エコ情報の洪水にうんざり--「バレンタインはグリーンでない」と騒いだら?

2013年02月14日 06:30
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(茨城県水戸市のご当地お菓子「純愛つくば」シリーズ。茨城県の女性から義理チョコ(私がもらう数は少ない…)の一つとしていただいた。おいしかったが、パッケージがコテコテの「昭和の香り」がして、それも楽しめたので紹介する。この絵のようにイケメンと関係を深める事がバレンタインデーの目的であるはずだが…)

バレンタインの真実–これは冗談

2月14日の「バレンタインデー」。乙女たちは、意中の男性に贈るチョコレート選びに気合いを入れたり、手製チョコの準備にいそしんだりしたのではないか。

だがちょっと待ってほしい。そのチョコの裏で幼い子どもたちが苦しみ、地球が悲鳴を上げているのをご存知だろうか。


あなたが送るチョコの原料はカカオ豆。アフリカ西岸の貧しい国々が世界の7割を供給している。問題はグローバリゼーションの進行で、厳しい労働環境が悪化の一途をたどっていることだ。

国際労働機関(ILO)の2005年に公表した調査がある。 同機関は7割のカカオを産出するアフリカ西海岸のカメルーン、コートジボワール、ガーナ、ナイジェリアの4カ国の約1500の農場を調べた。その結果、児童労働の実態が明らかになった。

これらの農場では28万4000人の子どもが熱帯林を切り開き、畑で働いていた。そのうち15万3000人が防護用具なしで殺虫剤を使用している。けがや健康被害の懸念があるのだ。カカオ農場の64%の子どもは14歳以下で、また40%は女子である。そのうち親に契約をされた子供、つまり奴隷のように売られた子供は推定で1万2000人にもなる。

「チョコ一個は子どもたちの血の一滴」なのだ。あなたがチョコに力を注ぐ事は、悪しきグローバリゼーションを追認することになる。

お手製チョコを作ろうとしているあなたも待ってほしい。板チョコを買って溶かし、冷やし固める際に冷蔵庫を使うことで、エネルギーが使われ、化石燃料が消費されるのだ。

全国温暖化防止センターなどが公表しているデータによれば、家庭用大型冷蔵庫は年間200-300キログラムのCO2(二酸化炭素)を排出する。仮に1日当たりCO2を1キロ排出するとしよう。CO2の吸収量は杉の木1本で年間14キロ程度。チョコ作りに2月いっぱいかけるとすれば、冷蔵庫のエネルギー消費は杉1本吸収分のCO2を放出するのだ。あなたのチョコが地球温暖化を促進し、北極の白クマさんを絶滅に追いやっているのだ。地球の悲鳴が聞こえてくる…。

深く考えずにチョコをプレゼントしたとしよう。

「キミってアフリカの子どもたちや氷がなくなって苦しむ白クマさんのことを何とも思わない人なんだね…」

こんな軽蔑を愛しい男性にされるかもしれない。相手がインテリで優しい人であれば、なおさらだ。嫌われないためにも、今すぐバレンタインデーの準備をやめることをお勧めする。

なお「すでにチョコを用意してしまった」という乙女のために、地球の未来を憂う環境ジャーナリストの石井孝明が、善意の回収サービスを実施中だ。2月14日以降、顔写真とスリーサイズを添えて送っていただきたい。責任をもって処分し、内容を見て、お礼のメッセージも届けます。

あふれるエコ情報を受け止めきれない

もちろん上の文章は冗談であり、バレンタインデーの活動は自由にやっていただきたい。これはネット上でウソニュースを流すbogusnewsの2009年1月の記事「【オピニオン】チョコは貴女の評価下げる—世界経済と地球環境に思いをはせよ」を参考に書き直したもの。(最近、更新が止まって心配だ。ライバルだった虚構新聞は目立っているのに…。)エコ情報は詳しくしている。同サイト運営者の方に感謝を申し上げる。

ただこの冗談記事を書いた理由は一つの実験をするためだ。「エコで場違いな主張をしたらどう思うだろうか」と読者に聞いてみたいと思う。

日本でのバレンタインデーの目的は、チョコを通じて乙女の想いを寄せる男性への告白である。そして付随的に私のようなもてない男がいらいらする日だ。この記事の児童労働や温暖化のエコ情報で、チョコを渡す習慣を止めようと思う人がいるだろうか。いや、いないだろう。

