成長戦略(2)─ レーガノミクスとサッチャーイズム(その1)

2013年04月22日 20:33

サッチャー首相は英国を変え、レーガン大統領は世界を変えたと言う意味で、共に偉大な政治指導者であった。

この偉大な政治指導者の成長戦略と日本の関係については、サッチャーイズムからは学ぶべき物は多いが、「レーガノミクス」をそのまま導入することは危険だと言うのが私の結論である。


サッチャーの政策は極めて具体的でレーガンの政策は理念面が強いと言う違いもあるが、二人の置かれた政治的な環境や人柄の違いを知る事も理解に役立つ様に思う。

二人の個人的な共通点は意外に少ない。

敢て共通点を探すとすれば、共に庶民の家に生まれ、学生時代の成績は余りかんばしくなく、晩年はアルツハイマー症に悩まされた事くらいであろうか。

英国のリベラル紙ガーディアンは「彼女の遺産は公論 の分裂、私的利己心で人間の精神に鎖をかける貪欲に対する崇拝」とサッチャー元宰相を酷評したそうだが、彼女が余りにも強烈な「対決型政治家」ではなく、リーガンの様な魅力や国民との対話能力をもっていたら、これほどの酷評は無かったであろう。

彼女は、アパルトヘイト政策の少数民族弾圧政策に反対した英連邦諸国が、一致して南アとの禁輸策を打ち出したのに対し、英国経済へ悪影響を懸念して、禁輸政策に強硬に反対するなど、少数民族や弱者に対する配慮に欠ける人物でもあった。

それに対しレーガンは、永年の懸案であった日系人強制収用問題では米国政府として正式に謝罪し、保守派が拒否し続けていたAIDS問題にも理解を示すなど、弱者の立場には理解を示した。

大統領就任そうそうに銃撃事件で病院に担ぎ込まれたレーガン大統領は、「ここに居る先生方は、皆共和党員でしょうね?」とジョークを飛ばすと、民主党員であった執刀医が「大統領閣下、本日は全員共和党員であります」と答えた挿話や「弾をよけそこなっちゃたよ」とナンシー夫人に電話したと言うエピソードが報道されると、国民はユーモラスの中にも危機に慌てないレーガンのとりこになってしまった。

1984年の大統領選で、民主党のモンデール候補が73歳を迎えたリーガンの高齢を問題にすると、とっさに「一言申し上げておくが、私は貴方の若年による経験不足を逆手に取って、選挙戦に利用する様な事だけはしない事を約束する」と返した。

その後モンデールは「あの時は私も思わず笑ってしまったが、TV画面を良く見れ判るが、私の眼からは涙も流れていた。それは、この瞬間、私は選挙に負けると悟ったからだ」と語ったと言う。

デタントを否定しソ連に強攻に出る一方、軍事優先政策とアフガンの苦戦でソ連の経済的な疲弊を見て取ると、すぐさまソ連との取引に入る抜群の政治感覚を持っていたレーガン大統領は、個人的人気が高かった人柄も紛争解決には多いに役立った。

その集大成が、1987年にベルリンのブルンデンブルグ門からゴルバチョフ総書記に訴えた「若し、貴下が平和を求めるのであれば、そして若し、貴下がソ連と東欧諸国の繁栄を希求されるのであれば」に始まるベルリンの壁の撤去を訴えた演説で、この演説は、集まった5万人近い聴衆を魅了し、ソ連に大きな圧力をかける事となった。

その後間もなくベルリンの壁は崩れ、冷戦は終焉を迎えてレーガンの功績は不動のものとなる。

サッチャー・レーガンの二人が目指す保守主義は極めて似たものであったが、当時の英国には冷戦を終らせる力は無く、世界より自国を徹底した構造改革で再建する事から始めることが先決であった。

クイーンエリザベス号など民間の船舶を強制徴収して戦ったフォークランド戦争も、陰に日なたに支援したレーガンの協力が無ければ、クイーンエリザベス号も撃沈され、一瞬のうちに国民の支持を失う危険なある大きな賭けだったといわれている。

フォークランドの勝利が無ければ、11年に及ぶ長期政権も不可能でサーッチャーイズムがこの世に誕生したか否かもわからない。その意味でも、サッチャーはレーガンに頭は上がらない。

成長政策で必ず話題になる政府の大きさの定義は色々あるが、レーガン、サッチャーの目指す小さな政府とは、「公権力の介入の最低限化」であり、公務員や国家予算の削減はその手段に過ぎない。

税率の高さなどの指標から測れば、大きな政府の典型である「北欧諸国」が、公権力の国民生活に対する介入が極めて少ない為に、ビジネス環境の良さでも世界最高水準であるのは、この事を物語っている。
英国や日本から比べれば、元々公権力による規制の少ない米国だが、レーガノミクスの4大政策の一つであった規制緩和では、カーター政権時代より緩和のスピードが遅かった事実はレーガン政権の汚点であリ、ハイスピードの改革を行なったサッチャーには及ばない。

箸の上げ下ろしまで公権力が「口」を挟む日本は、社会主義国家も顔負けするほどの「巨大政府国家」で、サッチャーが採用した徹底した規制除去は、日本の成長戦略には欠かせない。

レーガンの掲げた政策は「強いアメリカ」を維持しながら、インフレ、失業、双子の赤字など、ルーズベルト以来の「大きな政府」の流れの見直しを図ると言う、アメリカ政治経済の根本的課題に挑戦する理念的な側面が強かった。

インフレ抑制策としてマネタリズムを本格採用した最初の大統領と言われ、しかもそれなりの成果を挙げた点と、冷戦を終焉させた2点で、レーガンは歴史に特筆すべき偉大な政治家ではあるが、結果で見る限り(1)財政支出の大幅削減(2)減税(3)規制緩和の成果に関しては落第で、日本のモデルにすべき政策だとは思えない。

レーガン以降の世界の紛争や経済的混乱を見ると、先に挙げたガーデイアン紙のサッチャー首相に対する酷評は、「レーガノミクス」を悪用したネオコンに向けられるべき言葉だと言う気がしてならない。

2013年4月23日
北村隆司

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