効率的な街の功罪…「省エネ」コンパクト・シティの流行が切り捨てるもの

2013年02月13日 12:24

経済・環境ジャーナリスト 石井孝明

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(鎌倉の「江の電」。コンパクト・シティの考えが広がる中で、日本各地で路面電車の再評価が行われている。(Wikipediaより))


「車がないと生活できない」

「万巻の書を読み、万里の道を行く」。士大夫の心構えとして、中国の格言にこのような言葉がある。知識を吸収し、実地で確かめることを推奨しているのだろう。私は旅行が趣味だが、この言葉を知って旅をするごとに、その地域や見たものの背景を一層考えるようになった。

日本各地を旅して感じるのは地域ごとに生活の姿が違い、それにともなってエネルギーの使い方がまったく違う点だ。その土地の歴史、地形、気候で選ばれる手段が異なる。その一例として交通手段がある。北関東、東北、北陸、北海道など、三大都市圏から離れて自立した経済圏を作っている平野部では、自家用車が交通手段として、大きな存在感を持っている。「車がないと生活できない」という話をよく聞く。

例えば、栃木県宇都宮市は「餃子の町」と観光PRをしている。ここを訪ねたところ「車の町」という印象を私は受けた。車が町の規模に比べて多かった。私は市内をめぐり、建材として知られる「大谷石」の採石場や石仏を見た。訪れたのは休日だったが移動手段がなかなか来ないバスしかなく、しかも女性や高齢者で混んでいた。大半の人が自家用車を使うため、バス利用の要求の声が強くないのだろう。

「宇都宮は車社会である」という印象は数字でも裏付けられる。環境省の資料によれば06年に一人当たりのCO2の排出は日本人平均で年間926キログラム、東京23区で541キロ、大阪552キロなのに、宇都宮市では1292キロに達する。

栃木県は明治以降に鉄道がそれほど発達しなかった。同県と宇都宮市は1970年代から道路整備をすることで車を使って住みやすい街づくりを進めた。団塊の世代の持ち家志向と重なって、中心部に人が住まず、郊外に町が広がる「ドーナッツ化」が進んだ。

行政担当者や宇都宮市民を批判する意図はないが、こうした車中心の社会は、それを使わない人には住みづらい町となる。そしてエネルギー消費の多さや、CO2の排出の多さも問題になる。

「コンパクト・シティ」の考えの登場

高齢化と温暖化が問題となる中で、「コンパクト・シティ」という考えが日本とヨーロッパで広がっている。鉄道駅のある都市の中心部に学校や役所の窓口など行政サービス機能、企業や病院、大規模商店などの重要施設を集め、その近くに人々を集住させて、日常生活と経済活動を「歩いていける」小さな空間で行おうとする発想だ。温暖化対策、震災復興、省エネを目的にすることを条件に、政府もこうした街作りを支援する意向だ。

公共交通機関を一定地域で整備し、移動の障害を取り除く「バリアフリー」を進め、町中を移動しやすくする。路面電車が日本の各地で、この考えが影響して再評価がされている。職住接近によって、働く人も移動の負担が軽減され、自動車の利用も減り、行政サービスの効率化、経費削減にもつながる。

そしてエネルギー使用の削減にもつながる。自家用車を使わず、路面電車、バスの利用を促進し、地域冷暖房を検討する地域がある。前述の宇都宮市は、車社会の見直しを進め、路面電車の導入、さらには公共バス網の整備を検討している。

東日本大震災の後で、私は宮城県の仙台市の沿岸部、松島町、名取市をボランティアや取材で訪れる機会があった。ここでも震災を契機に集住による街の整理を行い、コンパクト・シティをつくる計画が出ている。計画の中には高齢化の進んだ漁港や高齢化の進んだ地域を整理する構想が入っていた。

見え隠れする「切り捨て」の発想

しかし、どんな物事も「いいこと」だけではない。こうした考えは、今の日本を覆っている「効率化」に名を変えた「切り捨て」が加速しかねない。

「コンパクト・シティ」は1980年代から、ヨーロッパから提唱されている。これについて10年ほど前に、自治省(現総務省)で欧米の都市計画を調査した研究者と話したことがある。

その研究者によれば、20万から30万人ごとに自治体が置かれると行政サービス上で都合がいいとされる。それ以上人口が増えると管理が難しく、それ以下だと経費がかさむためだ。ドイツはその規模の自治体が多く、行政がスムーズにいくそうだ。日本は明治に確定した都道府県の境界をしがらみで変えられずに自治体の統合が行えないと、平成の大合併(2004~05年)前の当時は問題になっていた。

その研究者はドイツの自治体の理想的な人口配分は「ヒトラー政権下で進んだ」と言った。大都市の人口抑制、強制移住によって均等な人口配分を行い、管理と徴兵のしやすい均一の行政単位を作った。戦後に成立したドイツ連邦共和国(西ドイツ)は、ナチスの作り直しの上で地方分権を進め、自治体の運営がスムーズに行ったという。

「ドイツ人が『コンパクト・シティ』というと、このエピソードを思い出すのです。行政の言う効率化は『切り捨て』の裏返しであることが多いのですよ」。その研究者は話していた。

ナチスは独善的な主観に基づいて弱者や反対派を抹殺し、彼らの考える効率的な「第三帝国」を作ろうとした。この官僚の言葉が正しいのか、私はドイツの内政事情に詳しくないので分からない。またコンパクト・シティとナチズムに直接の関係はないであろう。しかし私はこの問題を考えるとき、この取材を思い出す。「切り捨て」の発想がそこにないのか、勘ぐってしまうのだ。

多様な国、日本の魅力が変る

日本を旅して分かるのは、決して均質・画一化した国ではない点だ。日本人はそれぞれの地域ごとに、多様で魅力的な文化を育ててきた。かつての自民党政権で、暴言を記者インタビューではいて辞職した大臣がいた。そこで「日本は単一民族国家で均質的だ」という言葉があった。これはアイヌ民族や、日本にいる他民族に配慮していないなどの点で問題であるだけではなく、私の旅の実体験からしても間違いだ。

山間の集落や、漁村でふと出会う、歴史的な遺物や、踊り、風習などの無形文化を見て感じる驚き、また美しい風景の感動を、私は旅の中で繰り返し体験してきた。そして、その地域の文化や風土の来歴を調べるごとに、日本と、そこに生きた人々への愛着がわきあがる。「万里の道を行く」楽しみと喜びを常に感じるのだ。

日本中がどこも似た「コンパクト」な町だらけの均質な国になったらどうなるだろうか。もしかしたら、「コンパクト・シティ」の流行は、日本の文化や歴史にも影響を与える重大な国の姿の転換になるかもしれない。

少子高齢化、財政破綻の危険を前に、「コンパクト・シティ」の建設は必要なものだろう。しかし、それによって切り捨てられるかもしれない多くのものの大切さを、決して軽んじてはいけない。

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