「コンプライアンス」「自浄作用」なる言葉の曖昧さについて --- 山口 利昭

アゴラ編集部

大阪市長の出自を報じた週刊朝日問題について、朝日新聞社が謝罪コメントを公表したことで終息に向かいつつあるようです。大阪市長は朝日の謝罪コメントを受けて、「今後は朝日側がどのように自浄作用を発揮するのか見守りたい」と会見で述べています(たとえば産経新聞ニュースはこちら)。


コンプライアンスという言葉が「社会的な要請に柔軟に応えること」と解され、おもに組織に対して向けられるようになりましたが、それにしたがって、組織の自浄能力、自浄作用という言葉が広く使われるようになりました。公募増資インサイダー事件では、当時の金融担当大臣が「野村ホールディングスの自浄能力は概ね認められた(社長、会長辞任会見を受けて)」とされ、中央大学付属中学不正入試事件では、学長が「入学を取り消すしか自浄能力を発揮する道はなかった」と説明されました。また住友電工ワイヤハーネス株主代表訴訟を提起した原告団は「住友電工には自浄能力がないと判断した」と、提訴に至った動機を説明しておられます。

コンプライアンスを徹底せよ、自浄能力を発揮せよ、としばしば企業不祥事発覚時に使われる言葉ですが、言葉が市民権を得るにしたがってどうも言葉の中身があいまいになりつつあり、「わかりましたコンプライアンスを徹底します」「自浄能力の向上に努めます」と企業側が誓ったとしても、ステークホルダーと会社側でコンプライアンスの言葉が何を示しているのか、理解が一致しているわけではないと最近危惧しています。マスコミにおいても、使う記者によって温度差があるように感じています。

そもそもコンプライアンスや自浄能力というのは、企業の社会的な信用を維持したり、回復するためのリスクマネジメント、クライシスマネジメントに関わる言葉だと理解していますので、対内的に使われるのが通常です。対内的に使われている分には、当該組織の中で通用する意味があれば特に問題はないと思います。しかし対外的に使用するとなると、誤解を招くことが多いのではないでしょうか。たとえば冒頭のマスコミ報道の在り方について検証する場合でも、社内の関係者による検証委員会を設置するのか、それとも社外の第三者で検証する委員会を設置すべきなのか、「自浄作用」の考え方次第で変わってきます。

リスク管理というよりも、もう少し広くCSR(企業の社会的責任論)としてコンプライアンスを捉えるのであれば、対外的に発信する必要もありますが、この場合にはコンプライアンスや自浄能力という言葉を使わずに、中身を具体的な言葉で言い換える必要があります。不祥事の原因事実や組織としての構造的欠陥、再発防止に関する具体策、その検証方法等を公表し、企業の予定する対応方針については社会的に承認される必要があります。社会的承認を得るためには、東電の原発事故対応のように、原因究明のために必要な情報は広く公開され、「国民の叡智をもって原因究明に努める」姿勢をもたなければ、実質的に自浄能力を発揮した、とは言えないのが現代の趨勢ではないでしょうか。

「バブル崩壊」のように、世間では曖昧に使われているほうがなんとなく都合の良い言葉というものがあり、コンプライアンスや自浄能力というのも、これに近い存在になりつつあるように感じます。ときには「法令遵守」ととらえられて、「〇〇氏のコンプライアンス上の件」などと、(話題性を高めるために)個人に対して向けられることもあります。コンプライアンス問題に広く関心が向けられることは良いことだと思いますが、個々の事案を論じるうえでは「なにがコンプライアンス上の問題なのか」「自浄作用を発揮するとは、具体的に何をすべきなのか」という点まできちんと明確していかなければ組織の風土を変えていくための議論には役に立たないように(最近ですが)思えてきました。


編集部より:この記事は「ビジネス法務の部屋 since 2005」2012年10月22日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった山口利昭氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方はビジネス法務の部屋 since 2005をご覧ください。