核燃料サイクルと原子力政策(下)—重要国日本の脱落は国際混乱をもたらす

アゴラ編集部

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山名 元
京都大学原子炉実験所教授 工学博士

核燃料サイクルと原子力政策(上)—現実解は再処理の維持による核物質の増加抑制」に続き(下)を掲載する。

バックエンドをめぐる国際情勢—各国の扱いはさまざま

次にくる問題は、国際関係の中での核燃料サイクル政策の在り方の問題である。すなわち、日本の核燃料サイクル政策が、日本国内だけの独立した問題であり得るかという問題である。

世界的な原子力発電の増加傾向は、福島第一原子力発電所の事故以降も、極端には衰えていない。政治目線での撤退を決定したドイツや、寿命延長に消極的な判断をしたベルギーおよびスイスに対して、米国や英国では、原子力利用に対してむしろ前向きである。中国・インドは原子力拡大に積極的であり、アジアや中東などの原子力新興国も新設計画を変えていない。一方で、アジア及び欧州におけるガス需要増加の傾向に加えて、米国におけるシェールガスのシェアの急速な拡大が顕著で、世界の石油や天然ガスのバランスが変わりつつある。


このように、原子力、天然ガス、石炭、石油、再生可能エネルギーが複雑にリンクしながら世界のエネルギー情勢が動きつつある中で、エネルギー資源の大量輸入国である我が国のエネルギー政策は、世界的なエネルギー資源の需給バランスやその価格に、少なからず影響を与える。

加えて、先端的な原子力技術を有し、世界的な原子力推進活動に関与してきた我が国の判断は、世界のエネルギー情勢や政治的なバランスに微妙に影響を与えると考えられる。実際、原子力を残したい米国や、これから原子力を復帰させようとしている英国、比率を下げながらも原子力を基本と考えているフランスは、我が国の原子力の存続に期待しているのではないだろうか。バックエンド戦略についても、このような国際的な相互の関係に影響を与える可能性が、少なからず存在する。

再処理、経済性は今でも見えず—世界で共通する不透明感

バックエンド戦略については、長期貯蔵で対応している国、直接処分を決めた国、フランス、インド、中国、ロシアのように再処理路線を取っている国があり、世界各国でまちまちである。原子力新興国の場合は、将来のバックエンド戦略を決めているわけではなく、自国内での中間貯蔵を前提としながらも、国際的なバックエンド管理にも期待していると考えられる。

米国の場合は、オバマ民主党政権が「ユッカマウンテン」の直接処分事業を中止し、ブルーリボン委員会において「集中的な中間貯蔵施設の設置とバックエンドに取り組むための研究開発の継続」を、結論として出している。これに対して、フランスは全量再処理を基本としており、高速炉の開発にも前向きである。ロシア、インド、中国も、再処理を念頭に、高速増殖炉の開発を進めている。このように、さまざまな戦略が混在しているのが現状である。

現実には、再処理を指向する国においても、再処理を全面的に進めることの経済的なインセンティブは高くはなく、これらの国は、エネルギー安全保障の視点から政策的に(国家戦略として)その方向を目指しているのが実態である。一方、ドイツや米国などの直接処分を目指す国においては、直接処分事業を開始出来ないでいるという実態がある。処分サイト選定の手続き上の問題や社会的な受容の問題がある上、「中間貯蔵」によって実施の先送りが可能だからである。

我が国においても、核燃料サイクル政策の見直しが唱えられてきたものの、「革新的エネルギー・環境戦略」では、核燃料サイクル政策そのものへの判断について言及を避けた形となった。また、高レベル放射性物質の地層処分が、日本学術会議から否定的な評価を受けるなど、バックエンド全体についての社会理解が、非常に混乱している状況にある。要するに、原子力バックエンドについては、世界のほとんどの国で「完全な解決や、明確な戦略が実現していない」のが実態である。

当面、世界的に、バックエンド戦略についての模索が続いてゆくであろう。すなわち、米国ブルーリボン員会の結論のように、今後各国が、中間貯蔵を運営しながら、高レベル放射性廃棄物の処分の社会合意の獲得を目指す取り組みを含めて、直接処分・再処理路線・分離核変換などの様々な可能性を探求して行く時代が、しばらくは続くのではないだろうか。この世界的な動きの中で、我が国が孤立することなく、国際的な動きと如何にうまく整合してゆけるかが問われる。