テレビや広告でエコ情報があふれる。2006年にドキュメンタリー映画、「不都合な真実」が環境保護映画としては異例の反響を巻き起こしてから、その傾向が強くなった。「エコ」という言葉は、環境保護という意味だけではなく、倫理上の正当性(エスニシティ)やCSR(企業の社会的責任)を含めた広い意味でもとらえられ、「グリーン」という言葉も使われる。しかし、その情報があまりにも多すぎ、また中身の空疎なものも増えていないだろうか。

私は自称「環境ジャーナリスト」であり、環境情報には多少詳しい。しかし勉強するほど混乱する。省エネは必要だが、LEDや高性能蛍光灯のどれがいいのだろうか。有機野菜は本当にエコなのか。考えるときりがない。一部の人は最近、放射能をデマにも右往左往させられているらしい。私はめんどうになって、エコ情報を細かく考えなくなってしまった。

うんざり感が世界にあふれる

395あふれるエコ情報へのうんざり感は誰もが持つようだ。ニューヨーク・タイムズで08年7月記事に「That Buzz in Your Ear May Be Green Noise」(この騒音はグリーン・ノイズと言えるかも)という記事があった。(コラージュ参照)大量の情報を「グリーン・ノイズ」と名付けていた。アメリカの消費者は「グリーン派」の人も、情報洪水に嫌になっているという。

記事によると、環境関連広告代理店のシェルトン・グループによれば、2007年と06年を比べると、商品の種類ごとに異なるものの、25-55%の消費者が前年よりも環境配慮型の商品を買わなくなった。「調査した人の半数は『グリーン・メッセージはもうたくさん』とうんざりしている。環境問題への反動が現実に起きている」と分析していた。

そして記事は面白い文章で終わっていた。「環境問題との戦いは何世代もかかる長期戦だが今のようなグリーン・ノイズの洪水の中で、人々が『燃え尽き症候群』になってしまったらどうなるのだろうか」。

その記事からおよそ5年が経過した。反動と燃え尽きが日本で起こってしまったらしい。ひところに比べて「環境」「エコ」情報が減っているようだ。正確な統計はないが2011-12年のエネルギー危機での節電ブーム以外は、「エコ情報を発信することが減っているね」と、私の周囲のメディア関連企業の人はそろって感想を述べていた。

ある広告会社の人は「商品の選択では『グリーン』は、プラスにはなるけれど決定的なものではない。商品やサービスの質で消費者は選ぶ。しかもエコというと、我慢というイメージが伴ってしまう」と、話していた。うんざり感が消費者にも、企業にも広がっているのかもしれない。

環境燃え尽き症候群の弊害

そうした「燃え尽き症候群」は問題をはらむ。私たちは、格好の例を目撃している。福島原発事故以降、エネルギーをめぐる議論が広がった。ところが冷静に検証すると、声の大きい人が目立った割には、そこで産まれた意義のある結果はとても少ない。官邸前デモなど少数者の抗議行動は目立った。しかしそこでの「原発反対」の単純な叫びからは、社会の多くの人が参加する合意や意義ある政策提言などの知的生産物は産まれなかった。

騒ぎの後でエネルギー問題への社会の関心は減っているように思える。人々がムダなことにエネルギーを使って、「燃え尽き症候群」に陥ってしまったのかもしれない。福島の事故も、エネルギーでも、数多くの問題が今でも山積しているのだが。

環境問題を含めたさまざまな社会問題は、簡単に解決するものは少ない。ファッションや流行をつくることも、またそれに乗るのもいいかだろう。しかし情報の洪水は、関係者のうんざり感や「燃え尽き症候群」をもたらしたり、本当に大切な物を見えなくさせたりする危険がある。このことを肝に命じて、私たちは難しい問題に冷静に向き合い、語り合う必要がある。

冒頭の例に戻れば、もし乙女たちの前で私が「バレンタインデーは環境を壊す!」と騒いだら、頭のおかしなおじさんとして扱われてしまうだろう。児童労働の問題も、温暖化の問題も、誰もが認める大切な問題だ。しかし時と場を適切に定めなければ、「善意の押し売り」になってしまう。

本人は真面目で善意で行動しているのに、端から見ると滑稽、もしくは迷惑なうんざりすることが、日本中にあふれているように思える。気をつけたいものだ。

石井孝明 経済・環境ジャーナリスト ishii.takaaki1@gmail.com
ツイッター:@ishiitakaaki

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