経済成長と物理的制約

2013年04月03日 18:00

経済学では、何でもお金に換算して議論するが、これには陥穽がある。 それは、お金は無限に増殖可能なので、経済成長は無制限に続けられそうだが、実体経済には物理的制約があるからである。 

実際、リーマンショックは、無制限に膨張できるマネーと物理的制約に縛られた実体経済の乖離が引き起こしたものである。  


経済学は物理的制約を意識すべき 

経済学者は、どうも成長の物理的制約条件をあまり考えない傾向にあるように思われる。

解雇規制を緩和して、成長産業に人材を移動させれば、労働生産性が上がり、経済成長が見込める、という説があるが、これを考えよう。

確かに、日本企業が多くの余剰人員を抱えていることは事実で、雇用調整助成金などで、雇用を維持されている社内失業をカウントすれば、実際の失業率は、もっとずっと高いだろう。 

これを解雇規制を緩和して、人材の流動化を図ることで、失業率が顕在化すれば、失業率は、現在よりずっと高くなる。こうして失業した人たちが、成長産業に移動すれば、確かに労働生産性は上がるだろう。 

しかし、問題は、失業した人たちが就くのは、果たして成長産業なのだろうか?、そういった成長産業は存在するのだろうか? という問題である。 

こうした、本質的な点について、経済学者の方々が、議論しているのを私は見たことがない。 よくある議論は、日本はモノづくりから脱却し、産業のサービス化を進めなくてはならない、ところが、サービス産業の生産性は国際的に見て低いので、これをもっと高める必要がある、というものだ。 

これは、確かにそのとおりで、異論を差し挟む余地はない。しかし、サービス産業の生産性を上げるというのは、一体どういうことだろうか? ユニクロのように労働生産性を徹底的に高めるということなのだろうか? 

しかし、ここで重大な疑問が生じる。果たして、小売業などのサービス業で、各企業が、徹底的な経営の合理化、労働生産性の大幅な上昇を達成したとしたとして、経済が大きく成長するのだろうか? という疑問である。 
数学者の私の立場から見ると、これは、到底あり得ないように思われるのである。

たとえば、アパレル業界の全ての企業が、徹底的な経営の合理化を行ったとして、果たして、アパレル業界全体が栄えるだろうか? 恐らく、各企業の労働生産性は上がるだろうが、そこで働く人は、大きく減少するだろう、そして、競争の中で、多くのアパレル業界の企業が倒れると思われるのである。 そして生み出された失業者は、「新たな成長産業」なるものを求めて彷徨することになるが、果たしてそういうものは存在するだろうか?  

私は絶対に存在しない、とは言わないが、なかなか見つからないだろうと思っている。なぜなら物理的制約があるからだ。 既存の産業が満たしている需要の外側に何か新しい需要を見出すことは極めて困難であるのは、エネルギーを始めとする資源の産出に限界が生じているからだ。 これが、私の終始一貫した主張である。 実際、原油は1バレル100ドルに近く(北海ブレントは100ドル以上)、これが大きく下がる見込みはない。 

資源制約で大きくならないパイを次第に豊かになりつつある新興国と、先進国が分け合っているのだから、先進国の取り分が減るのだ。 

先進国の資源の取り分が減少する中で、つまり、先進国全体が貧しくなりつつある中で、既存の需要を労働生産性の上昇で、より少ない人員で満たした場合、そこから追い出された人たちがありつけるパイは果たして十分あるのだろうか? これは甚だ疑問だ。

そして、「そういった失業者の面倒は、国家がみるべきだ」と一部の経済学者の人たちは言う。 成程、企業にそういった負担を求めることは、高度成長が終わった今は、困難だ。 しかし、そんなことは可能なのだろうか? 消費税を非常に高くして、例えば50%から70%くらいにすれば、ベーシックインカムを導入出来る可能性はあるが、財政がここまでひどく疲弊した日本に、そんな余力はあるのだろうか?

従って、解雇規制の緩和は、企業が余剰人員を抱えこむのは不可能だから行うのであって、経済成長を加速する意味合いは薄いと思った方が適切だろう。 つまり企業の競争力を維持し、よりひどい状況に陥るのを避けるために、労働の二極化や格差の拡大に目を瞑ろうということだ。  

無限の成長という幻想

成長というのは、素晴らしいものだ。 経済がどんどん拡大してゆけば、失業しても、新しい産業が次々に生まれるから、失業を恐れることはない。 

失業を恐れず、どんどん新しいことに挑戦できる社会は、魅力的だ。北欧の社会では、個人のセーフティネットが整備され、労働人口の移動が容易なのが北欧経済の成功の理由だという。

しかし、比較的堅調な経済成長を続けてきたスウェーデンでも、ジェトロのレポートの2012年12月20日の項を見ると

解雇通告が急増、好調だった経済に陰り  景気低迷がユーロ圏を中心に広がる中、安定した経済成長を続けていたスウェーデンだが、ここにきて景気に陰りがみえ始めた。2012年夏以降、大量の解雇通告を行う企業が増え、国民や企業の将来への期待感も減退している。

とある。確かに、労働人口の移動が容易であれば、人材の適材適所への配置が実現し、経済成長に寄与するようにも思えるが、これは経済の物理的条件を変えるものではなく、自ずと限界があると思われる。 

つまり、簡単に言えば、金融緩和、規制緩和、財政出動、全て物理的には何もやっていないので、パイの大きさの拡大には全く寄与しないのだ。 強いて言えば、ひょっとすれば他の国を少し貧しくして、日本が少し豊かになれるかどうか、という話だ。 

こういった当たり前の事実を忘れて、インフレにすれば、消費が増えて、景気がよくなる、といったことを言う人は、頭のおかしな人か詐欺師だと思う。 

エジプトが原油・小麦などの支払いでクレジットクランチに陥っているが、このことが象徴するように、我々の行く手を阻んでいるのは、エネルギー生産、食糧生産の限界なのであって、これこそが、問題の本質ではないだろうか。
 

経済成長しない中で豊かに

Overdevelopment and the Delusion of Endless Growthを見れば分かるように、経済成長はエネルギー消費の増加ととほぼ等価なのであり、エネルギー供給に限界が生じれば、そこで終わりだ。 

経済成長がなくなると、この世の終わりみたいに思う人が多いかも知れないが、そうではない。人類の歴史を見れば、経済成長が普通にあった時期は、産業革命後の短い期間にしか過ぎない。 

国際通貨基金(IMF)は日本経済について、今年についてはゼロ成長、来年は0.4%のマイナス成長と予想しているが、そろそろ経済成長のない世界を如何に豊かに生きるのか、考えておくべきではないだろうか? 

経済成長がなくても、たとえば共有経済 のような方法で、豊かさを維持することは考えられよう。 どうしても経済成長が必要なら、国連環境プログラムの言うような、経済成長と資源利用のデカップリングを行うしかないが、ここでの経済成長は、最早、実質GDPの成長ではないはずだ。 

我々は有限の地球に住んでいるのだから、無理に経済成長を続けようとすれば、破滅的な結果を招く。 今後、10年から20年で我々のライフスタイルは、物理的要因によって、大きく変わるだろうし、変えなければならないだろう。 

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