国際関係の中でのバックエンドの3つの意義—技術連携、核不拡散、国際管理体制

国内的な視点から、我が国が再処理事業を継続する理由をまとめると、「1将来的なウラン資源の不確定性に対処する選択肢の確保(エネルギー安全保障)」、「2軽水炉が作り出したレガシー(放射性核種)対策としての選択肢の維持(廃棄物の減少)」、「3短中期的な使用済燃料のフローの安定維持(使用済燃料の減容)」、「4青森の地元了解や施設などの既存のインフラを反故にすることの問題の多さ」、に集約されるだろう。フランスはこれに加えて、「5プルトニウムを燃焼することによる核不拡散上の効果」も主張している。

「1資源」の視点については、原子力規模が限定的なフィンランドやスウェーデンは直接処分で問題ないし、ウランを多量に産出する米国やカナダでは経済性を無視してまで再処理リサイクルインセンティブは、今の所ない。我が国では、エネルギー資源がないという独自の事情で、核燃料サイクルを重視してきた。

同じくエネルギー資源のないフランスでは、「1資源」の視点はもちろんのこと、再処理による使用済燃料の減容効果、すなわち、「3の使用済核燃料のフロー」をかなり重視している。ロシア、中国、インドも、エネルギー安全保障としての「1資源」の視点を重視している。また、直接処分を指向しているドイツや米国においても、「2レガシー対策」は重要な視点として存在している。ドイツが分離核変換研究を進めていること、米国ブルーリボン委員会の結論でも次世代炉や核変換研究の意義が是認されていることは、このことを示している。

このような世界的な情勢の中で、我が国が、脱原子力という判断によって、再処理リサイクル技術を放棄することが実際に出来るかどうか、が問われているのである。我が国が本当に「脱原子力」するなら、「1資源」の観点からの再処理リサイクルの意義はなくなるが、他方で、国際的に影響を与え得る可能性が出てくる。この影響を、その1・国際的な技術連繋への影響、その2・国際核不拡散への影響、その3・バックエンド国際管理への影響、の3つの視点について考えてみたい。

その1・ 国際的技術連繋への影響

我が国の燃料サイクル技術は、国際的にも高いレベルにある。実際、商業規模で大規模な再処理リサイクルを進め得る技術力を持っているのは、現在の所は、フランスと日本だけである。実際には、フランスと日本が、産業規模の燃料サイクル技術を牽引してきた立場にある。

米国では、実用規模の再処理技術や高速炉技術は、現在は保有していないが、将来の技術選択肢としてはこれを放棄しておらず、「日本やフランスの技術に期待している」というのが現実である。我が国の燃料サイクルが消えると、燃料サイクル技術はフランスと中国・インドのグループに限定されることになり、米国は、強く連繋してきた日本の技術を失うことになる。

また、フランスは、核燃料サイクル事業の重要なパートナーを失うことになり、産業技術としての自らの存立の基盤の弱体化に繋がる可能性が生ずる。「パートナーよ、去らないで」というのが、仏米の本音ではないか。

こうなると、中国やインドの立場を含めて世界的な技術バランスの変化が生じるであろうし、高度な核燃料サイクル技術が縮退して行くことも考えられる。今後、中国やインドがこの分野での世界のリーダーになってゆくのかどうか想像すらできないが、従来からの「日・仏・米」の技術連繋の弱体化が進む可能性は否定できないし、我が国の「技術的な優位性」は失われる。

当面、日仏の技術連繋を維持しながら、米国や、原子力復活途上にある英国との技術的連携を重視することが、国益に繋がるのではないだろうか。また、放射性廃棄物のレガシー対策の一環としてのバックエンド技術(放射性核種分離、高速炉による核変換等)の高度化への期待が高い中で、我が国のバックエンド技術は、世界的にも残したい技術であるはずだ。このような観点からは、世界的に貴重なループ型の高速増殖原型炉である「もんじゅ」の存在も、我が国だけの問題ではなく、国際的な技術資産としての運用の価値が問われることになる。

その2・国際核不拡散への影響

我が国の核燃料サイクル活動は、国際的な核不拡散体制の中で重要な役割を果たして来た。すなわち、「非核兵器国である日本が、平和利用としての核燃料サイクルの健全性を担保し、世界的な核不拡散を防止する枠組みを支える役割を果たして来た」ということである。

