インフレに庶民はどのように向き合ったか

2013年01月10日 07:00

社会の存続基盤を転覆するうえで、通貨を堕落させること以上に巧妙で確実な手段はない」

J・M・ケインズ(経済学者 1883-1946)

tempx1_weimar_kinder_g「脱デフレ」を唱える安倍政権の登場でインフレが話題になっている。アゴラ上では経済学者の方々がその意味や可能性を検証している。

私は一介の記者であり、中途半端な知識で専門家の方々にまざった議論に参加しても意味がないだろう。インフレという現象に、庶民がかつてどのように向き合ったのか。過去の取材から証言を紹介してみたい。太平洋戦争の敗戦直後と、70年代のオイルショックという異常なインフレを取りあげる。

インフレは物価の持続的な上昇と定義される。今の日本ではデフレが続いて、多くの人がインフレを体験していない。記憶は消えてしまうものだから、ここに記す意味があるだろう。

「デフレは悪でインフレは善」。こうした刷り込みが社会に広がるようだ。確かに好況時にインフレは起こりやすい。しかし善い事ばかりなのだろうか。過去の歴史は、インフレの怖さを私たちに教える。

(写真はハイパーインフレーションに見舞われた1923年のドイツ。価値のなくなった札束を積み木代わりにして遊ぶ子供たち。Wikipediaより)


資産も命も大日本帝国は奪った– 戦後の「悪性インフレ」

1945年から48年にかけて、「悪性インフレ」と呼ばれる経済状態になった。当時の卸売物価指数を見ると敗戦の年の1月を1とすれば敗戦を経て、46年には3・2、47年には9・4、48年には34・3に急騰している。

空襲や敗戦を経て、物資流通の途絶、農業工業生産の減少、コメの凶作、貿易の途絶、そして社会不安による生産や物資流通の低迷、物資隠匿がインフレの引き金になった。

「バカヤロウ」。10年前に当時60歳代後半だったある年金基金の顧問を取材すると、その人は、新潟県で自作農だった祖父が怒鳴りながら紙の束を壁に投げつけていた姿を覚えていた。終戦直後は幼児だった。後から考えると、戦時国債や預金通帳の束だったろうという。

経済関連の年表を紐解くと、46年2月にインフレ鎮静化のためという名目で「金融非常措置」によって、預金の支払いが制限された。人々は自分の預金価値が下がるのを強制的に傍観させられた。戦時国債の多くは固定金利で価値が暴落した。戦争中に国は国債の購入と郵便貯金などへの貯蓄を奨励した。

当時70歳代の祖父は日露戦争に従軍して左腕をなくした。帰郷後妻をめとりニ男一女を得たが看護婦だった娘と次男を太平洋戦線で亡くした。そしてその顧問の父親である長男はシベリアに抑留され、49年に帰国できたが、終戦直後は生死不明だったという。47年にこの祖父は心労のためか亡くなってしまう。

ただしこの家は立ち直った。顧問の家は自作農であり、作ったコメは予想外に高く売れたという。また父親が帰国して農業を行い、さらには一部の土地を売り、なんとかインフレを持ちこたえたそうだ。

10年前も今と同じように、日本国債の価格は堅調に推移していた。この年金基金はそうした国債も購入する一方で、当時は投資例が少なかった非伝統的金融商品をポートフォリオ(資産構成)に先駆的に組み込んでいた。これらは主に海外の証券化した土地、山林、金やレアメタルなどだ。これら実物資産は90年代末の底値から世界のインフレの中で上昇して、この年金基金の運用成績を平均以上にしていた。これはこの顧問の「国を信じない」という考えが影響していた。

「大日本帝国」は、祖国を信じた老人の幸福と財産を奪った。「祖父の姿が目に焼き付いてねえ。日本を愛しても、日本政府はそれ以来嫌いになったんだよ」。この顧問は話していた。

社会不安をもたらしたオイルショック

もう一つの経験がある。高度経済成長期の73年から75年にかけて、スタグフレーション(成長の停滞とインフレの同時進行)が日本を襲う。中東情勢の緊迫によってアラブ諸国を中心とする石油輸出国機構(OPEC)が原油価格の引き上げをしたことが背景だ。おりしも73年当時は田中角栄首相が主導する「列島改造」で土地投機や財テクが広がっており、資産価格が上昇しやすい地合いにあった。

当時の卸売物価指数をみると、73年には対前年比で21・7%増、74年には同20%増を記録した。「狂乱物価」と呼ばれるすべてのモノが上昇して、73年秋には、一時人々が買いだめに走り、生活品や雑貨が不足した。

私の家族は東京の下町に住んでいた。当時2歳だった私には記憶がない。母は私と乳児だった妹を抱え途方に暮れたという。パニックには巻き込まれたくはないと、行列には並ばなかったが、おむつや牛乳、トイレットペーパーがなくなりそうになった。すると近所の親切な日用品問屋の人が、深夜訪ねて、生活用品をこっそり渡してくれたそうだ。「見つかったらこの町で商売ができなくなる」と言われた。とげとげしい空気が日本を覆っていた。

