週刊朝日ルポ「ハシシタ」批判差別、偏見の助長

2012年10月18日 18:24
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週刊朝日の表紙。販売を助けたくないのでリンクをしない

「血」による人格攻撃は許されない

10月26日号から週刊朝日(朝日新聞出版)で始まったルポライターの佐野真一氏による連載「ハシシタ」を読み、大変なショックを受けた。

ここでは橋下徹大阪市長の父、祖父が被差別部落出身と強調。それと橋下市長の行動を関連づけている。私たちの父祖、そして私たちがつくりあげてきた「言論の自由」。その獲得から68年が経過した結果、それが放埒に行使され、差別と偏見を助長する「異形のルポ」が有名週刊誌上に堂々と登場した。言論の自由を育て、民主主義を機能させようというこれまでの多くの人々の努力は何だったのか。悲しさと虚しさを感じたのだ。


「この男は裏に回るとどんな陰険なこともやるに違いない」。佐野氏はこのルポで表明。「テレビがひり出した汚物」「ヒットラー」など、普通の感覚では絶句する橋下氏への罵倒が羅列されている。

問題なのは、日本の恥ずべき歴史である「被差別部落問題」と、佐野氏は彼が言うところの「汚らしい」とする橋下氏の姿を重ね合わせている点だ。

橋下市長はツイッターで次のように述べた。

@t_ishin: 週刊朝日の記事は、僕を人格異常者だと断定し、それを明らかにするために血脈を徹底調査すると言う。すなわち僕の血脈が僕の人格異常の原因だと。そうであれば、それは子や孫も人格異常だと断言していることになる。これは許せないし、今の日本社会では認められない思想だと思う。

私は全面的に同意する。このルポでは「血」「出自」を人格と関連づけ、ある対象を「穢れ」と認定する。被差別部落にいた同胞は、この論法による差別と偏見で筆舌に尽くし難い苦しみを受けてきた。現代社会で亡霊のようにそれが甦ったことに、私は恐ろしさを感じる。

慎重に扱うべき被差別部落問題

「ハシシタ」。「はしもと」という名前でなくこのタイトルを付けた理由について、被差別部落を暗喩していると、問題を知る人にはすぐに推定できる。被差別部落の人々は江戸時代から近年まで川辺や山間地など、農村社会では住みづらい土地に集住させられ、差別的待遇を受けてきた。「橋の下の河原」を示唆したのだろう。

私は同じ日本の同胞がそうした差別を受け、苦しんだことに憤りを覚える。そもそも自分の中に同じ日本人として、同胞を出自で差別する感覚がないので、それを強調する人の思考回路は理解できない。

「ハシシタ」は読んで気分が悪くなる。橋下氏の知人の言葉として、次のような描写があった。

父親は水平社(被差別部落出身)~中略~子供はオヤジの精子が80%なんやが、橋下さんの場合はこれが逆で母親の卵子が80%~

医学的な根拠のない差別言辞である。その言葉を編集もせず、そのまま掲載する佐野氏の見識を疑う。そして、こんな言葉が延々と続く。ルポではない、ただの悪口雑言集だ。これを掲載する週刊朝日の姿勢も、批判されなければならない。

言論には「やってはいけない」内在的制約がある

私は影響力もないし、実力も乏しいフリーの記者だが、「ペンの暴力」への自省を持ち続けようと努力をしている。私はあるメディアの記者出身で、そこで勘違いによる誤報で、お詫びと訂正をしたことがある。そのとき、私をかばってくれた上司に「情報は人を社会的に殺すことを自覚したまえ」と静かに諭された。これは今でも仕事の大きな指針だ。

言論の自由は無制限ではない。社会に対する責任を果たし、また他人の自由、幸福を奪わないという「やってはいけない」内在的制約がある。

ところが、このルポでは橋下氏への人格攻撃に加えて、「被差別部落」の悪いイメージを非科学的な論法で結びつけた。これは言論の自由の「横暴な」行使である。そしてその自由を壊しかねない行為だ。

福島原発事故と放射能問題について、朝日新聞出版は、その雑誌で「放射能が来る」「普通の子供が産めますか~福島の子供たちへの手紙」など、福島差別につながりかねない、人権意識に疑問を持つ記事掲載を続けた。「普通の」という言葉に、被災者と障害者への差別、また科学知識の不足が現れている。(参考リンク・「メディア(アエラ)の問題記事と人権意識」)朝日新聞グループは、進歩派を自称してきた。ところが、そのメディアに掲載される記事が差別を助長し続ける。組織に、おかしな意識が埋め込まれているのかもしれない。

そして私は虚しさを感じる。週刊朝日の今回の号は売り切れ店続出という。評判失墜でも炎上マーケティングとして成功した。橋下市長は、意図したかどうかは別にして、同誌を批判して世論を味方にしつつある。利益を得る人がいる一方で、もっと大きな意味のある被差別部落問題の解決に、この騒動は何のプラスにもならない。これだけ騒がれてしまったのだから、そうした地域に対する言われない偏見がまた強まり、大阪と関西の都市問題がまた複雑になるだろう。

日本国民は第二次世界大戦の悲惨な敗戦の結果、二度と過ちを繰り返さないという反省のため、民主主義を機能させる言論の自由を獲得した。それから68年。差別を表明し、人権意識の欠落した異形のルポが有名週刊誌に堂々と掲載されるようになった。これまでの日本の言論の自由は何だったのだろうか。

この結末は、悲しく虚しい。

読者の批判、そして問題にかかわる部落解放同盟の建設的な批判(つまり朝日新聞と同団体の話し合いだ)によって、この異様な言論活動が是正されるべきだ。強制ではなく、執筆者、掲載社の自発的な修正と反省の形で。

石井孝明 経済・環境ジャーナリスト ishii.takaaki1@gmail.com

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