「第三極」なんて要らない

2012年10月29日 07:00

石原慎太郎さんが新党を結成して、「維新の会」や「みんなの党」に「連合して『第三極』を作ろう」と呼びかけているらしいが、両党ともこんな話には間違っても乗らない方がよい。

どの党も先ずは衆院選に勝ちたいわけだから、これを目的にした協調はあってもよいだろうが、選挙後はそれぞれが是々非々で与党に対抗したり協力したりするのが筋だ。「自民」も「民主」も単独過半数は無理だろうから、連立内閣に入れてもらいたいのなら、個別にその工作をしたらよいが、あの顔ぶれの人達が見せかけだけの「大連合」をして、それを梃子に「自民」か「民主」のどちらかと連立与党を形成するなど、薄気味悪くて見たくもない。


石原さんも若い時は歯切れが良くて、私も相当期待したものだが、今となっては「思い込みが激しい」傲慢な老人でしかない。賛同出来る発言も多いが、近隣諸国の神経をわざわざ逆撫でにするような言動をして、一人で悦に入っているような子供っぽさでは、とても責任のある政治家とは言えない。

考え方が近い「立ち上がれ日本」との合流はそれなりの意味もあろうが、所詮は「過去の人達」「右翼的なお年寄り方の集まり」にしかならないだろう。小沢さん同様、ある程度のファンはいても、この人が「日本を変える」原動力になると本気で考えている人は、最早殆どいないのではないかと思う。

今度の選挙の争点は、「財政(消費税増税)」「社会保障制度」「エネルギー政策(原発問題)」「安全保障(憲法改正問題)」「TPP」等で、これに、お決まりの「地方分権」や「脱官僚支配」等が散りばめられる事になろう。各会派の主張を見ると、これ等のそれぞれについて「まだら模様」に分かれており、どのような組み合わせを考えて見ても一枚岩が作れそうにはない。確かに「維新の会」と「みんなの党」は考え方が似ている様だが、個々の局面になると人間関係などから齟齬が生まれるような気がする。

いつも言っている事だが、橋下さんは、焦って「空虚な数集め」に走らない方が良い。無理に数を集めれば、相当考えが異なる人達を抱え込む事になり、筋が通せなくなるから支持者が離れ、後々は収拾がつかなくなるだろう。一時期「相当の票が集められそうだ」という憶測が流れた為、橋下さんも「今が自分の旬(賞味期限)だ」という気持になったようだが、最近の世論調査ではがっかりする程小さい支持しか得られておらず、これで現実の世界に戻れれば、彼にとっても非常に良い事だ。

私は、橋下さんには色々な意味でこれまでの政治家に見なかった大きな可能性を見ているが、未成熟なところも多いから、不用意な言動から「高転びに転ぶ」可能性もないとは言えない。先ずは大阪で着実に実績をあげ、国会ではそれぞれの局面に(政権与党への協力も含め)是々非々で対応して、筋の通った「健全野党」の模範を示していくべきだ。そうすれば、数年後には、「憲法改正」「首相公選」「参院廃止」「道州制」「教育改革」など、日本の根幹を変える大手術(大掃除)も彼の手で可能になる可能性が高まる。

さて、今日のこの記事のテーマは、石原さんがどうの、橋下さんがどうのという、下世話な話ではなく、「『第三極』などといったものは必要でない」という事だ。国民に興味があるのは、実際の政治であって、政治家達の思惑による「離合集散」ではない。石原さんは「増税がどうだ、原発がどうだといった、個々の政策なんかはどうでも良い。連合して一つの勢力を作る事こそが大切なのだ」と言っているらしいが、これは、この様な国民の興味とは正反対の考えであり、とんでもないとしか言いようがない。

先にあげた個々の政策についての決定こそが、日本の将来を決める。しかし、困った事に、個々の有権者の考えも、個々の政党の考え同様まだら模様に入り組んでおり、その「順列組み合わせ」を考えると頭が痛くなる程だ。「ある政策についてある政党に共鳴したので、その政党に投票したが、他の政策では全く自分の考えと合わない」という様なケースが頻繁に起こるだろう。ただでさえ「政権与党」になると現実と向き合わねばならなくなるから、多くの有権者にとって「期待が裏切られる」事態の多発は避けられなくなる。

