奴隷解放宣言から150年 --「権利の上に眠るもの」

2013年01月04日 07:00

Abraham_Lincoln_head_on_shoulders_photo_portrait150年前の1863年1月1日、アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンが奴隷解放宣言を署名した。(米国在日本大使館による日本語訳

そして今年1月1日、日本国憲法草案に、女性の権利などを盛り込んだ連合軍最高司令部の民政局に勤めていた女性のベアテ・シロタ・ゴードンさんが亡くなったと報道があった。(NHKニュース

権利とは「一定の利益を主張し、またこれを享受する手段として法律が一定の者に付与する力」(広辞苑)という。法律学上の分析は専門家に委ねたい。私は経済問題を主に追ってきた記者だ。あらゆる問題を学問的にではなく、「社会的影響、そして実現の過程」に注目して見てしまう。権利についても、2つのニュースを参照しながら考えた教訓を述べてみたい。
(リンカーン像 Wikipediaより)


理想と現実の間で葛藤した「戦争大統領」リンカーン

リンカーンは今でも世界で人気がある政治家だ。米国の姿を「国民の、国民による、国民のための政府」と1863年11月のゲティスバーグ演説で描写するなど、簡潔かつ美しい演説で民主主義の本質を語った。

しかし米国では、思想家という面だけではなく、民主主義体制の下で結果を出した「戦争大統領」としても評価されている。南北戦争の勝利、そして奴隷解放を成し遂げた。人間的な高潔さだけではなく、感情から離れて理性的な判断を行い続けた政治能力によるものだろう。米紙ニューヨークタイムズに1月1日、コロンビア大学のエリック・フォーナー教授のコラム(The Emancipation of Abe Lincoln(リンカーンによる解放))が掲載された。そこで示されているが、この宣言に至るまでリンカーンは状況に応じて行動を変えている。

コラムによれば、リンカーンは戦争勝利後の1865年の演説で「戦争の恐ろしい結末」は「250年に及ぶ奴隷の苦役への神の懲罰かもしれない」という強い言葉で奴隷制度を批判した。しかし自分の感情とは別に、現実の政治過程でその取り扱いは慎重だった。

1860年の大統領選挙で、リンカーンは奴隷制度に明確な廃止を訴えずに当選。ところが廃止を危惧した南部の強硬派による連邦離脱と武装化により、1861年に合衆国と南部連合は開戦する。リンカーンは短期決戦を目指したが南軍は善戦。奴隷解放宣言を発した63年1月時点では、戦争の帰趨は明確ではなかった。

リンカーンは当初は戦争目的を「連邦の維持」とした。ところが戦争が総力戦になり南部経済を麻痺させること、国際世論を味方に付ける必要から、奴隷解放が重要な意味を持った。開戦前の人口は北部2200万人、南部は白人500万人、奴隷400万人もいた。政治的な損得を天秤にかけて、奴隷解放宣言に至った。

そしてリンカーンは黒人への選挙権の付与には慎重で、「大義のために戦った人」のみに限定した。これを求めた黒人義勇兵は20万人にも達したという。しかし全体ではその政治権利は制限され、社会的差別も残った。1960年代に盛り上がった公民権運動が一因となって、アフリカ系アメリカ人の人々は政治的、社会的な自由を勝ち取っていく。

denzel_washington130919--350x450-1(写真は名優デンゼル・ワシントンが脱走奴隷で黒人義勇兵の役を演じた南北戦争の米映画『グローリー』の一場面。英語公式サイトより。この映画は、黒人と白人が葛藤を乗り越えて一体になったマサチューセッツ州の義勇軍部隊が壊滅する実話を描く、米映画らしくない悲しい話だ)

古代から戦争の結果、兵士となった人々に権利を認めることが繰り返されてきた。こうした「血の代償」は、為政者や社会に権利を認めさせる有効な材料であろう。フランス革命で共和政府は市民に徴兵制を導入する代わりに人権を拡充した。ナポレオン戦争後の19世紀、各国では従軍した市民階級の政治参加が進んだ。

日本でも事情は同じだ。戦前の日本では1925年に男子普通選挙が実現する。当時、陸軍と政界に大きな影響力を持っていた元勲の山県有朋は、「自分の導入した徴兵制の当然の帰結だ」と感想を述べたという。彼は議会政治に冷淡で頑迷な政治家であったという悪いイメージが今でも残るが、印象とは違う聡明な面があったと私はこの短い言葉で知った。

権利の拡大は、為政者が認めればすぐに実現するものではない。社会全体にそれを認めさせるという困難なプロセスを経なければ、内実を伴ったものにならない。権利の拡充には正当性の付与、そして主張者の義務が伴う。また権利は天から与えられた無制限なものではなく、政治的な状況によって左右され、取引の材料にもなる。

奴隷解放宣言の発効までの経緯と米国で黒人のオバマ大統領が誕生するに至ったその後の150年の歴史はそうした現実を教えるものだ。

権利の降ってきた幸せな国 日本

ところが日本は権利の獲得で葛藤のなかった幸せな国だ。第二次世界大戦の敗北と300万人の軍人・国民の戦死者の「血の代償」と受け止められなくはないが、日本国憲法を決めたのは1945年時点で日本を占領していた米軍だった。

亡くなったベアテ・シロタ・ゴードンさんは、日本に居住経験があり、45年当時、連合軍最高司令部に務めていた。ちなみにシロタはロシア系ユダヤ人の姓で日本人ではない。当時に22歳で英語に加えて、ロシア語、日本語が話せたために、大変重宝されたという。そして彼女の起草した男女の平等などが、日本国憲法に盛り込まれた。

