日本の大企業は詰んでいる ―解雇規制緩和についての考察

藤沢 数希

日本企業の株価が上昇する中、多くの大企業がリストラを行なっている。パナソニックやシャープ、ソニーなど日本の錚々たる大企業が数千人単位のリストラを発表している。社員を自主退職に追い込むための追い出し部屋も話題になった。優良企業の電通もリストラを発表した。日本も社員のクビを切って企業業績、そして株価が回復するアメリカ型の社会になってきたのだろうか。筆者は、今回の株価上昇は、もっぱらインフレ・円安期待によるもので、企業業績とはそれほど関係がないと思っている。しかし、日本の大企業も業績が悪くなると社員のクビを切るという、アメリカ型になってきたというのはある程度は事実だと思われる。そして、これはかなり深刻な問題をはらんでいる。今日はそのことを論じよう。


多くの経済学者は、産業構造の変化に合わせて労働者が柔軟に移動するため、雇用規制の緩和が必要だとだと説いている。筆者もそのひとりだ。要するに、解雇規制を緩和、もしくは撤廃して、会社が社員のクビを切れるようにしろ、ということだ。しかし、筆者は外資系の金融機関という、雇用の流動性が高く、実質的にほとんど解雇規制がない所で、キャリアの大半を過ごしてきたが、このような労働市場にも問題がないわけではないことは事実だ。拙著『外資系金融の終わり』にも書いたが、実際の所、解雇規制の法律と、企業が本当にそれを守るのかどうかはあまり関係ない。日本の外資系企業や多くの中小企業は、社員のクビを自由に切っている。解雇規制をある程度は守っているのは、日本の大企業に限られる。なぜ解雇規制の法律が関係ないかというと、よく考えれば明らかだ。法律とは、クビになった社員が会社を裁判で訴えて、最終的に裁判所がどう判断するか、ということであり、ふつうのサラリーマンは会社から、「裁判なんてしたら二度と業界に就職できないぞ」と脅されながら、2年間も勝つか負けるかわからない裁判なんてできないし、目の前に割増退職金というエサをぶら下げればほとんど自分から辞めるのである。万が一に裁判になって会社が負けても、その割合が数十人に一人ぐらいだったら、リストラの利益で十分にお釣りが来る。解雇規制というものは、法律だけでは不十分で、労働組合や人事制度の仕組みなどもないと機能しないのだろう。そしてそれらがあるのが日本の大企業なのである。

さて、このように解雇規制が実質的にないとどうなるか。社員は、自分が転職市場で高く売れるスキルを必死に身につけようとする。そのためそういう履歴書に書ける仕事は奪い合いになり、逆に、自分の転職市場での価値を上げないめんどくさい仕事は押し付け合いになる。社員の時間の多くが、こういう仕事の押し付け合いの政治活動に割かれることになる。また、1年後に自分の椅子があるかどうかわからないところで、数年単位の結果がでるかどうかわからない地道な研究開発をやっているわけにはいかない。いかに短期間で利益を出すか、ということに集中し、息の長いプロジェクトはなかなかできない。筆者は、大学で基礎研究をしていたからわかるのだが、科学技術の基礎研究など、ほとんどの研究成果は実際に使われることがない。有名大学の偉い教授でも、生涯をかけて書いた数百通の論文のうちで、実際に実用化レベルまで応用された成果はひとつもない、なんてことはふつうだ。千三(1000のうちみっつでも当たれば御の字ということ)の世界だ。しかし、そのみっつが重要であり、解雇規制がない世界で、そういう長期の研究をすることはなかなか難しいだろう。日本は世界の中で解雇規制が厳しい国だが、そうした国で息の長い研究開発が必要な製造業が発展してきたのは偶然ではないのかもしれない。

また、実をいうと、解雇規制がなくなれば、成長産業に労働者が移動する、というのは経済学者がよくいうのだが、半分本当で半分ウソだ。みんながイメージする華やかな成長産業は、とうぜん給料も高いのだから、より高い報酬、よりいい環境を求めて、解雇規制とは関係なく労働者は勝手に転職するのである。実際のところ、解雇規制がなくなると、より低い報酬、より悪い環境だけど、社会が必要な産業に一部の労働者が半強制的に移動するのであり、それは国全体の生産性を高めるために大変素晴らしいことで、だから、筆者は日本で解雇規制がなくなることは経済全体には良い影響があると思っている。

そして一言で解雇規制の緩和、雇用の流動化とマクロにいっても、ミクロで見ればどういうことが起こるのかというと、お父さんがいい会社に務めていてそこそこいい分譲マンションに住んでいる家庭があったとして、お父さんが急に失業したりするわけである。そうすると会社の給料を当てにしていた住宅ローンが払えなくなるので、急にボロいマンションに引っ越すことにもなるし、私立の高校に通っていた子供が、公立に転校したりすることになるだろう。当然だが、こうしたお父さんのうちの何人かは自殺するかもしれない。中高年男性の自殺は何らめずらしいことではない。しかし、それはもともとそういう地位にあったのがおかしいことであり、市場原理により正しいポジションに戻っただけであるともいえる。そしてリストラで企業業績は回復し、その空いたポジションを埋めるために、若年層に複数の雇用が生まれる。ミクロに見ればいくつかの悲劇は発生するであろうが、そういった社会のダイナミクスは必要であり、筆者は経済全体で見れば悪いことではないと思っている。

このように解雇規制緩和には種々の問題点もあるが、強すぎる解雇規制の害悪が、非常に大きくなってきたことが日本経済停滞のひとつの大きな要因であることは確かだろう。日本の多くの大企業で、無理に雇用を維持しているため、企業業績が悪化してきた。そして、最初に書いたように、耐え切れなくなって、リストラに踏み切りはじめている。しかし、こうした中途半端なリストラは、日本企業をさらに弱くする、と筆者は思っている。1980年台は、破竹の勢いで進む日本の大企業を、世界の多くの経営学者が称賛していたのだ。欧米と違い、終身雇用が基本の日本の企業は、短期の利益にばかり目を奪われるのではなく、長期の課題に取り組める。社員が家族のような日本の企業は、社内での利害関係よりも、誰もが会社全体の利益を考える、などと言われていたのだ。それはある程度は事実だったのだろう。しかし、中途半端なリストラにより、社員と会社のこうした信頼関係は失われつつある。また、依然として、若い社員は、終身雇用を前提とした低い賃金に抑えこまれており、ボーナスが短期的な個人の業績に連動するわけでもない。よって、一部の外資系企業のように、明確なインセンティブで、社員を全力で走らせるようなこともできない。つまり、解雇規制の悪い部分は依然としてそのままであるのに、解雇規制のない会社のいい部分もないのであり、いわば日本型経営と英米型経営の悪いところ取りになっているのである。そして、こうした問題はすぐには解決せず、今後何年も続いていくだろう。すでに、日本の大企業は詰んでいるのかもしれない。