Global Equilibrium(持続可能社会)へのスムースな移行を目指して

2012年10月27日 11:12

日本の面積は37万平方キロ、日本の総人口は約1億2800万人(2011年)である。 これから人口密度は1平方キロメートル当たり、約345人である。 さて、この人口密度がどの程度の環境負荷を掛けているのか、野生生物と比較してみよう。 


マイクロスコープ的観察-人類の異常な繁栄

日本人の一人当たりのエネルギー消費は、生存に必要なエネルギーの約30倍と言われる(「地球のからくりに挑む」参照)。 今、仮に個体あたりのエネルギー消費に環境負荷が比例するとすると、環境負荷を考えるには、日本の人口密度は、1平方キロあたり、原始人換算で1万人程度の人口密度になっているとしてよい。 

これは人間が体長1.6センチ程度の昆虫(例えばアゲハチョウ)になったとすると、1平方メートルあたり、100頭という密度になる。 これは、野生生物とすると、全く考えられないほどの生息密度である。 もし我々が、昆虫であれば、一日を経ずして食糧不足に陥り、著しい個体数の減少に直面することは明らかであろう。

日本が食糧やエネルギーを自給できないというのは、全く当たり前のことである。

これを全世界で考えたらどうなるか、世界の人口密度は約1平方キロメートルあたり45人、また一人当たりエネルギー消費量は、生存に必要なエネルギーの約10倍であるから、一平方キロメートルあたり、原始人換算で450人となる。これは人間が体長1.6センチ程度の昆虫(例えばアゲハチョウ)になったとすると、1平方メートルあたり、5頭という密度になる。 これでも物凄い生息密度であると言える。 

野生生物はどの程度の生息密度で生息しているのだろうか。

これは、野生生物の多くが、パートナーを探すのに、どんなに苦労しているのかを見れば明らかだ。 

チョウの翅の斑紋は実に様々であり、そのデザインの多様さには驚かされる。しかし、これが何のためか考えたことはあるだろうか?  これはパートナーを見つけるためである。このように目立つ斑紋は仲間を見つけるためのものだ。彼らは、好き好んで、デザインを選んでいるわけではない。

またチョウの中には山頂に飛来する性質を持つものも多い。これもパートナーを見つけるためのものだ。 このように、野生生物は、仲間を見つけるために様々な工夫をしている。 裏を返せば、仲間を見つけるのに苦労するほど、低い密度でしか生息していないということである。

人類の自然な生息密度は、おそらく隣接するコロニーがどこにあるのか分からないくらいの密度なのだろう。 

このように、少しばかりマイクロスコープ的に人間の世界を覗いてみると、人類は全く異常な繁栄をしている。 この繁栄は続くのだろうか?

何が人類の繁栄を支えているのか?

現在の人類の繁栄を支えているのは、簡単に言えば、化石燃料エネルギーである。食糧生産は、化石燃料エネルギーを用いた化学的なアンモニア合成がなくなれば、瞬く間に3分の1に落ち込み、世界は飢餓に襲われる。 

人類は現在、一人当たり平均一日2万3000キロカロリーものエネルギーを消費して暮らしていており、これを支えているのが、化石燃料である。

化石燃料エネルギーが優秀なのは、そのエネルギー密度である。原油のエネルギー密度は約12,400Wh/kgにも達する。 一方太陽光の場合1平方メートルあたり凡そ1,000Wである(しかも、勿論これは晴れの日の日中の値である)。 これだけ見ても、化石燃料エネルギーの優位性は明らかである。

江戸時代までは、燃料は木炭、薪などしかなかったが、これは太陽エネルギーを変換したものである。しかし、そのためには薪炭林が必要であった。実際、20世紀になるまでは、日本の森林は燃料として切り出され、荒廃していたのである(だから広島などで松林が多く、松茸が豊産したのである)。また、石炭がない時代には、製鉄には広大な森林伐採をしなければ不可能であった。現在、化石燃料がなければ、現在の製鉄量を維持することは全く不可能であるといってよい。いや、冬季の暖房だけ考えても、薪炭だけに頼るならば、日本の森林は瞬く間に 伐採し尽くされてしまう。 

化石燃料がなくなれば、現在の世界人口70億人は支えられない。

化石燃料、鉱物資源の減耗

ところが、[2]で既に述べたように、化石燃料の減耗は現実の問題である。資源は容易に採掘でき質のよいものから順に採掘され消費される。従って、現在のように新規の油田、炭田がほとんど見つからない状況では、採掘のために消費されるエネルギーが増加してゆく。そのため、産出量は増加しても、ネットの産出エネルギーは減少してゆく([1] 参照)。 ピークオイルの有無に関わらず、今後、ネット産出エネルギーは確実に減少する。 

実際、こういった現象は、エントロピーの増加と捉えることができる。つまり、主に生物濃縮によって数百万年あるいは何億年といった極めて長い時間を掛けて濃縮されたエネルギー資源、あるいは高品質の鉱物資源を採掘し、それを消費することは、不可逆過程であり、再び何百万年、何億年といった時間とエネルギーを掛けなければ、濃縮が起きない。