ゴードンさんは、繰り返し日本の護憲派の招きに応じて、日本で証言、講演をしていた。「ベアテの贈り物」というドキュメンタリー映画まであるそうだ。彼女が良心に満ちた人であることは疑いないし、ご冥福を祈る。しかし、その姿をニュースや活字で見るごとに、私は不快感を抱き続けた。

日本人が決めるべき日本の憲法、そして権利を、外国人の一調査員の若い女性が関与し、それが通ってしまった。この事実は敗戦国日本を占領軍が軽く扱っていたことの証拠であり、侮辱であろう。これを喜々として受け止める日本の「護憲」を唱える一部の人の思考も理解できない。他国製の憲法をありがたがるなど、「精神的な奴隷」であると公言しているようなものだ。これは護憲、改憲を問わず、普通の人が抱く当然の感覚であろう。

これは一例だが、日本の思想潮流には、権利というものが普遍であり、誰でも当然享受できるものという誤解があるように思う。権利を唱える際に、「浮ついた」印象を抱くことが多い。もちろん憲法が日本のすべてに影響がするわけではないが、日本の権利意識がその始まりからいいかげんであり、その後の国民による運用もおかしいことの象徴に、ゴードンさんを讃えたエピソードは思えるのだ。

歴史を見れば権利には「血の匂い」がつきもの

私は経済記者として、震災と福島原発事故の後の約2年、エネルギー・環境問題の大変な混乱を観察した。日本の民主主義を「いいもの」と深く考えずに信じてきた私にとって、ショックを受ける経験であった。

福島原発事故そのものが衝撃で東電や行政への信頼が崩壊した。これらの人々を信じた自分の不明を恥じた。そして同時に、事故後の混乱も驚きだった。声高に原発反対を叫ぶ少数の人が、社会の中で目立った。時には社会秩序を乱すデモなどの形で行われる場合もあった。これに過剰に反応して、政治が混乱した。菅直人元首相は「民意による」と称して法的な根拠のない指示を連発し、エネルギー問題での政治・行政の秩序を首相自らたたき壊した。

「表現の自由」「国民主権」「デモの自由」「経済的な自由」「安全に暮らす権利」「被害者への補償」。エネルギー問題の議論でこうした権利の主張が溢れ、同じ言葉を政治家たちも繰り返した。私は当初、いちいち取材者として聞いていた。これらの意見は尊重するし、中には傾聴に値するものがあったが、次第にそのおびただしさ、そして過激さ、一方的な主張に「うんざり」するようになった。福島の人ならともかく、東京や大阪の政治活動家が「権利、権利」と騒ぐ姿は嫌悪感さえ抱いた。

権利の氾濫の結果は滑稽さを伴うものになった。少数の人々の主張に配慮をすることで、原発は法的根拠なく、大半が止まったままだ。停止に伴う燃料費の増加は年3兆円になる。その金を支出したことの合理的な理由を私は見つけられない。そして2年経っても、エネルギー政策の姿は定まらず、迷走を続けている。これまでの基本方針である「エネルギーミックス」、つまり原発を含めて多様なエネルギーを分散させることが日本の国情に適合するというエネルギー問題の正解、そしてゆっくり原発の未来を考えるべきという道理は明らかなのに、なぜかその方向に進まない。

原発をめぐりどのような意見を持っても自由だが、結果を考えず、責任の伴わない権利の主張が事態を混乱させているようにしか思えないのだ。この状況は、権利を過剰に認めすぎると、何も進まないし、全体がおかしくなることことを示す好例であろう。これは原発・エネルギー問題だけではなく、別の問題でも起こる危険が日本の各所で内包されている。

私はこれまで無批判に「民主主義」とか「人権」を認め、賛美してきた。しかし震災とその後の経験によって、それはバランスに基づいて行使されなければならないと考えるようになっている。権利の実現は、権力者の一存で決まるものでもなく、また単純に天から与えられるものではない。それを享受する人が、実効性を持たせる努力と責任を引き受ける覚悟が必要なのだ。

「権利の上に眠るものは保護に値しない」という法格言がある。「血の匂い」の漂う奴隷解放宣言。「脳天気さ」の漂う日本国憲法と日本での権利の主張。これら二つを見て、この言葉を思い出した。私たちは権利を主張する際に、付随する義務や責任を伴うことを忘れて、眠りこけていなかっただろうか。

権利を実効化していくのは私たちである。私は市井の一市民に過ぎないが、自らの及ぶ範囲でそれを認識して行動し、呼びかけていきたい。権利の氾濫を止めることは難しそうだが、人々の共通認識で、そうした覚悟が共有されれば、「あらゆる場面で何も進まない」という日本の状況は多少なりとも変っていくだろう。

石井孝明 経済・環境ジャーナリスト ishii.takaaki1@gmail.com

(付記)
2012年はアゴラで連載することで、多くの方との意見を交換いただいた。記者になった初心を考えれば、自分の文章によって人々と交流すること、正しい情報を伝えて人々の意思決定に役立て、そのささやかな取り組みが日本社会の発展に貢献したいという理想があった。後者はまだまだ道のりは遠いが、前者はこのネットメディアを通じて体験することができた。

またアゴラ研究所の運営するGEPR(グローバルエナジー・ポリシーリサーチ)に編集者と12年1月からかかわらせていただいた。このサイトはエネルギー問題をめぐる専門家の意見を集めている。エネルギーについての正確な情報を伝え、混乱した状況を正したいと思ったためだ。これは記事閲覧数が月25万ページビューと、硬めの論文サイトでは異例の閲覧数となっている。

この機会を与えていただいた、アゴラ読者の皆様、アゴラ研究所の池田信夫所長に感謝を申し上げます。今年もよろしくお願いします。

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