アメリカという特殊な連邦国家

池田 信夫

憲法で読むアメリカ史(上) (PHP新書)アメリカ大統領選挙はきょう投票だが、ちょっとおもしろいのは最終盤になって両候補ともオハイオ州に入っていることだ。勝敗は大統領選挙人の数で決まるので、ブッシュ対ゴアのときのように得票数で上回っても負けることがある。これは不合理だというので、今まで何度も選挙法の改正が提案されたが、まったく問題にならない。それは本書も指摘するように、アメリカが連邦国家だからである。

イギリスから独立するとき、13の国(state)が共同で戦ったことが連邦政府をつくるきっかけになったが、各国は独立の軍と通貨と徴税権をもつ主権国家だった。1789年に成立した合衆国は、今のEUよりゆるやかな連邦だった。連邦政府には予算がなく、各国からの拠出金でまかなわれ、各国間の通商には関税がかかり、それを規制する権限は連邦政府にはなかった。


各国の長は統治者(governor)と呼ばれるが、連邦政府の長は座長(president)と呼ばれ、その法的権限は弱かった。ホワイトハウスには予算編成権も法案提出権も宣戦布告の権限もなく、各国の代表である議会のつくった法律を執行する仕事に限定されている(これは今も変わらない)。大統領の選出も連邦議会が行なうべきだという意見が強かったが、それでは各国の独立性が失われるという反対論があり、各国が独自に選挙人を選出し、その投票で決める折衷案になった。

各国には独自の法律があったため、州際紛争が絶えなかったが、各国は連邦政府によって独立性が侵害されることをきらって憲法の規定を弱めた。最初の憲法には、言論の自由も信教の自由も規定されていない。連邦政府にはそういう権利を侵害する権限がないというのが理由だった(これはのちに修正)。州際紛争は連邦裁判所で決着をつけるしかないため、司法の権威が強まった。

このような状況に対して、建国の父は『ザ・フェデラリスト』で連邦政府の必要性を説き、「小さな共和国の直接民主制は一時の感情に左右されて衆愚政治に陥るおそれが強い」と論じ、連邦政府の独裁を恐れる各国の指導者を説得するために、権限を議会と大統領に分散し、最終判断を司法にゆだねた。合衆国憲法は、民主主義を抑制する憲法だったのである。

このようにアメリカで最初につくられた憲法(Constitution)は、バラバラの独立国家をつなぐEU憲章のようなもので、日本に必要かどうかも疑わしい。同じ意味で、アメリカを手本にして「道州制」にしようなどという話もナンセンスである。日本にそういう中規模の国家が成立した歴史はなく、経済的な必然性もないからだ。アメリカは特殊な国家であり、それをモデルにするとEUのように失敗する。日本は別の「国のかたち」を考えたほうがいい。