たとえば、リン資源、グアノは海鳥がその営巣地におとした糞に含まれる魚に由来するリンが気の遠くなるような時間を経て濃集したものである。 リン資源も減耗しつつある(「戦略物資としてのリン鉱石」)。

たとえ、リサイクルをこまめに行っても、エントロピーは増加し、やがては資源は減耗してゆくのである。 

このように、我々が当たり前に使っている、化石燃料、鉱物資源は、次第に減耗してゆくものであって、いつかは枯渇してゆくものである。 このようにエントロピーの増加自体は厳密な物理法則である。

問題は、その人類の文明を支える資源の減耗は,いつなのか、減耗のペースはどれほどのものなのか、ということだ。確実なことは2050年には一人当たりの使用可能エネルギーは、現在の凡そ2分の1に落ち込むということだ(エネルギー産出量は約3分の2だが、産出に伴うエネルギー使用量の伸びを勘案すればネットのエネルギー産出は2分の1以下に落ち込むだろう)。

image032

World Energy to 2050、から転載 

繁栄を続けるには、人口が多すぎる

Richard C. Duncanは、The Olduvai Theory: Sliding Towards a Post-Industrial Stone Age を唱え、一人当たりのエネルギー消費の減少により、我々の物質文明は2025年前後にも終焉を迎えると考えた(下図参照)。 つまり異常に多い世界人口と異常な繁栄により、エネルギークランチが起きるという考え方である。 

Olduvai

(上記URLから転載、縦軸は一人当たりの消費エネルギー)

この仮説のタイムスケジュールは兎も角、地球の有限性とエントロピーの増大から、我々の物質文明(Industrial civilization)は人類の歴史から考えれば非常に短い時間しか持続しない。 これには、反論の余地がない。  

その持続時間をDuncanは100年以下と評価し2025年には人類は物質文明(industrial civilization)を失うとするが、これはローマクラブによる「成長の限界」の予測する2030年前後に人類の繁栄は人口減少と共に没落へと向かう、という説と重なる。 残念ながら、人類の物質的な繁栄が間もなく終わることは確実なように思われる。 ネット産出エネルギーの低下は、明らかに、それが迫っていることを示唆している。

だが、それは、悲しむべきことではない。なぜなら、これは大域的平衡状態(global equilibrium)、つまり正しい状態へと向かうことだからだ。 つまり、人類は新しい持続可能なステージに移行するのだ。 

パラダイムを変えよう

持続可能性をもった世界人口は、恐らく5億人以下であろうと思われる。 これは現在の10分の1以下である。 いや文明の存続を前提とすれば、1億人以下ではないか、とさえ思われるのである。 平衡状態へ向けて、人口の急激な減少の実現は、できるだけ、人間どうしの殺し合いや餓死、といった悲劇を避けるためにも必要だろう。

経済学者の考える世界は、経済成長がプラスの世界だが、それを望むことは最早意味を失いつつあることは、物理的観点からは、明らかだ。 やがて成長は止まり、世界経済は持続的収縮過程に入る。 

来たるべき未来は、低エネルギー社会である。 つまり、次なる移動手段は、最低限の鉄道と自転車あるいは電動スクーターをシェアすることだろう。平衡状態へのソフトランディングのためには、現存する化石燃料を大切に使う必要があるからだ。 

再生可能エネルギーは恐らく、文明を支える基幹エネルギーにはならないだろう。 現在は化石燃料に比較してコストも高い。 しかし、我々の生存を何とか維持できるだけのエネルギーを生産することは、可能なのかもしれない。 イースター島は、かつては木々に覆われた豊かな島であったのが、木を伐り尽くしてしまい、食糧難から殺し合いが起き、人肉食さえ必要になった。 これは、島を脱出するための舟を作るための木さえ調達できなかったためだとされる。 

再生可能エネルギーが、人類にとって、この脱出のための木の舟になり得ることを考えてもよいだろう。 

核融合が実用化したり、トリウム熔融塩型原子炉などが実用化すれば、事態は改善するかもしれないが、科学技術への過信は禁物だ。 このまま、経済の拡大を目指すことが、コンクリートの壁に向けて自動車のアクセルを踏むようなことにならないとも限らない。我々は、エントロピーの増大により、Global Equilibrium(大域的平衡状態)へ向かっていることを意識し、平和の維持のために豊かさを我慢することが必要ではないだろうか。 

私は、物質的豊かさを失っても、高度の知能を持ち、イマジネーションの中に価値を見出す生物として、人類が存続することを願う。 

参考文献

[1] Peak Silver and Mining by a Falling EROI
[2] 資源ピラミッド理論-There Will Be OIL?
[3] Richard C. Duncan:The life-expectancy of industrial civilization: The decline to global equilibrium
[4] World Energy to 2050、Paul Chefurka

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