負け戦の正しい負け方-- 関ヶ原・薩摩大守島津義弘の賭け、そして現代の民主党

2012年12月21日 14:36
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島津義弘像(Wikipediaより)

10万人の敵に1000人が挑んだ戦い

私は古今東西の歴史・戦史研究が趣味だ。機会あれば古城や古戦場を訪ねる。iPadのおかげで、地図検索や資料収集が歩きながら容易になり、散歩が楽しくなった。

1600年(慶長5年)に戦闘が行われた関ヶ原も2回訪ねた。多くの物語がこの戦場にあるが、特に私は薩摩の大名の島津義弘(1535-1619)に関心がある。

彼は戦闘が決着した後で1000名の兵(一説には300人)で、10数万の徳川家康率いる東軍に向け、正面への退却戦を敢行。残存兵60人(一説による)と生き残り、国に帰還した。そして勝者の家康と外交を重ね、所領の薩摩・大隅・日向南部(現在の鹿児島県と宮崎県南部)を維持した。関ヶ原の敗者で、所領がそのままだったのは島津家しかない。

絶体絶命の窮地に陥っても「死中に活」を求めることのできた希有の例だ。


義弘は西軍に参加したものの、それは着陣の際に東西両軍の戦いが始まり関所が閉じられたためで、積極的に参加する意図はなかったという。兵士はわずか200人だった。当時、留守を指揮していた義弘の兄の島津義久は弟を使い捨てようとしたのか援軍を出さなかった。しかし「維新公(義弘の法名)御難」と部下たちが国から脱走し、数百人がはるばる薩摩・大隅から関ヶ原までやってきた。

義弘は西軍主将格の石田三成が戦闘の献策を無視し、また事前の小競り合いで島津兵を見殺しにしようとしたことに怒り、決戦の日の9月15日に陣を構えたが参加はしなかった。しかし味方を裏切る卑劣なことはしなかった。

戦闘が西軍敗北で決した午後4時頃、島津兵は「矢陣」という突撃隊形を作り前方に突進した。「死に狂いだ。手を出すな」と歴戦の武将だった東軍の福島正則は軍を引いたという。現地を歩いて理解したが、平地を速歩で進めば、前進していた徳川家康の本陣まで20分ぐらいで到達できる。当然、東軍は家康を守るために本陣に集結した。

義弘は華々しく敵本陣に突入して家康と差し違えて全滅する愚行はしなかった。敵が集結した間隙を突いて軍を右旋回させ、伊勢方面に退却した。

男は行動によって万言を語る

島津義弘は当時65歳だったが、それまでの50年の戦歴で戦闘では豊臣秀吉以外に負けていない。島津は九州をほぼ統一し、朝鮮の役では5000人の兵で20万人(島津家資料による)の明・朝鮮の連合軍を壊滅させ、日本軍の撤退を可能にした。今でも韓国で英雄視される提督李舜臣を露梁海戦(1598年)で戦死させた。

義弘の構想の下で当時の島津兵は精強だった。多くが徒歩で、誰もが3丁以上の火縄銃を抱え、短槍を持つ一方、甲冑は短い鎧の胴巻き程度で軽く機動性に優れ、そして勇敢だった。島津軍は火力を背景に戦場の主導権を握り、状況に応じて兵を銃兵にも、槍兵にも変化させた。おそらく当時の欧州世界で最強のスペイン軍とも、同兵力なら互角の戦いができたであろう。

関ヶ原で島津兵は敵陣突破の後で散開した。「捨てがまり」という一人ひとりが座り込んで銃を撃ち続け、その後にその場で切り結んで主力を逃がす凄まじい戦法が島津にはあるが、それを実行した。兵は確実に殺される。しかし死に向き合っても島津兵は合理的な行動をした。部隊指揮官である騎馬武者を狙撃、そしてそれを狙って斬り掛かったのだ。指揮官を狙うことは現代でも使われる戦法だ。家康の四男である松平忠吉と、その岳父で徳川四天王の一人の井伊直政は島津兵の銃撃で重傷を負い、それが元で落命する。

しかし退却戦は過酷で、兵は次々と戦死。落ち武者狩りや追撃が繰り返された。義弘の身代わりになった甥の島津豊久は重傷を負い、足手まといの懸念から自決した。60人の傷だらけの敗兵は大阪にたどり着くと、人質となっていた島津家の妻子を確保。船を奪って国に帰還した。

その後に島津義弘は軍を武装させたまま徳川家と交渉を続けた。家康は覇権確保のために過酷な戦後処理をするが、この態度ゆえに島津には手を出せなかった。力がなければ正義は寝言にすぎないのだ。

私は関ヶ原の島津陣跡に立ったことがある。そこは林に囲まれているが、植林が日本に広がったのは江戸時代からで、当時は荒野であっただろう。左手の近くに琵琶湖方面に抜ける北国街道がある。関ヶ原の当日、ここから10万以上の敵兵が眼前にひしめいていた姿を義弘は見ただろう。

普通の人間なら恐怖におののく。そして降伏か一目散に街道を逃げるという安易な解決策を選んだはずだ。しかし後知恵だが、降伏すれば勝者に恥ずかしめを受け、当主は切腹、所領は没収されただろう。広い街道を逃げたら、後ろから騎兵に追撃され部隊は簡単に壊滅したはずだ。それらの選択肢を選ばず、自分の力を冷静に計算して、義弘は最良の解答を選んだ。

