雇用流動化のためには先ず「個人の自立」が必要では?

2013年03月25日 16:27

今日のアゴラには「雇用流動化」を取り上げた記事が多い。このテーマに関する私の基本的な考えは、「自助」、「共助」、「公助」の見直しが始まるで説明の通りである。


流石に失業問題の顕在化が怖いから、厄介だからという理由でこれ以上企業に「雇用責任」を押し付け続けるのは無理だと思う。

年功序列、終身雇用を背景に「自助」努力の欠如した社員を企業が面倒をみて来た訳である。「共助」による日本独特のセイフティーネットと理解して良いのではないだろうか?

デフレの時代となっては、家電製造業の「追い出し部屋」が象徴する様に企業の忍耐が限界に来ている訳である。それでも、社会保障維持のために「雇用調整」をさせない。勿論、これでは企業自体が倒れてしまう。

しかしながら、問題は解雇規制を緩和したら万事が巧く行くのか?という懸念が払拭されない事である。

先程偶々、ソニー「中高年リストラ」の現場を目にした。

政府の「解雇規制緩和」を先取りして、解雇したい社員に「目標」、「役割」といった具体的な指針を与えず不安に陥れ、形式上は自己都合退職に追い込む訳である。

SONY程の会社であるから、事前に弁護士とも周到な打ち合わせを行い、法的な問題はクリアーしているはずである。気の毒であるが、狙い撃ちにされた社員には自己都合退職以外に道はない。

問題は、こういう形で退職に追い込まれた社員に次の勤め口が見つかるかどうかだと思う。

結論をいうと大変難しいのではないだろうか?そもそも、こんな理不尽な扱いを受けてまで会社に居座っていたのは転職出来ないからではないのか?

従って、解雇規制を緩和すれば、企業は遊んでいる中高年に高額な年俸を支払う必要がなくなるというプラス効果は確かにある。

その分、若くて年俸の低い社員を多く雇用出来るので、社会は活性化するはずである。

一方、解雇された社員が自分にあった職場に転職し、社会全体で観て生産性向上に繋がるといったシナリオは絵に描いた餅という事になる。

しかしながら、これはもう日本が良くなって行くためには止むを得ない犠牲と割り切るしかないのであろう。解雇された社員は過去の栄光を捨て、年収が半分、三分の一でも頑張って貰うしかない。

雇用流動化時代を迎えるに際し中高年に有効な処方箋はないとしても、これから世に出る若者はしっかりと準備すべきと思う。

具体的には、流動化した労働市場では自分自身が「商品」である事を明確に自覚する事である。

就職に成功した事で「正社員」という「身分」に胡坐をかいていては直ぐにリストラされてしまう。

大学生活の四年間は自分という「商品」の「商品価値」を最大限高める期間と割り切らねばならない。

就職活動とは自分という「商品」の中身と価値を見極めて、先ずマーケティングを行い、次いでクロージングに向けての実際の営業活動と割り切るべきであろう。

企業に職を得たとしても、飽く迄、企業と期間一年の雇用契約を締結した「個人事業主」と心得、契約した企業への利益貢献を最大化する事で、「再契約」をより有利な経済条件で勝ち取る気構え、意欲が必要と思う。

私も若干の経験があるが、実績を上げ勤め先に利益貢献する人間は、結果、業界内で顔と名前を売る事になる。当然ライバル会社は魅力的な条件を持参して引き抜きにやって来る。

一方、勤め先の企業も引き抜かれては困るので「昇進」や「年俸」で答える事になる。

雇用の流動化とは、頑張る人間には天国、怠ける人間には地獄、という事であろう。

山口 巌

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