一杯のコーヒーの付加価値はどこにあるか --- 岡本 裕明

アゴラ編集部

日本では100円台でおいしいコーヒーが飲める店が増えてきているそうです。いわゆるバリューコーヒーブームの火付け役はマクドナルドと断言してもよいかと思います。そんな中、スターバックスも売り上げを伸ばしており市場の二極化が進んでいると見てもよいのではないかと思います。今日はこのあたりを考えて見ましょう。


日本ではドトールなど比較的廉価で簡易サービススタイルのコーヒーショップが日本式の喫茶店に取って代わっていきました。これはライフスタイルの変化とコーヒーの飲み方の欧米化に他ならないと思います。事実、久しぶりに新宿のとある典型的な喫茶店に入ったところ、そのタバコの煙にむせ返しながらメニューを見てもラテやカプチーノを発見することは出来ませんでした。つまり、日本式喫茶店は打ち合わせ場所であり、時間を潰すところであり、サボるところだとしたらドトールのようなコーヒーショップはコーヒーの存在をより引き立たせながら自分の時間を活用するところといえるでしょう。事実、客層は一人客で本を読んだり勉強をしたりしている人も目立ちます。

その中で日本にスターバックスが進出し、いわゆるコーヒー文化を更に一歩進めました。私が思うスタバのポジショニングは「おしゃれ」で「一定の品質が期待でき」「お友達と訪れても恥ずかしくない」ということかと思います。

中国でスタバが流行っている理由の一つにスタバのカップを持って歩くことがかっこいいからと言われています。では本家北米ではどうかといえばそんな時代も確かにあった気がします。今から15年ぐらい前、カナダ人の友人が毎朝スタバに行くというのでその理由を聞けば中国でスタバが格好いいと評されている理由とほぼ同じだったことを鮮明に覚えています。

カナダの東部の州に行けばディナーで最もポピュラーなところの一つがマクドナルドであります。東部はアメリカも含め非常にコンサバなところであり、下手に知らないところに行くより金額とバリューがわかるところに行く、という発想が非常に強いとされています。

これは逆説的にいえばマーケティングを通してブランド力を植え付け圧倒的信頼感を持たせてきたということに他なりません。つまり、スタバが好きな人は一種のスタバ信者であり、狂信的な人はそれ以外のコーヒーをコーヒーと思わない状態にすらなるのです。

ですから日本のスタバでドリップコーヒーが300円と他のところより5割も高いとしてもそれがおしゃれという付加価値のついたスタイルであり、ひと時の贅沢であれば喜んで人はお金を払うということに他なりません。

ではスタバのコーヒーが激ウマかといえば平準化できないと思っています。つまり、ファンもいるしそうではない人もいるということです。ですが、うまいコーヒーを探すために電車やバスでわざわざ買いに行く人もいないし、オフィス街にうまいコーヒーを飲ませる競合店を出そうとしても資本の力で簡単に負けてしまうことも事実なのです。

ところで北米ではガソリンスタンドにコンビニがあり、ポットに入ったコーヒーをセルフサービスで売っています。街中のセブンイレブンでも同じです。しかし、あれが売れているとは思えないのは一体何時作ったコーヒーかわからない品質への信頼性だと思います。このあたり、北米ですらコーヒーのスタンダードが大きく変貌しつつあるということかと思います。

私は日本でバリューコーヒーが流行ってきたというニュースを見てあぁ、また価格競争が始まるなという残念な気持ちになってしまいます。コーヒー屋のコーヒーを缶コーヒーの延長線で捉えてしまっているような感すらあります。喫茶とはひと時の憩いを薫り高いコーヒーと共に愉しむということです。最近の日本のビジネスは何でも安くすればよい、と考える癖が強いような気がします。

今日はこのぐらいにしましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2012年9月29日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。