選挙行動に関する一考察

2012年12月15日 11:07

日本における選挙は、小泉以降大きく変わってきているが、変化の軸は2つである。投票する人々の属性が変わったことと、同じ属性の人々でも行動が変わってきたことである。


その属性の変化とは、「浮動化」である。浮動票は昔から存在したが、決定的なのは、浮動票が「浮動層」として固定化したことである。逆説的だが、彼らは政治の実体とはほとんど無関係であるがゆえに、政治の流れを決定付けるという特性を持つようになった。

浮動層が生まれた要因は、「政治の終わり」が来たからである。なぜなら、高齢化などにより、財政は逼迫し、借金も膨らんだことから、財政政策の余地がなくなった。政治の主要な経済的機能は、所得再配分だから、配分するものがなくなれば、出番はなくなる。さらに、経済が複雑化したため、ヴィジョンや方向性を示すことも出来なくなった。グローバル化により、企業と国家の利害が常に一致するわけではなくなると、個々の働き手と国家の利害もそれに応じて乖離することとなった。したがって、多くのエリートサラリーマンは政治に対する関心を失っていった。

最初は、彼らはばらばらだった。彼らは、政治に関心を失うが、浮動層としてまとまった影響力は発揮できない。これに対応する正しい選挙戦略は、彼らの票は欲しいが、あえてそこを無視して、数は少なくとも、特定の利害に強い関心を持つ層にアプローチして、彼らの票を固めることだ。これは日本新党の登場、新進党の結成などを経て、より強まることとなった。なぜなら、一時は、新党ブームや、政策新人類と呼ばれる人々による政策ブームなどが起きたが、これらのブームは予測しがたく、結局、当選するためには、小選挙区で自分の名前を書かせることが確実に出来る、コアな支援者を確立することが勝負を分けることが明瞭になったからであった。

しかし、政治家たち、潜在的な立候補者達のこの行動は、有権者層を二分した。それは労働組合と経営者団体というような意味ではなく、政治的な配分に強い利害関係があるか、ほとんどないか(意識していないか)だった。政治家たちは、前者のまとまった票を固めに走った。なぜなら、具体的な政策の論点がはっきりしており、それを求めて政治活動、選挙活動をすれば、票として、数は多くはないが、確実に票読みが出来るため、この票をコアな票として最重要視した。

当然、浮動層は、これに反発した。彼らは、都市部から地方へ、若年層から高年齢層へ、国際競争力のある産業から農業、建設業などへの所得移転に反応したのではなかった。政策決定あるいは政治決定のプロセスから除外された疎外感からであった。そして彼らは結集した。それは特定利害ではなく、政治を変えること、政治を自分達が動かすという目的で一致したのである。そして、政治の実体的な利益ではなく、結果が目に見える選挙を動かすことに、無意識的に快楽を求めるようになった。

ここに、「浮動層」は確立する。彼らの目的は、政治、いや選挙結果に影響を与える、自分達が決定権を持つこととなった。皮肉なことに、この浮動層が決定的に影響力を発揮した最初の革命的な動きは、旧体制の内部で起きた。それは、自民党総裁選における、橋本龍太郎の敗北、小泉純一郎の勝利であった。自民党員による選挙において、特定利害の争いではなく、浮動層の取り込みだけを巡って選挙が戦われ、小泉の劇的な逆転劇となったのであった。

それは、さらに小泉郵政解散選挙で衝撃的な結果をもたらした。実体は、経世会と清和会の派閥争いに過ぎなかったものを、浮動層の決定力を活かして小泉陣営が圧勝した選挙だった。だから、このときに小泉に熱狂して投票した人々は、2009年の総選挙では、政権交代を決定付けることを目的とし、民主党に雪崩をうって流れることになった。

ここに浮動層は、メディアにも、保守的な政治家層にも認知されることになる。小泉などの感覚が鋭いか、観察に熱心な政治家たちはいち早くこの浮動層の確立に気づいていたが、経世会の人々などは、いまだにコアな支持層の固い票で勝負になるという感覚が捨てされずにいた。それが民主党の躍進にうまく対応できなかった理由である。一方、新生党のときに失敗している小沢はこれに当然気づいていた。しかし、彼は、野心的にも、浮動層も固定層も両取りしようとしたのである。浮動層は、選挙結果を決定付ける快感だけで動いているから、政権交代が実現した後は、新たな動きを決定付けるためにうずうずしていただけだったから、次の選挙は浮動層では勝てないことを彼はよく理解していたからであった。

しかし、民主党のいわゆる若手、政策通と辞任する人々は、これを理解せず、小沢を徹底的に批判した。浮動層を新しいスタイルの自分たちのコアな支援者だと誤解し、マニフェストに固執し、また浮動層のすべての支持を得続けようとしたために、すべての論点においてポピュリズム的な主張を取らざるを得なくなり、それらは両立せず、すぐに破綻することとなった。

彼らは、自分たちのコアな層は浮動層にあると誤解したのが致命的であった。彼らは浮動層であるから、原理的にコアな支持層にはなり得ないのである。小泉の熱狂的な支持から、小泉批判をして政権交代を目指した民主党に移ってきたのは、政治をエンターテイメントと捉え、選挙により、自分たちで結果を動かしたい、という欲望にだけ基づいていることに気づかなかった、そして今も気づいていないかもしれない。政策に固執するのはその現われである。決める政治が求められていると言うことは、政策自体は何でもいいのである。

ここに冒頭に述べた第二の軸が明らかになるだろう。それは、浮動層という属性を持った人々は、行動を変えてきたのである。彼らは浮動層としてまとまるまでは判官贔屓であったのが、この属性を確立した後は、勝ち馬に乗るように行動を変えたのである。昔は、まとまっても選挙結果を動かすことは出来なかった。どうあがいても自民党が多数を占め、その中で、どの派閥が力を持つか、と言うことぐらいであるから、特定の利害と関係なく、政治に影響を与えようと思えば、いわゆる批判票を投じることぐらいしかなかった。東京都知事選で青島幸雄が勝ったのが究極で、単に彼に都政を任せたいのではなく、これまでの都政への批判と言うことだけだった。だから、昔は、自民党のある派閥、あるいは中選挙区における自分の選挙区の1番手が強すぎると思えば、2番手、3番手の自民党の反主流派に投票したものだった。

しかし、今は、小選挙区で、政権政党の決定権が生まれ、それを動かすことが浮動層の目的となったから、判官びいきではなく、勝ち馬に乗るようになり、動かす側に回ろうとしたのである。これは、金融市場ではバブルに乗る投資行動と同じである。だから、選挙活動も、昔は、土曜日には、ぎりぎりです、危ないです、と訴えることによって逆転を図ることが可能だったが、今は、そんなことを言ったら自殺行為なので、望みが薄くなってきても、勝てると自信満々に気合を入れる戦略が票を伸ばすようになったのである。

さて、このような見方を下に、今回の選挙を占うと、現在は混沌としている部分もあるが、選挙後の政権あるいは政治に大きな影響力を与えると思われる政党に投票が流れ込むと思われる。それは与党になりそうな党、と言うこともあるだろうし、その与党に対峙する上において、政局に一定の影響を与えると思われる政党に投票すると予想される。

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