バブルの思い出

2013年01月17日 01:11

きのうは新年会で、バブルの思い出話が盛り上がった。私が最初に地価上昇の番組をつくったのは1985年で、「神田の古本屋街に『地上げ屋』という恐いおじさんが出入りしている」という話題ものだった。そのころはまだ珍しい存在だった地上げ屋が、80年代後半には猛威をふるい始め、西新宿6丁目は最上恒産がめちゃくちゃにした。社長の早坂太吉は、エセ同和の尾崎清光を病院で殺した容疑者で、それを売り物にしていた。


このころマスコミが土地問題を取材するときは、必ず「悪い地上げ屋に追い立てられるかわいそうな人々」という図式だったが、実際にはその逆だった。多くの場合、底地は最終的にはゼネコンなどが買うのだが、その上に建っている家の店子が立ち退かないのだ。借地借家法では店子の権利が異常に強いため、裁判で立ち退かせようとしても勝てないので、地上げ屋が生ゴミを家の前に捨てたり街宣車で1日中わめくなど、暴力以外のあらゆる手段で追い立てる。結果的には、店子が地価の7割ぐらい取ることも珍しくなかった。

同じころ日本の自動車や家電製品が世界を制覇すると恐れられ、日米構造協議でアメリカが製品輸入を要求してきた。こうした「貿易摩擦」を避ける究極の政策として、1985年のプラザ合意で円高誘導が行なわれ、「円高不況」が起こった。これに日銀が利下げで対応したため、空前の金余りが起こった。

このとき不思議なことに、物価はほとんど上がらなかった。株価や地価は暴騰したが、日銀の監視しているCPIは2%までしか上がらなかったのだ。これは2000年代のアメリカの住宅バブルとも同じで、今回も安倍首相の望むようなCPIの上昇ではなく、麻生財務相のねらう資産インフレが起こるおそれが強い。すでに株価と地価の上昇は始まっており、金も32年ぶりの高値をつけた。

当時「バブル」という言葉は、誰も使わなかった。異常な時代だという実感はなく、景気のいい明るい時代だった。印象に残っているのは、都心でタクシーがつかまらなくなったことだ。六本木で終電がなくなると、道に出て手を振ってもタクシーがみんな満車で止まってくれないので、アイスクリーム屋で夜明けまで過ごしたこともあった。

日本企業は世界最強であると誰もが信じ、国土庁は「東京のオフィススペース需要は供給の2.5倍にのぼる」という調査結果を出し、これが地価上昇をさらにあおった。収益還元価格で考えると家賃の100年分を超える地価がついたが、一部の経済学者は「この地価から考えると家賃が安すぎる」といい、容積率などの規制を撤廃して東京をマンハッタンのようにすべきだと主張した。

地価上昇によって業績の悪化していた重厚長大産業は息を吹き返し、証券会社は「内需関連株」をはやし、日経新聞も「ストック経済化」のキャンペーンを張った。しかしNHKは「土地は誰のものか」というシリーズで、地価上昇に警告を発した。それはいいのだが、異常な地価上昇を国土法で統制せよというキャンペーンを張り、最終的には国土庁も折れて国土法で東京の地価の上限を決めた。

しかしこれによって余った金は大阪に流れ込んだ。ちょうどそのころ私は大阪に転勤になり、社宅のあった奈良の学園前は1988年には1坪100万円だったが、1990年には地価上昇率日本一になり、300万円まで上がった。梅田の地価が銀座を上回り、関西もバブルにわいた。こういうときは必ずもっともらしい物語があるもので、「関西新空港で関西がアジアの中心になる」というのが地価上昇の理由づけだった。

こういう状況が変わり始めたのは1990年初めだったが、そのころも「バブルが崩壊した」という人はいなかった。最初にそれを警告したのは、1990年12月のEconomist誌の特集だった。それは住友銀行の磯田会長が辞任した原因をイトマン事件だと指摘し、その背景には巨額の犯罪的な取引があり、不動産バブルの崩壊で日本の金融機関の経営は危機に瀕していると報じた。

日本のメディアがその後を追って「バブル」という言葉を使い始めたのは、1991年からだった。それでも株価がピークの1/5にまでなると思う人はおらず、日銀は利下げに慎重だった。当時、日銀の関係者に「なぜ利下げをしないのか」ときいたら、「急いで下げると次に利上げしたとき銀行の収益が圧迫される」と心配していたのが印象的だった。実際には利鞘を心配するような状態ではなかったのだが…

こうした経験からいえるのは、バブルは崩壊するまでわからないということだ。株価や地価が上がるときは、必ずもっともらしい理由がつき、「パラダイムが変わった」などとお先棒をかつぐ人が出てくる。2000年代の住宅バブルでは「金融技術によってリスクは完全にヘッジできる」という物語が過剰債務の原因だった。

今回の「安倍バブル」では「日銀がインフレ目標を設定すればインフレになって景気がよくなる」という物語を首相みずから流布している。救いがあるのは、麻生氏も市場もそういう物語を信じていないことだが、世の中にはこういう物語を利用してもうける人々がいるので要注意だ。

JBpressでも書いたように「日本売り」によって1ドル=100円以上の円安が起こるおそれは強いが、平均株価が上がる根拠はない。輸出産業はもうかるが、電力会社や流通などは輸入物価が上がると収益は悪化する。そして最大のリスクは、放漫財政と超金融緩和による国債バブルの崩壊である。その影響は、90年代の不動産バブルの崩壊をはるかに上回るだろう。

なおバブルの象徴としてよく使われるジュリアナ東京(上の写真)が開業したのは1991年5月で、バブル崩壊後である。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 青山学院大学非常勤講師 学術博士(慶應義塾大学)

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