フランスの教育に見る、教育の現実

2012年09月30日 07:20

ペーパーテストで大学入学者を選抜することに反発する声があるようです(「ペーパーテストによる入試選抜は、学生の学習意欲を削いでしまう」

確かに、ペーパーテストだけで人の能力を測ることは出来ませんが、恐らく、ペーパーテストに批判的な意見でも、ペーパーテストそのものに反対ということではなく、ペーパーテストが、知識や解法パターンの習熟、計算力といったものを見ているだけではないか、これは問題ではないか、というものが大部分ではないかと思います。


私も、以前、「日本の教育システムの問題点」で取り上げたように、潜在的な学習能力、分かり易く言えば「持っている知識を有機的に繋げて、問題を設定し、その問題を解決してゆく能力」の測定が大事だと考えています。

それでは、そのような潜在的な学習能力を重視して大学入学選抜を行ったら、どんなに素晴らしい教育システムになるのでしょうか? 知識の習得や、解法パターンの習得といった受験競争に明け暮れることなく、人間の本質的な能力が評価され、機会平等が実現するのでしょうか?

ここでは、潜在的学習能力を測定する良質の大学入学資格試験を行っている、フランスの実情を覗いてみましょう。

良問が出題されるバカロレア

「日本の教育システムの問題点」で、フランスやスウェーデンの例を挙げて指摘したように、海外では大学入学資格試験に実際、知識を有機的に繋ぎ合わせて問題を解決する能力を求める問題が出題されています。

フランスの一般の大学に入るのには、バカロレアという大学入学資格試験を受ける必要があります。 この試験は、一科目4時間前後という長時間の筆記試験で、極めて良く考えられた良問が出されています。 正に、考える力、潜在的学習能力能力を見る試験になっているのです。例えば

理数系(哲学) 真実を探す義務が私たちにはありますか?

社会経済系(哲学) 働くことは単に役に立つということなのでしょうか?

というような高い論理能力が必要な問題が出題されています。 

バカロレアの現実

さて、問題は、このような試験をすることで、生徒が有機的に知識を繋ぎ合わせて問題を解決してゆく能力を身に付けるインセンティブが生まれ、素晴らしい教育が行われているのか、ということでしょう。 

フランスの大学の構造は、一般の大学(国立大学)とグランゼコール(エコールノルマル、エコールポリテクニックなど)と呼ばれるエリート校の二層構造になっています。

グランゼコールに入学するためには高校卒業後、バカロレアにパスし、更に2年間の準備学級(Classes preparatoires)を受けコンクールと呼ばれる試験に合格しなくてはなりません。この準備学級に入るためにも、バカロレアの成績による書類審査や、入学試験などの選考がある場合があり、例えば、準備学級には所謂有名校(例えば、エヴァリスト・ガロアも通った、ルイ・グラン)があり、準備学級に入るのにも熾烈な競争があるのです。  バカロレア取得者(全体の約半数)のうち、大学に進むのが80%。結局進学しない人が15%いて、グランゼコールへ進むのは残りの5%弱だけな上、全国に350校ほどあるグランゼコールにも序列があり、その有名校に合格するとなると、東大以上の難関になるわけです(グランゼコール一校のの定員は一学年数百人と非常に少ない)。

客観的に言って、グランゼコールの生徒と一般の大学の生徒では学力に非常に大きな開きがあるようです(私の知人のフランス人数学者は、一般大学の助教から準備学級の教師になった結果、教える生徒の平均年齢は下がったにも関わらず、生徒の学力レベルは格段に上がったと言っているくらいです)。

そして、フランスの一般大学に勤める知人の数学者の多くの証言から察するに、残念なことに、知識を自在に使いこなして問題解決する能力は、一般の大学の生徒には、ほとんどないのが現状らしいのです。特に、地方の大学生には驚くほど、出来ない学生もいるようです。 

これから分かることは、試験を筆記式にしたり、論述式にして潜在的学習能力を見るようにしても、格段に学生がものを良く考えるようになったり、論理能力が高まった、とは思えないということです。

このような背景からか、私の専門の数学という狭い世界の話ではありますが、フランス人数学者の大半はグランゼコールの卒業生がほとんどのようです。

拡大する教育格差

一般の大学、グランゼコール(私立は除く)のどちらも、学費は、ほとんど必要なく、グランゼコールでは給費すらされています。この意味で、経済的格差が、教育機会の格差を生まない仕組みになっています。 

しかし、皮肉なことに、グランゼコールの生徒は、ほとんどが裕福な家庭の子弟であり、フランスにおいては、グランゼコールの卒業生によるエリート支配は、非常に強固なものになっているのです(ダニエルコーエン「迷走する資本主義」参照)。

これから分かるように、教育制度を機会平等を目指して改革しても、学力は、遺伝や家庭環境によって決定されており、社会的同類婚により、社会の階層化が進んでいるというのが、フランスの現状のようです。皮肉なことに、フランスは、日本以上の学歴社会です。

まとめ

結局のところ、フランスの例を見る限り、知識だけでなく潜在的学習能力を評価することにしても、それを身に付けることのできる層というのは、社会の精々数%程度しかいない(フランスの大学進学率は40%ほどである)上に、受験競争もなくならず、教育格差は拡大するということのようです。 

これは、私の日本の教育での実感とも、よく符合しています。 結局、それなりに優れた人材というのは、そんなに高い密度では存在せず(当たり前のことではありますが)、それを教育でどうこうできるものではないようです。

しかし、裏を返せば、優れた人材は希少なのだから、その存在を論述式の試験で、しっかり把握して、しっかり働いてもらうことが、大事ではないでしょうか。 その意味では、フランスの教育システムは、かなりレベルの高いものなのかもしれません。 

追伸 東大などトップクラスの大学の入試問題は、かなり考える力を意識して作られているように思います。 また、マークシートの問題は、実は、記述式の問題より作るのが大変ですし(そのかわり採点が楽ですが)、知識だけでは解けないように作っています。 記述式の問題の採点基準は、通常、答案を一通り見てから決めるのが普通です。

記述式の問題の利点は、理路整然と論理を展開できるのか、その能力をみることができる点にあります。 マークシートでも考える力自体は、かなり正確に分かります。 

あと大学に多様な人材を入れろという話もありましたが、多様な人材とはいっても学力がまちまちでは教育できません。 もし、学力がまちまちでも多様な人材を入れろというのでしたら、落第が大量に出るのをふつうにしないと教育が成り立ちません。   

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