ユニクロの「世界同一賃金」政策について

松本 徹三

柳井さんの発表とその後の質疑応答での発言は極めて刺激的だ。内容があまりにdrasticなので、実現を疑問視する人も多いだろうし、「ユニクロはブラック企業ではないか」と考えている人達には、新たな攻撃材料を提供する事もあろう。

しかし、ここでは、私はそういう観点からの問題には敢えて言及しない。また、「世界中の人間はその生産性に応じて同じ生活水準を享受して然るべき」という哲学論(私自身の持論でもある)にも敢えて触れないし、「日本人は一握りの年収1億円の人達と多くの年収100万円の人達に二極分化していくだろう」という、更に刺激的な柳井さんの発言(私自身はこれには全く賛同しない)にも触れない。


ここで私が論じたいのは現実的な一つの問題だけだ。それは「世界企業はexpatriate(自国人の移住者)重視政策を、今後とも継続しうるか?(継続すべきか?)」という問題だ。

ある国の企業が外国に進出してそこで事業展開をしようとした場合、通常は自国人を責任者(country manager)に任命し、その上でこの責任者に適宜現地人を雇用させようとするのが普通だ。

その理由は単純だ。先ず、責任者を自国人にするのは、本社の各部門とのコミュニケーションが円滑に出来、種々の問題が生じた時にも同じ解決策に合意しやすいからだ(文化の違う現地人だとこれがなかなかうまく行かない恐れがある)。

その一方で、従業員の多くは自国人にせず、現地人を採用するのは、突き詰めれば「言葉の問題」と「コストの問題」だ。

先ず、「言葉」の問題だが、これは「言葉」だけではなく、「文化やビジネス慣習への理解」も含めたものと受け取ってほしい。現地に深く入り込んで的確な情報をとり、これに基づいて的確な判断を下したり、顧客の信頼を得て商談を有利に進めたりする能力となると、平均して矢張り現地人にはかなわないから、自国人に絞ってそのような人材を探そうとすれば、効率は極めて悪くなる。

本来は、社内の問題より、社外の問題の方が重要な筈だから、責任者といえども現地人にして、内部のコミュニケーションについては若干のフラストレーションを覚悟してでも、現地に深く入り込む事を優先させ、ビジネスの拡大を図るべきなのだが、その踏ん切りをつけられる会社はそんなに多くないのが現実である。人は大体において、何事も「仲間内」でやる方が気持ちがよいからだ。

責任者を自国人にした場合の弊害は明らかだ。この責任者は概ね自分がコミュニケートしやすい部下を重用する。従って、その人達が顧客やパートナーにどのように評価されているかは二の次になってしまう。部下の方も心得たもので、会社の長期的な利益よりも、どうしたらexpatriateの人達に気に入られるかを優先的に考えるようになる。こんな事ではとてもビジネスの拡大は望めず、社内のモラールも低くなるだろう。

例えば、日本で事業展開をしたい米国企業を一例として考えると、責任者として、本社とよくコミュニケート出来る日本人を選ぶか、日本の事をよく知っている米国人を選ぶかが、先ずは判断の分かれ道となる。本来ならば、英語をしゃべれる日本人の数の方が、日本語をしゃべれる米国人の数より遥かに多いわけだから、適材を求めるには前者の方が遥かに容易な筈だ。しかし、実際にはなかなか日本人の適材が見つからず、結局米国人に落ち着いてしまう事が多いようだ。

逆の場合、つまり日本企業が米国に進出する場合はどうだろうか? 日本にある本社の各部門とのコミュニケーションは当然英語でやるのが原則だとしても、現実には英語の苦手な日本人の数は多いので、この点からだけ言えば、日本語が出来る日本人の方が有利だ。しかし、米国で米国人を相手に仕事をするという事になると、英語を使い、米国のビジネス慣行に則ってやらねばならないので、普通の日本人はハンディキャップを負う事になる。

一般の米国人が日本の本社の考え方を理解し、日本流の仕事のやり方に自らを合わせていく事は容易ではないが、忍耐を持って努力すれば、出来ない事ではない。これは、ある程度英語の出来る日本人が、米国で米国流の仕事のやり方に慣れていくのと殆ど同じだろう。

この事は、つまり、一部の領域では、「英語の出来る日本人」と「普通の米国人」がほぼ同格だという事を意味する。しかし、その他の多くの領域では、「普通の米国人」の方が概ね有利という事になるから、結局は米国人優先にならざるを得なくなるだろう。

さて、ここ迄は「能力」の問題だが、「コスト」の問題となるとどうだろうか? 

どこの国の企業でも、Expatriateに対しては相当の報酬を支払っている。元々責任のあるポジションについているのだから、ベースの報酬額は高い。それに加えて、外国に居住する事の不便さを補う相当額のFringe Benefit(付加手当)が加算されるのだから、当然相当の金額になるわけだ。従って、日本にいる欧米の企業人の多くは、麻布等の高級マンションに住んでいるのが普通だ。

こんなところに住むのは、普通の日本人だと役員クラスでもとても無理だが、彼等が海外に赴任すると、状況は一変する。Fringe Benefitの原則は、日本の会社の海外駐在員にもほぼそのまま当てはまるからだ。昔の駐在員は海外でもあまり余裕のある生活は出来なかったが、日本が高度成長を遂げた後は、概ね現地人が羨むようなレベルの生活が許されている。

という事は、企業にとってはExpatriateのコストは現地人のコストのほぼ倍となる事を意味するし、これに、前述のような「仕事をするのに必要な能力」の評価を加味すると、当然の事ながら、「Expatriateの数は極力減らし、現地人を増やす」という力学が働いて然るべきなのである(もしそうなっていないとすれば、経済合理性とは関係のない、何等かの別の力学が働いていると考えざるを得ない)。

さて、ここでいよいよ、ユニクロの「世界同一賃金」政策の登場である。これは、要するに、「日本人が海外で働いたからと言ってFringe Benefitは払いません。日本人故に特別扱いはしませんよ」と言っているだけの事だ。こうなると、企業には「コスト面が有利なので極力現地人を採用したい」という動機はなくなり、日本人にも広く門戸を開く事になる。

しかし、そうなると、現実には何が起こるだろうか? 老いも若きも、普通の日本人は、敢えてユニクロの海外店に職を求める事はなくなるだろう。慣れない海外で、低賃金で働く現地人と競争するなどという事は、とても割に合うとは思えないからだ。

そうなるとユニクロは、いざという時に頼りになる日本人が海外では皆無になってしまって、少し困る。そこで、恐らくは、彼等も少し考え直し、「日本語による本社との円滑なコミュニケーション能力」というものに一定の価値を認めて、この能力のある人には特別の「能力手当」を加算するという制度を導入するだろう。そして、それによってぎりぎりの判断をした何人かの人達が、海外に新天地を求める事になるだろう。

何と言う事はない。今回ユニクロが発表したのは、「当たり前の経済原則に則った制度を採用する」という事に他ならない。これ迄、何となく「日本人」に頼り、その為に経済原則に反する事をやってきた企業は、これによって反省を迫られるであろうが、何事も経済原則に則って、普通にやってきた企業にとっては、何の影響もないだろう。

今回のように、企業が一つの原理原則を明確にする事は、とても良い事だと思う。しかし、結果としては、大山鳴動してもネズミは一匹も出なかったという事になると思う。そして、企業がこういう原則を明確にしようとするまいと、世界中で、Expatriateは、徐々に、しかし着実に減っていく事になるだろう。