体罰について

2013年01月25日 13:00

スポーツに対する体罰について、私は効果もあり、全てを否定すれば落ちこぼれる子供を救えないと考えています。
目標を与えるだけでできる子供ばかりではない。
強制されてやったことでも達成感・成功体験を繰り返すうちに、自主的に目的を見つけ、自主的に目的に向かって努力できるようになる子供も多いのです。

これらは勉強についても同じです。
その強制には体罰は有効であり、全面禁止の方が全体としての弊害が大きい。

さらに、悪事に対する体罰については、もっと必要であると考えています。


■分かってやっているか、分からずにやっているか

悪事に対する体罰も、子供が分かってやっているか、分からずにやっているかが重要です。「行けないことである」と分かってやっている場合、言葉では受け入れられないことが多い。(もちろん、受け入れられることもあるけれど)
これは宿題をやってこない子供から、駐車違反を咎められたとき悪態をつく大人まで、皆同じです。分かってやる(やらない)人は存在して、そのほとんどは言葉では治りません。

大人については刑事罰が相当でしょう。
例えば、駐車違反で、厳罰化されたことによって違法駐車は多少減りましたから、大人に対しても効果はあるのは事実です。

子供に対しては、分かって悪事をやっている子供にというのは、理解させようにも、既に、「悪事である」理解した上でやっているわけですから、何度も繰り返すように言葉で説得することは容易ではない、できないことの方が多いことになります。

言葉でできないことを続けることによって、体罰があれば止められていた子供の悪事を止められないまま育っていくことになります。何度も繰り返していますが、分かりきった注意は反発を招き犯罪傾向が強くなることにも繋がりかねません。

■イジメは口頭注意でエスカレートすることが多い

子供の悪事の中で、非常に大きな問題になっているイジメ問題は、一つは学校教育の体制の問題もあります。
イジメはゼロにすることは不可能です。なくならないのに、イジメが存在したことを学校、教師のマイナス評価するために過小評価や隠蔽が起こり、結果的に問題が大きくなります。イジメを見つけ解決したことをプラス評価する体制にしないと、イジメによる被害を減らすことはできないでしょう。

イジメは、虐めている方は悪ふざけの延長です。虐めている方は、あくまで【悪ふざけ】ですから【悪いという認識】は既にあります。常に「このぐらいは許されるか?」と探りながらやっているわけです。

それを教師や大人が見つけたとき、あるいは、イジメに遭っている子供の相談から分かったとき、口頭注意ですましてしまえば、「大したことはない、口頭注意程度で許される」と虐めていた子供に認識させることになります。
結果として虐めていた子供は、見つかったストレスからイジメをエスカレートさせることで発散させることも往々にしてあるのです。

虐められている子供は、教師や大人に助けを求めても、「口頭注意程度しかしてくれない」「エスカレートするかも知れない」と思うと、相談なんてできません。
逆に、相談すれば、教師や大人が「確実に止めてくれる」と感じさせることができれば、今よりもイジメの認知率が上がりますし、軽いイジメの段階で止めることが、今よりやりやすくなります。

それには体罰は必要なのです。

■学校への警察の介入

最近では非常に残念なことに、エスカレートしてしまったイジメ、その他のエスカレートしてしまった悪事など、被害者のことを考えれば、もう警察の介入は致し方ない。というような事案を見ることも少なくなくなってきました。

しかし、被害者が出たら、場合によってはその家族の人生だけでなく、加害者とその家族の人生をも狂わせてしまいますから、学校への警察の介入の前に抑止力が要るでしょう。

  注意 → 体罰 → 軽いうちに止める

  注意 → 注意 → エスカレート → 被害者が出る → 警察の介入

冷静に考えて、どちらが良いでしょう。

言葉で分からない子供は、被害者を出して犯罪者にしたら良い。というのが教育なのでしょうか?
驚いたことに、元検事を名乗りながらそれをいう馬鹿も存在します。警察の民事不介入の原則を知らないか、水戸黄門信奉者なのでしょうか。

「体罰はとにかく悪い」というイデオロギーになっていなければ、「体罰をなくすこと」が目的になってしまいます。典型的な手段と目的を履き違えたもので、私は「悲劇をなくすこと」を目的にしていますから、議論にはなり得ません。

■体罰は自殺に関係ない

統計的に(件数は、ほぼ横ばいですが少子化考慮して比率では)
子どもの自殺率推移(2012年7月2日)

http://tmaita77.blogspot.jp/2012/07/10.html より

校内暴力が猛威をふるっていて体罰が普通にあった80年代が、一番自殺が少なかった時期です。
(私は高校は地域で最もリベラルな学校だったので体罰は受けませんでしたが、小中学校のときはかなり体罰を受けました)
「体罰はダメ」というのが浸透してきた90年代後半以降、1.5~2倍に増えています。

校内暴力が多かった時期に体罰ができなければ、イジメを超えた暴力で自殺するいじめられっ子はもっと増えたでしょうし、今、教師が体罰を使えればイジメを止めて自殺を減らせます。

更に言えば、体罰と自殺は関係ないのです。

スポーツにおける体罰に戻して、なぜ体罰は自殺に関係ないと言えるか考えると、体罰というのは身体的苦痛を与えるものです。私のような遊びのクラブであっても、口が切れる程度のビンタと厳しい練習を比べると、身体的な苦しみは練習の方が大きい。