よく「日本の核燃料サイクル事業が、第三国での核拡散を助長する」という批判が語られるが、これは、日本に核燃料サイクル技術を持たせたくない一派のプロパガンダである。実際は、非核兵器国の日本が核不拡散を徹底して保証する姿勢が国際標準として存在することで、第三国の「異端性」を主張し、厳密な保障措置の適用を要求する圧力をかけることが可能になってきたのではないか。すなわち、非核兵器国としての日本が、NPT体制の維持に貢献しその核燃料サイクル活動が国際的に認められてきたことは、我が国の特別な優位性でもあり、国際的な核不拡散への強い貢献でもあったと考える。

我が国の核燃料サイクルが消滅するとなると、NPT体制下での、この国際的な核不拡散の仕組みが変化することが懸念される。我が国の核燃料サイクルが国際的認知を得ていることが、NPT体制の中での、一定の「重し」になってきたということで、この「重し」を一気に取り去ることは、国際核不拡散の体制に少なからず影響を与えるであろう。

なお、「日本が2030年代までで原子力を廃止するとしつつ、六ヶ所再処理工場を運転する」した方針が、「我が国が、余剰プルトニウムを保有しその管理にも責任を持たなくなるのではないか」という国際的な疑心暗鬼を、生じせしめたことは確かである。上述したような核燃料物質のバランス確保のシナリオが伴わないような原子力政策は、国際問題化する危険性を持つ。

その3・バックエンド国際管理構想への影響

世界的な原子力の拡大傾向の中で、グローバルに見たバックエンドへの究極の解は、いまだに得られておらず、直接処分や再処理リサイクル、自国内管理や国際管理等、様々な可能性が継続的に検討される時代が当面続くであろう。このような背景の下で、核不拡散を重視した核燃料サイクルの国際管理構想が、NPT体制を超える「新しい国際核不拡散の仕組み」として提案されてきた。かつてのエルバラダイ構想や、米国ブッシュ政権によるGNEP構想、ロシアによる独自の核燃料供給保証提案などがそれである。

この「核燃料サイクルの国際管理」は、「世界共通のバックエンド解へのニーズ」と「核不拡散の保証のニーズ」の両方の視点から、今後、ますます重要となるであろう。我が国の原子力が、今後「一国独立主義」で存立出来るわけもなく、このような国際協調の流れの中での我が国がとるべき立場が問われることになるのである。

我が国としては、使用済燃料管理に関わる技術的な能力でもって、この体制に協力して行くオプションがあった。原子力先進国として、燃料サイクルのフロントエンドやバックエンドのサービスを提供する体制に加わるという可能性である。

この構想では、国際的な管理体制に貢献するということはもちろん、原子力新興国に最新原子炉とバックエンド管理サービスをパッケージで提供するという、核不拡散保証と原子力事業展開の両方を満たすメリットがあった。逆に、我が国が困る部分を国際管理に依存する可能性も期待され、我が国が国際核不拡散体制を支える原子力先進国の一つとして、このような貢献をして行く責務があることも否定できない。

我が国における核燃料サイクルの扱いが、国際核燃料サイクル管理の流れの中で、少なからず影響を与えることを、無視してはならない。

結論・慎重たるべき核燃料サイクル政策の判断

以上に、核燃料サイクルの量的なバランスの問題と、国際的な関係の中での我が国のバックエンドの位置づけについて論じた。「2030年代原発ゼロ」の方針を前提とするとしても、それに整合する核燃料サイクル政策の在り方は、極めて複雑である。

ましてや、より長期な原子力の利用の可能性も、今後の「柔軟性をもった姿勢(閣議決定)」において否定できないことを考えると、核燃料サイクルへの取り組みについては、軽々には判断できないはずである。これは、高度に分析的かつ戦略的に考えるべきものであって、現在の「国民的パニック」の状況下で早急に決められるものではない。メディアや政治が一方的に大衆迎合によっている現在では、なおさらである。

この問題は、ステレオタイプな情報に左右されがちであり、また、イデオロギー的な判断や国民感情に強く左右される。ステレオタイプなメディアの報道によって、本来あるべき戦略的議論が曲げられる可能性も高い。また、核燃料サイクルと原子力利用展開は、量的バランスや、国際展開を念頭に、常に一体で吟味されるべきである。エネルギー安全保障、国際核不拡散、外交面等を含めた、高度に専門的な方々が慎重に考える場を別途設けることが必要ではないか。