それは信頼で結ばれた歴戦の部下の存在と、平時に精強な組織を作り上げてきたからこそできたものだ。小説「島津奔る」(池宮彰一郎著、面白かったが司馬遼太郎の本と似た箇所が有り、絶版になってしまったのは残念だ)で、義弘は部下たちに「国を守るため、貴様らの命をここで使い捨てる」という壮絶な命令を下し、兵士は従う。本当の言葉は記録にないが、おそらく同様の言葉で兵士たちを奮い立たせただろう。

島津陣跡で興味深い遺構もあった。明治時代から現代まで、鹿児島の人々が訪れ、石碑を立て、「島津の退き口」と呼ばれるこの壮挙を顕彰していた。薩摩藩が江戸時代にまとまり続けたのも、明治維新の原動力になったことも、「逃げない」という義弘の勇敢な行動があったためであろう。負けても次に、そして次世代に行動で多くのことを伝えることはできるのだ。

壊滅した組織、民主党は生き残れそうにないが…

関ヶ原の島津義弘から理想的な指揮官の姿が見られる。「部下との強い信頼関係」「危機における冷静さと合理性」「覚悟と勇気」「あきらめず、持続する意思」「平時における準備と実戦での錬磨」。そして絶体絶命の窮地でも、「死中に活」を求めるヒントがここにある。

危機ではじたばたと小細工をしてはいけない。運命を受け止め、あきらめず、チャンスを探し続ける。その中で生き残りの道を探し、自分の力で切り開く。例え滅びても、自分が捨て石になる覚悟を受け入れ、次につなげることを考える。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるが、それはあきらめに基づく消極的なものではなく、自らが主体的に状況を支配する積極的なものにも転換できるのだ。

なぜ関ヶ原を見た体験を思い出したかというと、今週の選挙で民主党という一つの組織の崩壊と大敗北を見たからだ。趣味への我田引水的な誘導で、通俗的な発想と読者のお叱りを受けるかもしれないが、その通りなので、お許しいただきたい。

民主党は政権運営もお粗末だったが、負け方もお粗末だった。民主党は2009年の総選挙では衆院で308議席を獲得したが、今回は57議席に激減。読売新聞の世論調査によると敗北の理由は、「党内のまとまりがなかった」との回答が51%で最も多い。「民主党政権の実績に不満があった」が21%で続いた。「野田首相に不満があった」は、わずか4%だった。これは自民党の支持が広がったという面だけではなく、民主党が自壊したということであろう。

選挙に負けそうになった後で、民主党からの離党議員は74人にもなった。その中で14人しか当選しなかった。これは予想できたことだ。もちろん離党者それぞれに、言い分はあるだろう。けれども戦史を見れば、敗勢の中で逃げ出したり、裏切りをしたりする人は、たいていまともな「終わり方」をしない。

恐怖にとらわれた兵士はたいてい哀れな末路をたどる。逃げ、騒ぎ、非合理的な行動をして味方を混乱させた上に、「敵に後ろからバッサリ」という例が多いのだ。危機にあっても生き残るのは勇気を振り絞って恐怖に向き合い、残された選択肢の中で「何ができるか」を考え続け、手をあきらめずに打ち続ける人だ。関ヶ原の例を引けば、西軍敗北の理由になった1万5000人の部隊による裏切りをした大名の小早川秀秋は批判から精神を病み早死にして、家は亡んでしまう。

民主党の哀れな末路で救いだったのは、野田佳彦首相と執行部の人々、また再選された人々が見苦しい逃げ方をしなかったことだ。重要課題の財政再建策のための増税(一国民として文句はあるが)を行い、原発をなくすという感情的な世論には組みせず、烏合の衆を何とかまとめて反乱者をたたき出した。島津義弘ほど「見事」とは言えないが、逃げなかったその姿は讃えたい。

私は15年ほど、記者として経済を中心にビジネス界や官界で組織と人を観察してきた。興味深いことに悪い評判が、良い評判より多い経営者、組織や企業、また組織内の個人も、5年も経過するとだいたい消える。当たり前だが、社会では信頼が大切だ。裏切りとか、人倫に反する行動で成功を収め一瞬だけ良い思いをしても、必ずしっぺ返しがある。世間はうまくできている。

そして状況は変わる。敗北は一時的なもので、いつでも盛り返せる。経済でも企業の入れ替わりは激しい。超安定一流企業だった東京電力を今年辞めた人が「安定なんか、世の中にありませんよ」としみじみと言っていたことは、取材で印象に残った記憶の一つだ。想像のできない状況の変化はあるかもしれない。大敗北の後で精強な組織を作り上げ、チャンスを待てば復活は十分できるだろう。

もちろん、これからが民主党にとって生き残りのための正念場であろう。過酷な現実を乗り越え、民主党に「死中に活」をつかんでほしい。健全な反対意見と政党は、必ず日本を良くする。全国民がこれから期待を込めて観察を続けることになるだろう。私も期待を込めて注目したい。

参考文献
陸軍参謀本部「関ヶ原の役」(徳間書店)
山本博文「島津義弘の賭け」(中央公論社)
池宮彰一郎「島津奔る」(新潮社)

上記の要約で、小説(池宮氏の本)から使った事実もあるので、間違いがあるかもしれない。ご指摘いただきたい。

石井孝明 経済・環境ジャーナリスト ishii.takaaki1@gmail.com

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