今まさに国政に対するディベートが必要だ --- 岡本 裕明

アゴラ

野田前首相が衆議院解散を宣言してから日本はまるで生まれ変わったような変化を見せました。それは安倍政権に対する期待もありますが、民主党の下、嫌な思いをし続けてきた国民の反動の方が強い気がしています。ご承知の方も多いと思いますが、12月の選挙は投票率などテクニカルな分析からは自民党万歳という結果ではなくて民主党さようなら、という選挙でありました。一方、安倍首相は選挙戦を通じて国民に甘い言葉で気を引き付けました。そういう意味ではその戦略は大正解であったと言えましょう。

さて、私は自民爆走の現状にやや、懸念があります。過去、日本において一方通行の国政などなかったはずで、このゆり戻しはいったいいつやってくるのだろう、ということであります。


60年安保をご存知の方はもうだいぶ少なくなったと思います。日米安全保障条約の改定について安倍首相の祖父である岸信介首相(当時)はその推進のためにまさに力ずくのごり押しを行おうとしました。それに対して企業の組合と全学連は大規模なデモを何度も企て、再三にわたり、ぶつかり合いが生じました。まさに日本の歴史に残る事件です。それはある意味、強引な岸内閣に対する国民の激しい抵抗が力と力の戦いとして具現化したといっても過言はないでしょう。

安保更改後、学生運動は大きく退化、60年代半ばの二次ブント(共産主義同盟)以降は労働組合とは隔離された過激な運動家達の集まりと化し、国民からはまったく支持されなくなりましたが、それでも世の中に抵抗するという気持ちをもった輩がいたことは事実です。

第一次安倍内閣の頃、安保の当時に学生運動を盛んに行ったグループが集会を行ったようですが、もはや、70歳台となる人たちの後進はいなかったようです。あれから既に5年ぐらいの月日がたっていますのでもはや、この運動ですら化石化したといってもよいのだろうと思います。

安倍政権に対するメディアの扱いを気をつけてみていると政権成立前後からつい最近まではその政策に対する反対意見はほとんど見ることが出来ませんでした。それは本当になかったのか、かき消されたのかわかりません。メディアはビジネスですから受けの悪い内容の記事はあまり出したがらないですし、タイミングも探っているのだろうと思います。

ですが、ここにきてポツポツと「反対意見」が出始めてきています。私はようやくボイスが出始めたか、とほっとしています。自民党政権になってその方針がメディアを通じて流れてくる状況に対して野党の声はまったくなし。あえて一部の専門家が雑誌やブログなどでそのボイスを発しているにとどまっています。

私は安保の時のような暴力を伴う抵抗が正しいといっているつもりは毛頭ありません。あの頃はああでもしない限り声が届かなかったという時代でした。今はディベートを通じて正しい解を導くための手段がいくらでもあり、それこそが民主主義の原点である、と考えています。

たとえば2%のインフレはどうやったら出来るのか、無制限の金融緩和を目指そうと次期日銀総裁選びをするのが正しい方策なのか、北方領土は森元首相が妥協点を探りにいくとされているけれどそれでよいのか、原発のあり方についてゼロから見直すのは国民の意思なのか、などなど議論対象になる話はいくらでもあるわけです。

今のまま放置すれば現政権は突っ走る機関車のような感がありますが、走りすぎると後戻りできないリスクがあるのは国民がよく承知しているはずです。私は個人的には現政権の考え方に原則同じベクトルですが、政権と国民の温度差がどんどん広がるこの状態が本当に日本の望んでいる方向なのか、改めて考えてみる必要はあるのではないかと感じています。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年1月19日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。