  自殺 >> 厳しい練習 > 体罰

ですから、体罰の身体的苦痛を苦にして、もっと身体的苦痛がある自殺というのは矛盾しているからです。体罰は小さな一因であったとしても、それを遙かに超える精神的苦痛がなければ自殺には至りません。

■体罰は後ろめたさを倍増させる

厳しい練習より体罰の方が苦痛が小いなら「体罰など効果がないのではないか」と思われるかも知れません。しかし、違います。

  厳しい練習 > 巧くなりたい・強くなりたい・(手を抜く)後ろめたさ

となったとき、人は練習で手を抜きます。

動機付けや励ましと言うのは、「巧くなりたい・強くなりたい」を何倍かに増幅させることで、

  厳しい練習 < (巧くなりたい・強くなりたい)× 励まし

と不等号を逆転させて練習を乗り越えさせる手法。
当然、巧くなりたい・強くなりたいと思ってない人にとっては、ゼロを何倍してもゼロですから効きません。

体罰は、「後ろめたさ」を増幅させることで

  厳しい練習 < (後ろめたさ)× 体罰
    ※ 体罰は1以上になる

練習に向かわせる手法です。

口頭注意では反発させてしまうことが多く(「勉強しなさい」と言われてやる気をなくすパターン)

  厳しい練習 > (後ろめたさ)× 口頭注意
    ※ 口頭注意は1以下になる

「後ろめたさ」が小さくなるため逆効果になるのです。
もちろん、「後ろめたい」と思ってなければゼロを何倍にしてもゼロですから効きません。つまり、何度も繰り返すとおり、理解していなければ意味がない訳です。

体罰と励ましは何も矛盾しませんから、同時にやるものです。
しかし、体育科に入るような人達は、元々意識が高いため「巧くなりたい・強くなりたい」は最初から限界まで大きくなっている可能性も高い。それ以上を求めるなら、体罰を選択することになります。
体罰に頼ったところで、乗り越えた先にある達成感と成功体験によって、好循環は生まれます。

桜宮の事件の場合、実際に【叱られ役】を作っていたということですから、【見せしめ】の意味が強かった。自分の所為で他人が責任を取って体罰を受ける。というのは、「後ろめたさ」を、直接受ける体罰の何倍にもしてくれます。【叱られ役】が充分に理解していれば、全員に体罰を与えずに最大の効果が得られます。

悪事に対する体罰も同じで、後ろめたさを増幅させるためにやるのですから、【悪いこと】と理解してないと効果がないけれど、理屈は同じです。

■間違った体罰を減らせば良い

  厳しい練習 < 体罰の恐怖

と思っている人は、「体罰は恐怖で支配するとんでもない行為だ!」と考えている。それは、体罰のやり方、意味を分かってないのです。
そう思っているであろう方からの反論が続きますし、桜宮高校の生徒やOBの言葉を聞けないどころか、言わされている、洗脳されている。とさえ言う人が教育業界(芸能界?)からも出ます。
キレイなココロの暴力です。

  厳しい練習 < (後ろめたさ)× 体罰
  厳しい練習 < 体罰の恐怖

右辺は、受取方の違いだけですから、これから第三者が事件を調べる際、「体罰は恐怖で支配するとんでもない行為だ!」という先入観を持って調べれば、如何様にもねじ曲げられます。これだけの大騒ぎをした後ですから、原発問題と同じようなねじ曲がった答えが出てくるでしょう。

「体罰は恐怖で支配するとんでもない行為だ!」と思う人の中には、間違った体罰を受けたためにそうなった人も多いでしょう。
実際に、間違った体罰は存在するし行われて来たことは否定しません。
(私も多少は受けたけどね……)
もちろん、体罰による悲劇は完全にはゼロにはできません。

しかし、統計的に、間違った体罰も含めた体罰があった頃の方が、自殺が少なかったのですからむしろ体罰は良いのです。

つまり、体罰を禁止して目立たない悲劇を増やすよりも、解禁して体罰による悲劇を小さくする努力をする方が、「悲劇をなくす」ためには効果があります。
今回の事件は、もちろん大変重大ではありますが、毎年、何百人も亡くなっていることは、もっと重大な問題です。何百人の一人一人に人生があったし、輝かしい未来があったのです。悲嘆に暮れる家族もいるのです。

そんなことは「命より、体罰による悲劇をなくす方が重要」と考えるイデオロギーを持った人には届かないのは分かっていますが、それ以外の当たり前の考えを持った人に届けばと思います。

■橋下市長について

私は橋下市長に大変な期待を持っていた人間の一人です。

今回の事件で、若者が亡くなったという悲劇は大変痛ましく、本人やご家族に思いを寄せると誰だって苦しいです。直接関係のない私でも苦しいのですから、大阪市を与る長として、苦しいのは当たり前です。

しかし、長としては、一人に思いを寄せて感情をオーバーシュートさせてはいけないでしょう。常に全体を見て判断すべきです。

原発問題、体罰問題と、感情をオーバーシュートさせてしまう脆さが如実に出てしまったのは、非常に残念です。

株式会社ジーワンシステム
生島 勘富
mail:info@g1sys.co.jp
Twitter:@kantomi

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