大学のバブル化は、教育政策の貧困の結果

2012年11月12日 12:31

田中文科相の新設大学認可のちゃぶ台返しも、ブログで予想したように落ち着くところに落ち着いたわけですが、学生数の減少のなかで、小泉内閣時代の規制緩和を行ったことが新設大学を急増させたこと、また学生が確保できず経営破綻する大学が増えてきたことがクローズアップされてきました。池田信夫さんは、大学が多すぎると指摘されていましたが、一言を加えると大学数が多いというよりも、特徴も、競争力もなく、また社会に求められる学生を輩出できない大学が多すぎるといったほうが正確だと思います。
:大学が多すぎる – 池田信夫 blog


大学数がどの程度必要なのかは別にして、この間、多くのマスコミは少子化による学生数の減少と、大学数の増加がクロスしているグラフを示してきました。しかし常識の罠にはまってしまっていると感じます。大学は高校を卒業した学生が入学するものという常識です。需要と供給のミスマッチとして見れば、とうぜん、学生争奪戦となり、激しい淘汰が起こってきます。

しかし本当に高等教育や専門教育が必要なのは高校を卒業した学生だけではありません。今日は社会ニーズの変化、産業の変化、技術の変化などがあり、むしろ社会人の再教育も大きな課題になってきています。

企業そのものも淘汰されるリスクが高いわけですが、その職場から離れた際に、務めていた会社で得た知識や技術、また技能が他の産業や、他の会社で通用しないために、再教育が必要になってきます。また高齢化によって、また働き方を変える必要が生まれてきます。その際も同じ事です。それまでに蓄えてきた知識や経験だけで、社会のニーズに応える仕事ができるとは限りません。たとえばNPO法人を運営するにしてもです。

この問題を考えると、日本では、職業能力開発校(従来の職業訓練校)、専修学校、大学の境界線があり、とくに職業能力開発校は厚生労働省管轄、専修学校と大学は文部省管轄となっていますが、その縦割りでいいのかという疑問も起こってきます。たとえば米国では公立や州立の二年生のコミュニティ・カレッジがありますが、社会人が昇進や給与アップをはかるための資格を取るためのコースやさらに成績さえ良ければ総合大学に進学できるコースなどがあり、社会人と若い学生がともに学ぶ環境が整っています。

そういった時代変化や新しい社会ニーズに沿った教育制度改革への取り組みが本格化しないままに大学数だけが増えてしまったことが今日の問題を引き起こしているのではないかと感じるのです。

また教える側も社会の現状を知らなさすぎると感じることもあります。内田樹さんのブログに共感している教育関係者の人がいましたが、時代認識のズレを感じます。池田信夫さんが、妄想だと指摘されたように、内田さんは経団連は大学が減って、中学や高校で卒業した安い労働力を求めているから大学数を問題にするという経団連の陰謀だというようなことを書いておられましたが、いくら中卒、高卒でも途上国とは比較にならないぐらい日本の人権費は高く、そういった人材を経団連企業が大量に求めているとはとうてい思えません。
田中大臣の不認可問題の影にあるもの (内田樹の研究室) :

しかも、中卒や高卒よりも大学をでたほうがましという発想もズレを感じます。今日に求められている人材は一様ではなく、総合力のある人だけが求められているわけではありません、高い専門性をもった人材へはニーズがあり、総合力も、専門性もない学生をいくら育てても企業は見向きもしません。
ただ学力の低下が、大学の問題と言うよりも、中学や高校の基礎教育の破綻だという指摘は間違っていないと感じます。

教育の対象は高校新卒の学生だけではなく、社会人も含めた教育の仕組みが必要とされていること、また今日のように専門性をもった多様な人材が必要とされる時代に、どういった高等教育が必要なのかは、ひとえに日本の教育をどうするのかという、国家戦略の問題だと思いますが、そういった議論や政策が乏しいままに、規制緩和だけが先走ってしまったのでしょう。

しかも新設大学に対しては、設備への助成金や補助金がでているようですが、それも大学バブルを招いてきた原因でしょう。それでは新設利権も生まれてきます。それよりは、学生バウチャーなど、教育を受ける側に直接投資をしたほうが健全な競争が生まれてくるものと思えます。

規制緩和し、競争原理を持ち込みさえすればなんでも解決するというのは、それは幻想です。規制緩和も手段なのです。有効に使わないと規制緩和の経済効果が生まれず、かえって弊害だけが生まれ、結果として規制緩和への不信感が高まってしまうだけです。そして大学間の競争は規制緩和を待たずとも、学生数の減少で激化するので、自然にブランド力や特徴のない大学、経営力のない大学は淘汰されていきます。

しかも、今回の田中文科相のちゃぶ台返しで、官僚が既成事実を積み重ねていけば、結局は政治がコントロール出来ない事実もクローズアップされてきました。問題の根はそちらのほうが深く、マスコミも野党もその点をよく考えた対応をしないと、官僚による「裁量行政」に対する歯止め、また政治主導の道を閉ざすことになりかねません。
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逆エージェンシー問題 – 池田信夫 blog : :

教育は国力の礎をつくる極めて重要な国家戦略です。日本の教育のあり方について日教組を批判するだけでなく、どうあるべきで、なにを改革すべきかのビジョンで競い合い、議論する流れが生まれればと願うばかりです。

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大西 宏
株式会社ビジネスラボ代表

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