趣味を強制させる事は可能か --- 竹内 玄信

2013年01月23日 14:34

社会学者の新井克弥氏が、バックパッカーが旅をする理由について考察している。新井氏は、バックパッカーの目的を「旅そのものを目的にするもの」と「旅を何らかの目的のための手段とするもの」と大分類した上で、前者を「ピュア・バックパッカー」、後者を「差異化のための旅」、「差異化としての旅」、「社会的存在を偽装する旅」に類型して、その特徴を記述している。(注1)本稿ではバックパッカーについては論じないが、ここで前提とされている「旅そのものを目的にするもの」と「旅を何らかの目的のための手段とするもの」という二分法をベースに、教育現場における学生への動機付けの問題を考える。


この二つは、心理学的には「内発的動機」と「外発的動機」の二分類と対応する。内発的動機は、報酬や罰則といった外部からのインセンティブに影響されず、その行為そのものを楽しむというものだ。一方で外発的動機は、そうした報酬を受けるため、或いは罰則を避けるために行動をするといった、いわゆる「アメとムチ」である。新井氏の例で言えば、内発的動機はそのまま「旅自体が目的」の状態、外発的動機は「差異化」や「逃避」の部分に対応する。

しかし、現実的には内発的動機と外発的動機を明確に分ける事が難しい。大抵は、どちらも人が必要性(欲求や義務感など)に基いて行動する事である以上、両者の境界が曖昧であったり、両者が複合したりする場合も多い。内発的動機という概念自体が、外発的動機と比べた場合の相対的な概念で、簡単に判断出来ないからだ。(注2)例えば、「勉強が好き」という学生がいる場合、前者の分類では内発的動機に基づいていると判断出来るが、その裏に「新しい事を知りたい」という欲求や「本を読むのが楽しい」といった、勉強を構成する要素に対する好みを表明している場合も多いだろう。

こうした「勉強を構成する要素が好き」という欲求から考えた場合、それは内発的動機でもあるが外発的動機と考える事も可能である。「金銭的な報酬」などは外発的動機に簡単に位置づけ、「勉強」という多様な要素から構成されるはずの行為を一括りにして、それを目的とする行為を内発的動機にするというのは、かなり乱暴である。それにも関わらず、日本の教育現場においては、「外発的動機から内発的動機へ」という、外発的動機を良しとしない前提で、「いかに勉強させるか」という動機付けの手法が使われているようだ。(注3)

外発的動機と内発的動機を厳密に分ける事が困難である以上、「褒美が欲しい」を外発的動機とし、「勉強が楽しい」を内発的動機にするのは、そこに明らかな価値判断が存在する。私もそうだが、多くの人が「勉強は大事」という意見を共有しているのだと思われる。けれども、各人に様々な選好が存在する以上、この二分法により「内発的動機で勉強をさせる」のを目的とするのは、学生に「勉強を趣味にさせる」という目的意識を持って教育する事に等しい。スポーツが好きではない人に「スポーツを趣味にさせる」事が困難であるのと同様に、勉強が嫌いな人に「勉強を趣味にさせる」事も同様に(或いはもっと)難しい。

勿論、学生が「勉強が楽しい」と思えるような授業を目指すという行為自体は重要だ。しかし、動機というものを二分法に囚われずに考えれば、必ずしも「外発的動機」(注4)も悪いものではない。寧ろ、「偏差値が高い学校に進学出来る」等の本稿で挙げた「決まりきった」外発的動機だけでなく、「勉強は多様な事に役に立つ」事を学生に理解させる方が、「どうせ学生のモチベーションを考えるのなら」自然な取組みである。

注1:『なぜ、バックパッキングするの?(上)』『なぜ、バックパッキングするの?(下)

注2:「褒美が欲しいから勉強する」とか「偏差値の高い学校に行きたいから勉強する」とか「成績が下がると部活を辞めさせられるから勉強する」といったものは、上記の理論では外発的動機に分類される。

注3:海外の情勢については確認していない。ここでは日本の公立学校における手法を指している。なお、現状については、教員志望の友人が持つテキストなどから確認した。

注4:どのような動機が良いかは個人差があるので、一様に「内発的動機」を最善とするのが良くないという事を含意している。また、いわゆる外発的動機のうち、罰則などの程度の是非については、また別の議論が必要である。

竹内 玄信
大阪市立大学・院生

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