との折衝を苦々しげに10年前に語っていた。

推進者が反対派との対話を拒絶する姿勢は福島原発事故の一因になった。政府や国会などの事故調査委員会が、原発事故を多様な角度から分析して、報告書を公開している。そこで見えたのは推進したエリートたちの独善性だ。

こうした中で福島原発事故が起こってしまう。広がった放射能漏れ、そして健康被害への不安。怒りを向ける場のない中で、人々がデモをすることは当然であろう。

さらに新しい動きや社会の潮流がある。ツイッター、フェイスブックなど新しいソーシャルメディアの成長で横のつながりが産まれて人々が情報を共有した。強権的な政府を倒す原動力となった「アラブの春」、アメリカの「ウォール街を占拠せよ」などは新しいメディアが重要な役割を果たした。日本の反原発デモでも、この新しいつながりを契機に参加をした人は多い。

デモを支持する意見はいわゆる左派系の「進歩的文化人」に広がる。作家の高橋源一郎氏は朝日新聞(8月30日)で「新しいデモ-変える楽しみ 社会は変る」とする時評を寄稿。評論家の柄谷行人の雑誌『世界』(12年9月号)の言葉「デモで社会は変わる、なぜなら、デモをすることで『人がデモをする社会』に変るからだ」という言葉を引用しながら、新たらしい場の創造を期待していた。

しかし、そのもたらす結果、具体的な対案については明確な姿を、こうした文化人を含めて誰も描いていない。

今こそ建設的な政策論が必要
 
しかし経済面、エネルギーの安定供給という視点から考えると、原発ゼロは現実的に困難だ。野田政権は「2030年代の原発ゼロ」を打ち出したが、具体策はゼロ。大半の政治家も、官僚も、電力会社も沈黙で応じている。実現可能性のある対応策が少ないためだ。

原発を止めた結果、2011年度に電力会社9社は火力による発電を増やした。その結果昨年は3兆円、今年はそれ以上の天然ガス、石油の購入費用を追加で負担した。電力会社は軒並み赤字・経営危機となっており、この負担はいずれ利用者である国民、企業が値上げの形で支払うことになるだろう。

無資源国の日本はエネルギーの95%を外国から輸入する。大量に電気をつくる原発の代替策は今のところない。再生可能エネルギーの成長には時間がかかる。ところが電気を安く、安定的に使うことを企業も多くの国民も求める。

こうした現実を受けて世論は割れている。デモは民意を正確に反映したものではない。例えば読売新聞が7月に実施した世論調査では「2030年の電源に占める原発比率をどうするか」という問いについて、「ゼロ」が29%、原発事故前の半分程度の「15%」が46%、事故前程度の「20~25%」が17%という形になった。

シンクタンクのアゴラ研究所、池田信夫所長は日本がいま直面している最大の危機は「明日は今日より貧しくなるということ」と指摘。産業競争力の低下や、財政危機の中で「エネルギー供給を止め、国民負担を増やせというのは、おかしな主張。反原発デモは、豊かだった日本の最後の愚かなエピソードとして記憶されるだろう。愚者の行進だ」と切り捨てる。

デモは政治の不作為をも示している。日本には多くの問題をはらむものの既存の政治体制がある。それが民意を適切に集約できないことが、デモの一因だろう。そのデモを政治家が賞賛する奇妙な行動もある。

「「民意に従う」と政治家は言う。一方、民意を先導すべき時に政治家が大衆迎合し、専門家が沈黙したために滅びた愚行の先例に人類の歴史は満ちている。大衆は自分が求めるものの代償が何かを必ずしも自覚せず、現実を見て初めて「そうだったのか」と気づく。(中略)今目覚めなければ、日本は亡国の世界史に新たな一ページを加える」。

JR東海の葛西敬之会長は、9月7日の読売新聞への「国益に背く「原発ゼロ」」という寄稿で、決められない政治への懸念を示した。

原発事故への怒りは誰もが持つであろうし、デモによる意見表明をする人も当然の権利だ。しかしエネルギー問題ではこうしたデモの作り出した波紋が政治家の責任放棄、関係者の萎縮を生んで、「何も決められない」状況を作り出している。

建設的な対案、そして新しいエネルギー供給体制に必要な対話と実行が、このデモの先に必要ではないだろうか。