物不足は数ヶ月後になくなったが、物価上昇で生活は大変だったという。私の父は大卒の普通のサラリーマンで、給料は物価ほど上昇しなかった。ただし家族は私の祖父母と同居しており、曾祖父が建てた家、そしてわずかの土地があった。これで救われた。

曾祖父は1890年生まれで92歳まで存命していた。愛知県から上京して大工として働いていた。この曾祖父も現金を信頼していなかった。その理由は、1923年の関東大震災と、1945年3月の東京大空襲を経験し、異常な光景を見たためだ。

大震災は東京で被災。そして45年3月11日の空襲翌日は、疎開していた埼玉から東京に向かって、避難民の洪水と逆に歩いた。この2回の経験のいずれでも、避難民の中に札束をほどいて紙幣をばらまいていた人がいたそうだ。しかし誰もそれを拾わなかったという。「国なんてもろいものだ」と、曾祖父は繰り返していた。

この曾祖父は現金を信頼しなかったが、株なども知識がないので手を出さなかった。そこでお金を貯め、その本業の大工のコネを使って家と土地をいくつか買い、貸していたという。それがインフレから私の一族をある程度守った。もちろん両親がまじめに働いてくれたから、私は大学教育を受けられた。

実物資産はインフレに強いがリスクも多い

2つのインフレのエピソードから得られる教訓は何であろうか。

個人の資産にとって、インフレは敵だ。預金や、固定金利の金融資産の実質的な価値を減らす。資産運用でインフレは「マーケットの海賊」というあだ名がある。突如やってきて大切な資産の実質価値をかすめ取ることを意味する。

そして実物資産はインフレでは耐性があるようだ。しかし不動産は、実物資産では換金性に問題があるし、投資額が巨額で専門知識が必要なために単純に投資は勧められない。資産価格が上昇した日本の90年前後のバブル経済期に多くの人が不動産を高値づかみして困った。読者の皆さまの周囲には、参考例がたくさんあるはずだ。

参考までに述べると幕末のインフレ、明治中期のデフレ、末期のインフレを経験した銀行家の安田善次郎(1838-1921年)は、個人の生活ルールで「家の購入費は全財産の1割を上限とする」と決めていたという。リスクの高い資産を、全資産の10%程度にして投資失敗に備える考えは、今の視点でも合理的だ。

株はインフレに強いと言われるが、その際の社会変動で企業の勝ち負けが激しくある以上、上昇株の適切な選択は困難だ。実物資産に目を向けつつ、分散投資を行うという常識的な投資方法が、普通の庶民にとってインフレ局面で資産を守ることにつながるだろう。

「通貨の堕落」は社会を壊す

社会全体に目を転じてみよう。インフレが経済成長を伴い賃上げとバランスが取れればいい。しかし物価だけが過度に上昇すると、社会不安をもたらすし、インフレに弱い現預金を持つ人が没落するなど、社会構造の変化が起こる。皆が揃って貧しくなるという悪しき未来も起こりかねない。

日本、特に東日本の人々は11年に大震災と原発事故を経験した。震災の場合は構造物や人命への損失があった。それに加えて、その後の「不安」「怒り」による社会混乱があった。私は社会には安定が必要だとしみじみ思った。感情による混乱に、冷静であろうとしても巻き込まれてしまう。

それなのにインフレは混乱を貨幣面から起こしてしまう可能性がある。「社会の存続基盤を転覆するうえで、通貨を堕落させること以上に巧妙で確実な手段はない」。経済学者のケインズは、こうした印象的な言葉で、インフレに警鐘をならしている。

敗戦直後のインフレは、政府の放漫な戦費支出の結果だった。オイルショック時のインフレは、政策による事前の過剰な需要創出と輸入物価の上昇が複合して起こった。今はそれらを想起させる同じような悪しきインフレの種は転がっている。1000兆円を超える公的債務を抱える日本の財政は危機的状況である。世界的に食料品、原材料などの商品価格が、新興国の経済成長と購入によって強含みだ。さらに原発停止によるエネルギーの購入で貿易赤字は恒常化しそうだ。

危うい均衡が崩れそうな状況であるにもかかわらず、安倍政権はインフレをうながす政策に動く。2%のインフレ目標を設定し、公共事業の増加、そして日銀の国債引き受けを視野に入れた財政政策を行おうとしている。人工的な需要増により、景気は一時的に好転するかもしれない。しかし、そのてこ入れの結果、予測できない未来、つまり過去起こったようなコントロールできないインフレをもたらす可能性があるようにも思える。

薪が詰み上がっているのに気づかず、マッチを擦るようなものだ。不思議な事に、インフレのリスクへの警戒感が社会で少ない。デフレに慣れきって、別の事をあこがれる心理が社会の底流にあるのかもしれない。

引用した2つのインフレ局面は政府の失敗、そして外からのショックによってもたらされた。そして「政府を信じない」人ほど、苦しみは他の人より少なかった。インフレという多くの人には未体験の状況が訪れるかもしれない。過去のこの局面では「政府を信じない」という常識を持つ庶民ほど、生き残る可能性が高くなった先例があることを、私たちは胆に命じなければならない。

石井孝明 経済ジャーナリスト ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

関連記事

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