これを解決する唯一つの方策は、「政権与党」のあり方を抜本的に変える事だと私は思っている。具体的には、「政権与党は、長期的な戦略として絶対に譲れない政策を除いては、各政策毎に民意を確かめてそれに従う」という、全く新しい考え方を導入することだ。

そして、「連立」のあり方も抜本的に変える。連立政権を作るのではなく、「各政党が個々の政策毎に政権与党と連立する」という事だ。こうなれば、「何でも反対」の無責任な万年野党はなくなり、各政党は政策毎に与党になったり野党になったりする事になる。

政権与党(内閣の首班が所属する政党)を志す政党は、マニフェストに「絶対に譲らない政策(或いは哲学)」を謳う一方で、個々の政策については「現在の考え方はこうであるが、政策毎に民意を確かめ、民意の求めるところに従う」と謳っておくべきだ。

「その都度民意に問う」等と言うと、「長期的な国家戦略がない」「政治的信念がない」「付和雷同のポピュリズム政治になる」といった批判が噴出するだろうが、そんな事にはならない。「長期的な国家戦略」や「政治的信念」については、前述の通り、「如何なる場合でも絶対に譲らない政策(哲学)」を謳う事によって応えられるし、「ポピュリズム政治」を回避する為には、「民意を問う方法」を工夫すればよい。

欧米人は”Informed Consent”と言う言葉を良く使うが、これは、意思表示する(投票する)人達には「十分な、偏らない情報」を与えられなければならないという事を意味する。従って、今の世論調査のやり方などでは全く駄目だ。

一つの事柄について「民意」を問うまでには、最低1ヶ月程度の時間はかけ、「賛否両論について、その趣旨を偏る事なく、分かり易く、且つ詳細に説明し、更に両者の論争も同様に紹介した上で、はじめて賛否を問う」という手順を踏むことが必要だ。この中で、マスメディアとネットは、どちらも欠かすことの出来ない「車の両輪」として、大いに工夫し、大いに活躍して欲しい。

経済的な問題については、特に時間をかける必要がある。「公共投資」「社会保障」「エネルギー政策」「安全保障」のどれをとっても金のかかる問題だ。金がかかるという事は、増税につながるか、財政破綻を招きかねないかのどちらかを意味する。放っておけば政治家は国民の耳に快いことだけを言うだろうから、その一つ一つについてコスト分析を求め、それがもたらす経済的なインパクトを民間のシンクタンクなどが客観的に計算して、分かり易く国民に示さなければならない。

現在の状況を見ていると、実際に政権を担当すると、「何が現実的で、何が非現実的か」がある程度分かるようになるが、野党的な立場になると、多くの政治家は、一つの政策がもたらす経済的なインパクトなど十分に検証もせずに、言いたい放題になる傾向がある。国民は「検証の結果としての複雑な選択肢」などは示して欲しくなく、ただひたすら明快で勇ましい言葉を聞きたがっている事を、彼等はよく知っているからだ。

その一方で、経済学者や評論家、経済・財政担当の官僚や日銀などは、自分達の考えを一般国民に分かり易く説明する努力を十分にしていない様に思う。学者や評論家、ジャーナリストの中には、それ以上に、自分達の「売名」や「身すぎ世すぎ」の為に、「実証」も「内省」も「信念」もないままに、無責任に楽観論を振りまく輩さえいる。

ことお金に関係する事になると、一般国民もたちまち目先の利益のことしか考えなくなる。要するに自分達にとって得になるか損になるか、自分達に仕事が回ってくるか、という事だけが関心事になり、それによって安易に自分の立場(意思)を決めてしまう。それによって将来経済が破綻し、子供達や孫達が酷い目に会うことがあっても、誰かが「そんな事はない」と楽観論を振りまけば、ついそれを信じてみたくなるのだ。

「維新の会」も「みんなの党」も、現状では「経済問題」がアキレス腱になっている様に思える。経済・財政問題に対する正確な認識がなければ、その上に乗らざるを得ない「エネルギー政策」も「社会保障政策」も「税制」も、全てが根拠のない「いい加減なもの」になってしまう。

橋下さんも渡辺さんも、もっと経済問題のブレーンを強化し、異なった意見にも耳を傾けてほしい。この事こそが、「本当に国民の為を思っているか」、或いは「単にポピュリズムを志向しているか」のリトマス試験紙になる様に私は思う。

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