小党乱立は日本の文化 --- 岡本 裕明

2012年11月26日 11:37

選挙を控え、各党の動きをやや下がってみると実に日本的である、と思わずつぶやきたくなります。主義主張が違うと正論を振りかざし民主党を離党した政治家はどこか自分とウマがあるところに吸い寄せられ、あたかも自分が生まれ変わったごとく、にこやかにインタビューを受けています。

ところがその小党もどことどこがくっつく、くっつかない、とまさに野合そのものであります。結局、高潔なる気持ちを持って離党し、どこかの党に擦り寄り、その党はどこかと合併する過程において、自分の純粋な気持ちとは必ずズレが生じてきているはずです。その受け入れ先の典型が維新ではないかと思います。


以前石原新党と橋下新党は性格が違う、と指摘したのですが、合わないカップルが一緒になった理由は議席確保。そのために相当の妥協を重ねています。

アメリカでは選挙はほぼ二大政党の争いになります。理由は小党を作っても勝てないからであります。いや、勝てないとは言いませんが、あの広大で東西南北それぞれ文化、歴史、経済、所得水準、民族的バックグラウンドが違う中でそれを一まとめにする大統領や主力政党となるにはあまりにもハードルが高すぎるし、仮に一人二人当選したところでほとんど役に立たないとわかっている割り切りと考えても良いかと思います。

ではなぜ、日本では次々と新党が出来たのでしょうか?

私はほぼ単一民族で国民の社会的水準、富が世界水準から見ればはるかに均一的であるが故だと思っています。日本の場合、外国人は少ないし、資本家と労働階級といった差別はほとんど見受けられません。そこで日本人というドングリの背比べをする場合、みな同じような背丈だとドングリの形とか、色合いなど違うところに目が行くようになります。なぜならば日本人は人と比べることが実に大好きであるからです。これが日本社会において派閥を作りやすいひとつの理由であると思います。

派閥は手ごろなサイズに収まるようになっており、一定の大きさを超えると細胞分裂のごとく分派したり離党したりします。理由は日本人がまじめ(英語で言うシリアス)であり、フレキシビリティがなさ過ぎる(頑固といった方が良い)のであります。よって、何かひとつの事象に対して同意できない場合、反対を唱えますが、議論し尽くすというより、「そんな君たちとは一緒にやっていられない」とプイと飛び出してしまうのです。

これは政治家に限らず、ほとんどの日本社会に蔓延しています。ここ、バンクーバーの日系社会もあきれ返るぐらい全く同様なのです。

私はこの細胞分裂を防ぐ方法を過去、10年近く考え、試し、意見を聞いてきました。が、ほとんど不可能、というより、くっつけようとすればするほど反発する力が大きくなることに気がつきました。ですからそういう無駄な努力はしないことにしました。そして別の方法をすでに考えてあります。これを来年から実行します。

日本の難しさというのはここにあります。私も海外に21年、日本でビジネスを手がけようとしてもこの手ごわい社会の壁にぶち当たることもしばしばです。

私は個人的には新党は応援しません。個別に同意できる政策やマニフェストがあったとしても小党ではどうにもならないし、小党同士が一緒になっても日本を支え、世界の中で十分な地位を築き上げる基盤が安定的に確保できるとも思えないのです。細川政権の時が良い例だったと思います。

日本人は基本的には自民党が好きだと思っています。慣れ親しんでいるし自民党が日本を世界のトップ舞台まで引き上げたという功績はやはり誰もが認めるのだろうと思います。このあたりが不況ならば中道左派というジンクスが通らない日本のもうひとつのガラパゴスなのでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2012年11月26日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。

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