敢えて都市論。日本は「東京」には一極集中していない!

伊東 良平

池田信夫さんの「人口の都市集中が必要だ」をきっかけとして、小幡積さん大西宏さん山口巌さん、などが、さまざまな都市論を展開し始めた。

どれも傾聴に値する貴重なご意見だが、不動産を日頃から眺め、都市を分析することを生業とする者として、一つだけ確認しておきたいことがある。それは、人口だけ見れば、日本は「東京」に一極集中はしていない、という事実である。


日本のあらゆるものが東京に一極集中しているように思えるのは、省庁の本部が東京にしかなく、5大民放局やマスコミの本部、芸能人が活躍する劇場やコンサート会場が東京都心に集中しているからであって、人口統計でみれば、日本は「東京」には一極集中していない。

下図は、2012年の全国の市区(町村は含まない)別の人口とその順位を並べたものである。数が多く見にくいので中間や後ろは省略した。
市区別人口ランク - コピー

上位から、東京特別区部、横浜市、大阪市、名古屋市、札幌市と続くが、その順位は重要ではない。重要なのは、この人口と順位の両方の対数を取ると、ほぼ一直線上にならぶ、という事実である。つまり、日本の市区別の人口とその順位は、綺麗に『ベキ分布』している、ということになる。
人口対数

その理由はわからない。人間の行動は、そういうものなのだろう。

確認してほしい。「首都圏」という範囲でみれば、東京周辺は世界でも希少な人口3,000万人以上の巨大都市圏であるが、「東京都区部」という単位でみれば、日本の人口は「東京」に一極集中しているわけではない。

東京都心に住むとすれば、高い土地代や高額な家賃を覚悟しなければならず、皆がそれを受忍して都心に住みたがることはない。一方、郊外に住めばより広い土地や家が手に入るかもしれないが、その引き換えに通勤や買物などの利便を一部放棄しなければならない。その均衡を考え、人々は居住域を各人が決めている。また、地方自治体は、住民が地域の政策を独自に決める単位であり、小さくては物事を決める力が弱く、大き過ぎれば住民個々の意思を反映させにくい。

「寄らば大樹の陰」と言うが、皆が大樹に寄れば苦痛になる。人間は動物である。「エサ」を求めてより大きな町に集まる者と、残された「エサ」に期待してその場に留まる者の両方がいる。その均衡により都市が形成され、街がつくられてゆく。

都市は道路や鉄道などの交通インフラにより連関しているので、市区町村の単位だけでものを考えるのは乱暴なことはわかっている。ただ、市区別の人口とその順位がベキ分布をしているという事実を見ると、その均衡を“政策”により変えるのは困難ではないか。確かに、都市化が進めばベキの乗数(負)が小さく(歪度がより急に)なることは考えられる。その場合でも、必ずしも「東京」に一極集中するとは限らない。

産業インフラだけを考えれば、投資資金をどの地に落とすか、は重要な議論になるだろう。しかし、それに応じて人口分布が変化するとは思えない。人間は極めて動物的で、直観的に行動原理を決め生きている。都市に人口を集中させるべきか否か、の議論は重要ではなく、欲に満ちた人間の行動原理を理解した上で、自分達の街をどうすべきか、を考えることがより重要であろう。

伊東 良平
不動産鑑定士