ハーバードビジネススクールのケースになるということ・その1

田村 耕太郎

こんなに光栄なことだとは思っていなかった。ハーバードビジネススクール、HBSになり、私のケースのディスカッションにゲストとして招待されて参加してきた。テロのリスクや時間というコストを引き換えにしても、十分おつりがくる本当に素晴らしい時間であった。私の友人でHBS卒業生のCareという子育てと介護のビジネスを起業して世界中で成功しているSheila Marcero氏が「HBSのケースに招待されることが卒業生の間でもどれだけ光栄なことか?しかも政治のケースでしょ。悪いけど国家元首クラスしか呼ばれないわよ。すごいことよ」と自分のことのように喜んでくれた。


HBSでは「MBAになるより、教員になるより、そのケースの主人公になるような人生を生きることの方が意義があり難しい」といわれる。理由は明白だ。HBSは意思決定を訓練する学校であり、意思決定の訓練の教材としてケース(事例)が使われている。教員も学生もグローバルになるHBSで世界のだれが見ても何かを学べる意志決定の瞬間が刻まれている事例のみがケースとして作られ、使われる。

昨今、日本の存在感を増そうと、日本人教員やHBS東京センターが奮闘して日本企業を教員に売り込んでおり、また自ら彼らでケースを作成している。それはとても素晴らしいことで、私も応援させていただきたいが、それが広く多様な教員に使われ、学生の心をつかむかどうかは話は別だ。

結論から言えば、私のケースはインド系アメリカ人の教授が作り、彼とは別のイギリス系アメリカ人教授が使ってくれた。私も日本人教員も日本のセンターも誰も売り込んでいない。まあ何かを売り込まれて使うようなレベルの教員ではない。クラスに採用した教授はレベッカ・ヘンダーソン教授。HBSの教授であると同時に経済学部にも籍を置くエコノミストである。彼女のクラスは「Re-imagining Capitalism」というものでMBA二年生の選択科目。これがかなりの人気で、この授業に登録できるのは80名だけ。その3倍以上の申し込みがあったらしい。最優秀教員賞を受賞したこともあるヘンダーソン教授は教え方もうまいが、今回ボストンで授業の準備を一緒にしていかに研究熱心か本当に驚いた。そのおかげもあり、私のケースは広く学生に読まれ、多くの日本人MBA2年生が聴講に来てくれ、ケース議論終了後ヘンダーソン教授自身が「これは素晴らしいケース。すぐまた使いたい。私も他の教員に薦めたいし、彼らは私がそんなことしなくてもこのケースを広く使うと思う」といってくれた。

私の話の部分はビデオ録画され、是非オンラインで公開したいとの申し出がハーバードとヘンダーソン教授からあり、私はもちろん快諾。よってEdxで近日公開されることになる。

私のケースができるきっかけは全くの偶然であった。2011年の北米におけるアジア関連のビジネスコンファレンスとしては最大の、ハーバードアジアビジネスコンファレンスにパネリストとして招待受けたことに始まる。これはハーバードロースクールとハーバードビジネススクールの共催で学生が興味ある講演者を選んで招待するものだ。そのパネルで一緒になったHBSのスター教員ラマナ・カシーク教授とパネル議論が盛り上がり、当時フェローとしてハーバードに滞在して私はよくランチをともにするようになった。ラマナ教授は情報公開の観点から日本の資本市場に関心があり、私はハーバードで一番おいしいビジネススクールの”教員用”カフェテリアに関心があり、月に一度はランチをするようになった。そこで私の日本版政府系ファンド構想を高く評価してくれ、ある日突然「HBSのケースにさせてくれないか?」との申し出を受けた。

「今の私は経営者でもないし、私の話でいいのか?HBSのケースはグローバルに見てかなりユニークなものしか対象にしないだろ。本当にケースになるのか?」と聞いたら、「まあやってみよう。来週一日時間を空けてくれ」とインド系ならではのこちらの空気を読まない要求をぶつけてくる。一日を空けるのは簡単ではなかったが、彼のオフィスに行って一日ではとても足りないとわかった。私の生い立ちから政治的キャリアまで徹底的に詳しく訊問され、日本の経済、歴史、資本市場まで聞いてくる。もちろんその日までに彼らは綿密に裏情報をチェックしていた。質問も鋭い。日本の政治や政党のことまで驚くほど調べていた。

アシスタントのマットはエール大学を最優等卒業したばかりの22歳で、ストレートにビジネススクールのリサーチアシスタントになっていた。彼は大車輪の活躍で日本語に苦労しながら私の発言とデータと証拠を照合していた。一日インタビューを数回繰り返し、たたき台ができた。

そして、次はフィールドインタービューである。彼らが東京に来て東京のリサーチセンターと一緒に関係者を取材する。私もアポ取りで奮闘し、安倍晋三元首相、山本有二元金融大臣、渡辺よしみ元内閣府大臣、伊藤隆敏東大教授、財務省高官、日本銀行幹部、産業革新機構社長、らを取材。一週間で20名以上取材した。もちろんその間築地の市場を視察したり、私の隠れ家に連れて行って羽目もはずした。

しかし、一つのケースを作るのにこれだけの時間と労力をかけることに驚いた。しかも現役教員なのでクラスもあってその合間を縫ってである。結局私のケースのドラフトが完成するまで一年かかった。そこからも関門はある、出来上がったケースを再チェックし登場人物に了解を頂くのだ。東京センターの山崎まゆか女史のお世話になり、日本語訳をつけて一人一人私と山崎さんで回った。サインをもらって完成した時には安倍晋三氏が自民党総裁として再登板していた。

ケースはできたが、これが使われるかどうかは別問題だ。ところがさっそくこのケースが使われることになる。前述の人気クラスで人気教授が使ってくれることになるのだ。彼女から授業への招待があったのは昨年の暮れのことである。続きは”その2”で

この記事は田村耕太郎のブログからの引用です