「型破り」がイタリア人の型。である。 

2013年04月10日 07:03

日本とイタリアのテレビスタッフがいっしょに仕事をすると、かならずと言って良いほど日本側から驚きの声が飛ぶ。それはひとことで言ってしまうと、日本側の生真面目さとイタリア側の大らかさがぶつかって生じるものである。


お互いに初めて仕事をする者どうしだから、この場合には両者が驚くはずなのに、びっくりしているのは日本人だけである。生真面目すぎるからだ。それは偏狭という迷い道に踏み込みかねない。同時に何事も軽く流すイタリア人の大らかさも、いい加減の一言で済まされることが良くある。

こういうことがあった
「どうしてフォーマットをつくらないのかねぇ・・・。こんな簡単なこともできないなんて、イタリア人はやっぱり本当にバカなのかなあ・・・」
その道35年のテレビの大ベテランアナウンサー西尾さんが、いらいらする気持ちをおさえてつぶやくように言った。

西尾さんを含むぼくら7人のテレビの日本人クルーはその時、イタリアのプロサッカーの試合の模様を衛星生放送で日本に中継するために、ミラノの「サン・シーロ」スタジアムにいた。

ぼくらが中継しようとしているのはインテルとミランの試合である。この2チームは、世界最強のプロサッカーリーグの一つ、と折り紙がつけられているイタリア「セリエA」の中でも、実力人気ともにトップを争っている強力軍団である。ただでも好カードであるのに加えて、今日の試合は20チームがしのぎを削る「セリエA」の選手権の行方を、9割方決めてしまうと言われる大一番だった。

スタジアムに詰めかけたファンは約8万5千人。定員をはるかにオーバーしているにもかかわらず、外には入場できないことを承知でまだまだ多数のサポーターが集まってきている。球場内では試合前だというのに轟音のような大歓声がしばしばわき上がって巨大スタジアムの上の冬空を揺り動かし、氷点下の気温が観衆の熱気でじりじりと上昇していくのでもあるかのような異様な興奮があたりにみなぎっていた。

こういう国際的なスポーツのイベントを日本に生中継する場合には、現地の放送局に一任して映像をつくって(撮って)もらい、それに日本人アナウンサーの実況報告の声を乗せて日本に送るのが普通である。それでなければ、何台ものカメラをはじめとするたくさんの機材やスタッフをこちらが自前で用意することになり、ただでも高い番組制作費がさらに高くなって、テレビ局はいくら金があっても足りない。

そればかりではない。誰もが自由にカメラ機材他のスタッフともども球場に乗り込めば、そこは大混乱に陥って収拾がつかなくなる。なにしろセリエAの人気カードは、世界の多くのテレビ局が生放送をするビッグイベントなのである。

この日われわれはイタリアの公共放送局RAIに映像づくりを一任した。つまりRAIが国内向けにつくる番組の映像をそのまま生で受け取って、それに西尾アナウンサーのこれまた生の声をかぶせて衛星中継で日本に送るのである。

言葉を変えれば、アナウンサーの実況報告の声以外はRAIの番組ということになる。ところがそのRAIからは、いつまでたっても番組の正式なフォーマットがわれわれのところに送られてこなかった。西尾さんはそのことに驚き、やがていらいらして前述の発言をしたのである。

フォーマットとはテレビ番組を作るときに必要な構成表のことである。たとえば1時間なら1時間の番組を細かく分けて、タイトルやコマーシャルやその他のさまざまなクレジットを、どこでどれだけの時間画面に流すかを指定した時間割表のようなものである。

正式なフォーマットを送ってくる代わりに、RAIは試合開始直前になって「口頭で」次のようにわれわれに言った。

1)放送開始と同時に「イタリア公共放送局RAI」のシンボルマークとクレジット。
2)番組メインタイトルとサブタイトル。
3)両チームの選手名の紹介。
4)試合の実況。

ほとんど秒刻みに近い細かなフォーマットが、一人ひとりのスタッフに配られる日本方式など夢のまた夢である。

あたふたするうちに放送開始。なぜかRAIが口頭で伝えた順序で番組はちゃんと進行して、試合開始のホイッスル。2大チームが激突する試合は、黙っていても面白い、というぐらいのすばらしい内容で、二時間弱の放送時間はまたたく間に過ぎてしまった。

西尾さんは、さすがにベテランらしくフォーマットなしでその2時間をしゃべりまくった。しかし、フォーマットという型をドあたまで取りはずされた不安と動揺は隠し切れず、彼のしゃべりはいつもよりも精彩を欠いてしまった。

ところでこの時、西尾さんとまったく同じ条件下で、生き生きとした実に面白い実況報告をやってのけたもう一人のアナウンサーがいる。ほかならぬRAIの実況アナウンサーである。僕はたまたま彼を知っていたので、放送が終わった数日後に彼と行き逢ったとき番組フォーマットの話をした。

彼はいみじくもこう言った。
「詳細なフォーマット?冗談じゃないよ。そんなものに頼って実況放送をするのはバカか素人だ。ぼくはプロのアナウンサーだぜ。プロは一人ひとりが自分のフォーマットを持っているものだ。」

公平に見て彼と西尾さんはまったく同じレベルのプロ中のプロのアナウンサーである。年齢もほぼ似通っている。2人の違いはフォーマット、つまり型にこだわるかどうかの点だけだ。実はこれは単に2人のテレビのアナウンサーの違いというだけではなく、日本人とイタリア人の違いだと言い切ってもいいと思う。

型が好きな日本人と型破りが型のイタリア人。どちらから見ても一方はバカに見える。この2者が理解し合うのはなかなか難しいことである。

型にこだわり過ぎると型以外のものが見えなくなる。一方型を踏まえた上で型を打ち破れば、型も型以外のものも見えてくる。ならば型破りのイタリア人の方が日本人より器が大きいのかというと、断じてそういうことはない。なぜならば型を踏まえるどころか、本当は型の存在さえ知らないいい加減なイタリア人は、型にこだわり過ぎるあまり偏狭になってしまう日本人の数とちょうど同じ数だけ、間違いなくこの国に生きている・・・

仲宗根雅則
テレビ屋
イタリア在住

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