「自然」という贅沢品

2012年09月23日 09:29

きのうの和郷園のツアーは、予想以上の参加者が集まって大盛況だった。意外にもほとんどが若い人で、農業を新しいビジネスとして考えているのが印象的だった。

和郷園は一般には「自然循環型農業」として知られているが、現場を見ると普通の農家より機械化・合理化している。農薬は最小化しているが、いわゆる有機農業ではない。しかし彼らは品質管理を徹底し、「国産の安心」をセールスポイントにして生協などに売り込んでいる。価格だけで競争すると、輸入農産物には勝てないからだ。


エコロジストを自称する人々は、有機農業や無農薬栽培で「自然のまま」に栽培することが善だと信じているのかもしれないが、本当に無農薬にしたら農作物は壊滅して生活は成り立たない。よくも悪くも、もう日本には「ありのままの自然」なんてないのだ。それでも人々は自然を求め、「安心」な農産物にはプレミアムを払うから、和郷園では農薬を減らし、手間をかけて品質管理する。つまり自然とはありのままの状態に戻ることではなく、普通の農業より高コストの贅沢品なのだ。

「古代には人々は平和に暮らしていたが、文明によって堕落した」という歴史観は、創世記から反原発派に至るまで、ありふれたお伽話だ。たとえば梅原猛氏はこう書く:

政治家、実業家、学者、芸術家などの多くが、道徳心を失っている。特に政治家は、金銭欲、権力欲にとらわれ、私的利益ばかり追っている。[・・・]今回の事故は、あらためて近代文明の是非を問い直し、新しい文明を作るきっかけにもなるのではないか。まずは日本が率先して原発のない国を作り、それを世界に広げていくべきだと思う。

和郷園の人々は、こういう通俗的な「エコ」をまったく語らない。彼らは「ありのままの自然」がきわめて人工的な製品であることを知っているからだ。7人が死亡した浅漬けの事件にみられるように、加熱・殺菌を省いて「自然のまま」加工した食品のほうがリスクが大きい。

梅原氏の語るようなロマン主義は、世界の自然を大規模に破壊した西洋人が、その罪を糊塗するために語る裏返しの自民族中心主義である。彼らは文明の中に住みながら、自分と無関係な自然だけは保存せよという。彼らは原子力が「自然エネルギー」ではないというが、太陽光発電こそもっとも人工的で高価なエネルギーだ。

こういう思い込みとは逆に、自然のままの人類は激しい戦いを繰り返していたが、国家によって戦争を抑制したのだ。そして核兵器は、結果的には史上最長の平和の時代をもたらした。それはもちろん自然ではないが、われわれはどんな時代よりも安全な社会に住んでいる。必要なのは「自然に帰る」ことではなく、自然をコントロールすることなのだ。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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